どうして、わかってくれないの? 母の嘆き

言霊ブログにようこそ。
いろんなものにエネルギーというか、「氣」なんてものが流れているのはイメージできるでしょうか? そんな「氣」でも「気」でも、大事なものはそういう見せかけの部分ではないよってことを伝えています。

 

これでも言霊師と名乗り、言葉のペラペラの葉っぱのような「言」と、言霊という霊性を帯びた何かしらの力を持つ「言」との違いを知らしているのですけど、「氣」や「気」違いとか、「霊」や「靈」の違いなど、略字が言葉で、旧字体が言霊ってものではないですからね。

こんなこと書くと、責められている気がするとか思う人がいるかも知れないけど、違うからね。自分が文字を書くとき、新字体、簡易体の字を書くでしょ? ってこと。言霊は、簡易体でも旧字体でも、「発する声として届くものは変わらない」という事です。
表現変えれば、こうした文字を書くのも、言霊の文字と、言葉の文字は、同じ文字でも深みが変わるって事です。もっとも、こんなパソコンを通した字よりも、直筆とかの方がいいですけどね。言霊は、口伝で渡すもの。

だから、本来の言霊は、まき自身と対面でお話ししないとわからないって事だったりします。百聞は一見にしかずです。直接肌身で対話しないと、絶対に見えてこないものがあるよってものです。

おっかな、びっくりで、このブログ、しばらく見ててください。

 

さて、タイトルとも引っかけての前振りでした。

「氣」も「気」も伝えたいのは、気持ちの持ちようで、変わるんだよってことです。

「気」だから「×」がついているからイケナイ。「氣」は「米」だから、光の輝きとして放っているからいい。という解釈を見たことがあります。でもさ、本当に伝えたいのは、「気」で×がついているからって、それに習って×な気にならないでねってことで、見た目や、人の言動に振り回されるようなことしないでねって話しな訳です。

 

伝えているのに、伝わらない。

一生懸命話しているのに、届かない。

あなたの為に、色々解説して見せているのに、我が身の事だと自覚してくれない。

何度言ってもダメ。

手を変え品を変えても、反応なし。

あなたが困るだけと、放置しても、哀しくなる。

 

親でも、友人に対しても、パートナーであっても、ぐずる相手の前や、何もしようとしない姿を見ると、どうしても一言言いたくなるものです。

 

「気」じゃなくて「氣」などと、伝えたところで嘆くのは自分ばかり。

 

本当に困っている。

助けてって願っている。

何が悪いか探しても見つからない。

 

まずさ、「気」という文字で何か深刻な問題でも起きている?
文字に書いても、文章は伝わるし、言いたいことの意味は「気」だからといって遜色はない。事実を見てね。誤魔化されないでね。

宿題していない。忘れ物が多い。口答えする。話を聴かない。
じゃ、それって本当に問題?
本当に問題なの?
それ、約束破ることとか、犯罪犯したとか、誰かを傷つけたとかなの?
本当に、それは処罰の対象になるような重大な間違いをしでかしたことなの?
基準はどこ?
先生のルール? 社会のルール? 暗黙のルール?
生きている以上の何か大切なものってあるの?
それが出来ないなら「死ね」ってくらい大事なことなの?

明日死ぬとわかっていても、そのやり取りするの?
なんてことなども、聴いたときは「ハッ」としてやめたりする。
でも、長続きしない。そう長続きしない。
目の前の姿にどうしてもイライラしてしまう。

 

「危険回避させたいタイプ」(精鋭者)
一番の加害者があなたです。
一番傷つけて、その子(人)の脅威になっている姿に気づいてください。
わかった姿(あなた自身のことです)は、わかっていない人(子やパートナー)に対して、黙って何もしないことでサポートすることだと気づいてください。「出来ている人の前で失敗することが何よりの学びになる」ことをあなたが気づく必要があります。落ち込みなさい。めいっぱい、その子(人)の前で崩れ落ちて見せられたら、勇気づけられます。強さなどいらない。賢さなんて邪魔なだけです。素で関われないのは、格好いい大人のすることじゃない。

 

「安心させたいタイプ」(生産者)
心がどんどん冷たくなっていることに気づかないのは、笑っている姿を本当だと思っているからです。あなた自身、自分の笑顔が偽物だって気づいていますよね。でも、傷つけたくないから、仲良くしたいから、一緒にいたいから、笑うよね。それが悪いことじゃないし、思いやりに溢れるけど、くつろぎの家の中で建前を演じさせられる相手の気持ちはわからないだろうね。あなたが泣いたら、素直に泣けるかもね。

 

「任せてしまうタイプ」(芸能者)
何もせずに、本人の自由にさせることが一番だと思っても、相手は見捨てられているとしか感じていないなら、あなたの与えたいものは「悲しみ」と「寂しさ」と「無価値感」と「恐怖」と「崩壊感」なのかと尋ねます。あなたが自分を偽り続ける限り、偽りの姿しか見せることが出来ないのです。自分の弱さを話し、晒し、笑われ、捨てられ、飽きられ、罵られることが出来るなら、あなたの暖かさが届きます。一緒にいればいい。

 

こんな風に、話してくれる人はあんまりいない。

良いこと書いている人も、底の底まで手を伸ばしてくれている訳じゃない。
わかっていなくても、わかっているように書ける。

自分には問題が残っていても、それなりにうまくやることだって出来る。

人に与えても、受け取って貰えなければ同じこと。いらない。

 

母だけじゃない、父だって、子だって、いつでも嘆いている。
誰もが同じだ。
仕事が出来ても、人付き合いは苦手の人もいる。

取り柄がない、なんて嘆く人もいる。

 

それでも、自分の姿を見せていくしかない。

怖いよ、辛いよ、苦しいよ。

 

そう、わかる。

誰もが痛い。

 

あいつも、あの子も、あの人も、凄い人も、尊敬する人も、みんな痛い。

だとしたら?

 

考えてみるしかないんだよ。

 

思い違いかも知れないって!

 

わかってくれないの? じゃなく、わかっていたんだ!

 

として考えて見るしかない!!

 

 

その時、天使の声が聞こえるかもね。

 

 

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