考えたことがないなんて!

言葉をよくよく考えるなんてこと、しないものです。

しないから、誤解が誤解のまま放置され、人とのすれ違いを自分の都合のいいように解釈して片付けていきます。

「お互い、若かったのよ」

とかね。

その、「若かった」という裏に込められた意味合いは、ちゃんと自分で解説できるの? ってことです。解説出来もしないことを、あたかもわかったように言ってしまう心が、問題を大きくし、先送りにして、成長も変化もせず起きた出来事を認めぬまま生きてしまうのです。

 

「考える力」とは、一体どういったことを言うのでしょう?

霊性とか閃きとか、クリエーターたちが「天からの贈り物」とか「降ってきた」とか「たまたま受け取ったのはわたしだっただけ」とか、自分が創り出しているものなのに、あたかも他の何かからプレゼントされたような表現をする姿が、霊性というものです。見ていて気持ちいいですよね。

でも、その閃きの世界に踏み込むには、「考える力」が養われていなければ、まるで得られることのないものだとしたらどう?

 

あなた自身が思う「考える」ってことは、あなた目線の考えることであって、優秀なあなたからの目線から見たら、それは考えた内に入らないってあなたが言い出すかもね。

 

発想の転換って言葉があるでしょう?

自分の考えを自分で覆すやり方です。そういった、全く別の見地から考えを改めてみることなどしているのかどうか?

 

【考える力】覚醒
1.突き止めるまでは、あらゆる手立てを実践していくこと。
2.納得できないことを、納得するように自らの価値感を変えてしまうこと。
3.否定的なものの見方から、肯定的なものの見方を持つ事。
4.人にも伝わるように工夫し、誰もが納得できる表現方法を磨くこと。

これが、考える力の定義として紹介します。
これを見て、こういうことを実践しているのかどうかが、考えているのか? と問われたとき、やっていなければ、考えてないと扱われる由縁です。

発想が貧弱なんです。

否定的な考えに慣れ親しんでしまい、そこから肯定的な考えに切り換える力があるにも関わらず、それを実践しようともしないから、考える力さえ養われないというオチがつくのです。

自分の事しか考えていない人は、否定を多用します。
相手のことしか考えていない人も、自己否定を多用します。

誰も喜ばないことを平然とやってのけるのが、考えていない人の特徴です。
自分も周りも、その考えを持つことを嬉しいとは思わないですよ。
にもかかわらず、それをやり続けるのは正気ではないです。

 

【考える力】想念(多くの方がこのような考えに固執していることを示したものです)
1.嫌なことを嫌だと繰り返して思うこと。
2.あいつが悪いと、誰かや何かのせいにして、自己正当化の理由作りをしていること。
3.わたしは正しい、何故ならばと、自己論理の完全さを確認して新たな発想が皆無であること。
4.どう見てもそのようにしか見えないと、自分の感じ方こそ絶対的に正しいものだと決めつけ、それ以外の感じ方を異常扱いし、可能性さえ排除し、相手の欠点を肯定することに終始している状態のこと。

思い当たり節がしばしばあるのではないでしょうか。
こんな考えを持っていても、何も発展性などありません。これ、単に人を責めているだけです。見下しているだけです。

 

そして、こういう問い詰められるような現実を目の当たりにすると、「押し黙る」ということで、やり過ごそうとする「考え」に固執して、自分をさらに貶(おとし)めるのです。黙るというのは、自分の身を守るようで、程度の低い自分を放置して、高みへと変えようとしない心の働きです。それは邪心に取り憑かれていると言って差し障りはないと思います。

 

自らで自らを変えようとしない限り、変わるはずもありません。

そして、変わる時は、必ず苦しくなります。
落ち込みますし、へこみます。
それは避けては通れません。どうにも無理なことです。
落ち込むのは間違いだという短絡的な発想が、気づきを遠ざけるのです。

 

「よく考えて!」

と、これからもブログやわたしに関わると、言われる言葉です。
肝に銘じてください。霊性云々、閃きが欲しいなんて言う前に、発想の転換が出来る力が養われていなければ、邪心に呑まれた心で物事を考え続けるなんて愚かな真似をしてしまいますよ。

 

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