まさかそんな 精鋭者が膝をつく

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個性別に分けられる3タイプの解説はこちら→(何が出来る? 何をしてくれるの? 個性別3タイプ)
精鋭者
泣くことに意味がないと心を閉ざした精鋭者は出口を自ら閉ざして二度と開けません。
苦しくも辛い子供時代を抜けさえすれば、後は自由になれる。
「ここを早く出て行くこと」
それが唯一の解決策。
頼ってたまるか。
子供から思春期に入り、高校生あたりまで来ると、社会性がそれとなく身についてくる。
親との関係が逆転してくることもある。
力関係が増せば、関心を引くようなこともする。
でもなびかない。今更だ。

相変わらずやんや言ってきても、もはや意に介さない。
親として当然の義務は果たしてもらう。
それ以上の感謝はない。十分感謝の気持ちは取り揃えた。
礼儀正しく、親を敬うという形式は身につけられた。

家に居るときだけ大人しくやられていれば、この人たちは気が済む。
部屋に引きこもる。
飯だけ。
用事だけ。
全て機械的。
機能的に生きる。

 

 

 

振り返れば、ただの冷たい奴だ。
親のせいにしているだけ。
義務を果たして、意味を見出して、お互いの距離を保つための工夫をしたつもりだが、建設的かというと全くそんな部分はない。
ただのダメ出しである。

 

 

やっていることは親と同じ。
真似ているから当たり前でもある。
子は親に似る。

この言葉がどれだけ嫌だったか。

 

 

この内面のゴチャゴチャを抱える自分自身を、もし自分で育てるというなら、自分なら3秒で捨ててしまうなと思う。譲歩して3ヶ月だろう。

それを親は育てた。
義務でもなんでもいい。育てた。

人だからか。

そんなことはない。

捨てる親も居る。

 

 

理屈は知っている。

感謝はもう持っているから。

 

 

いったい何がこうも親を敵視するような気持ちが晴れないのか?

親を生活の機能的な一部として見てしまうのか?

「仕方なく」という言葉を通さずに見ることは出来ないのか?

 

 

認めたくないもの。

 

知りたくないもの。

 

それが最善だと言いたくないもの。

 

 

精鋭者として認めたくないもの、知りたくないもの、それで良かったとはいいたくないものとして、自分が原因であるということ。散々、自分を改めて来た筈なのに、改めていなかったなんて受け入れられる訳がない。

 

第三者の目こそ絶対で、「証拠」こそ正義で、自分の気持ちはいかようにも隠せると思い込んでいたことが、覆されるとしたら、それはもうこの世の終わりぐらいの危機となる。

 

確かなことは、他人からは見えない心の内模様は、自分には見えており、それをそのまま第三者には見せられないこと。もしくは親そのものに見せられないこと。

 

それこそ、口にしようものなら、自身は親と同等かそれ以下に成り下がってしまうし、わがままそのものとなるし、ただの僻みや捻くれているだけとなってしまうからだ。自分が間違っていたとはどう見てもそうは見えないが、事実を紐解けば、やっていることは拗ねているようなもの。批判する心は責めているとも言える。感謝とは名ばかりというのは、よくよく考えれば見えて来てしまう。

 

見落としているものは、「人を傷つけてはいけない」と思い込んでいることだ。

 

この当たり前の道徳を持つことで、自分は散々な目に合うことになるとは思いもよらないのだ。「人を傷つけている人を責めている」という傷つける言葉だと自覚出来てない愚かしさがここにある。

 

結局、あなたも「人を傷つけている」のだ。

やったらやり返す?

いつ、許しが訪れるのやら。

 

道徳が人を傷つけていると知ることが出来れば、少しは賢くはなれるのかも知れない。

 

自分を振り返り、幼い自分に立ち戻り、「傷つけてはいけないよ」という言葉が、どれだけ人を傷つけるものだとわかっていない。言った人も、言われた人も。そして、そういうしか手立てがないということも。

 

 

人を、自分を、あらゆる道筋を見て行こう。

否定するのは簡単だし、頭を使わない人のすることだ。

精鋭者ともあろう君がするようなことじゃない。

 

 

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