生きて幸せに遊ぶと、笑いが溢れる

何事もなく過ぎ去る毎日の中で、小さな幸せを見つけ笑ってる。

そんなことも失わないとわからないもの。

いつも振り返る事でしか、気づけぬ世界にいる。

今ここで幸せなら、それでいい。

扉を開けた先がもっと幸せだったとき、振り返ると不幸の中に浸っていたことがわかるもの。それも体感がなければ、こんな説明など絵に描いた餅にしか過ぎず、「ふ〜ん」で流されて行くだけでしかない。

 

地震予知なんてバカげたことをした。
おまけに年号を間違えて2018年とか書いた。2017年の今年です! もう明日ですよ。
その前兆の波がどんなものか、実際はどうだったか検証してみます。

2017/03/6/0〜24時までが8度の波。←合ってる
2017/03/7/0〜24時までが21度の波。←合ってる
2017/03/8/0〜07時までが12度の波。まで確認中

ここからが前兆予測
2017/03/8/7〜24時までが24度の波。←予測変わらず
2017/03/9/0〜21時までが144度の波。←予測変わりました

3/9が108度→144度と回数が増加が確認できましたが、未来なんて当てられる訳がありません。時間も変わらないですけど、こんなもん当たる方がおかしいです。

 

相も変わらず、不愉快な波長は届いているし、海岸で被害が遭いそうな辺りは軒並み破壊のエネルギーに包まれているのがわかります。和歌山や伊豆でも当然余波は及びます。

こうしたことは、今までも感じていない訳ではありませんでしたが、今回は何故かこんなこと書いてます。シェアされたくない気分満載ですけどね。小っ恥ずかしいだけですから。

それでもまぁ、書いてるのは当たれば霊性に関心が向くのかな? って軽い気持ちです。
動物的直感悪く言う人はいないと思いますからね。それが人として取り戻せる感覚であるなら、この科学万歳の時代に自然感を復活させられたら、凄くない? って興味本位や好奇心から来ているものです。

 

前世とか過去世とか、そういった目に見えない確認出来ない類いに関して長けた洞察眼がありますので、地震や津波の痛々しい記憶に苦しんでいる人の気持ちに触れられます。

「逃げられない」
「海が怖い」
「沈んでしまう」
「助けが来ない」
「何かが来る」
「ここで待っている」
「探している」
「生きててね」
「海には行かない」
「頼りにしている」
「残る、離される、居なくなる、見えなくなる」
「許して、わかって、ごめんね、届けて、側に居て、そこにいるの?、許してくれ」

 

といったような気持ちに悩まされます。
こうした思いが何もないのに、振り回されるとか、不思議とつきまとうといった方は、震災、津波の被害に遭われた過去世をお持ちです。

 

それこそ、「君の名は」という映画のようにさ、隕石落下で人が大勢死ぬとわかっていたら、どんなことをしてでも救ってやりたいと思うのが人の心ってものです。

物語は、被災して大勢の人が亡くなった世界と、被害者ゼロの世界があるといったパラレルが描かれています。あれが出来るなら、やりたいと思うものです。

誰も、悲惨な未来など見たくはないし、もし見ることが出来るなら、回避したい気持ちでいっぱいになるものです。それは「見たから」そう思えるのです。「見ない」なら、そうなど思える筈もないのです。

 

この肉体を持つ、「人」というのが実はタイムマシーンだというなら、誰もが「はぁ? 頭おかしいんじゃない?」と笑うでしょう。未来を変える為に、まさに過去である今にいるのです。でも、未来は見ることが出来ません。変えていけるからです。

けれども過去はいくらでも認識を変えることができます。

被災すると、「二度と起きてほしくはない」という否定を過去に刻みます。

すると、その否定は時代を越えてストレスとなって歪みとなり、それが破裂して同じ現象を引き寄せます。現実を否定すればするほど、歪みは大きくなり、その反動を強く受け取ることになります。その結果、未来で大惨事が起きてしまうというカラクリです。

 

自然現象は起きるものです。

二度と起きてほしくないって易々と思うものですが、起きていいよって許しがそこにありません。自然に歯向かう心を持つのが人間なのです。「自然には逆らえない」といいながら、心の中では「こんなこと起きてほしくない」と思うものです。それが逆らっているとは気づかないのです。

自然は色んなメッセージを与えてくれています。

この前兆もわたしはその一つだと受け止めています。
勘が鋭ければ、被災する場所はストレスが強すぎて、そこに留まれない感覚に染まるものです。苦しすぎるからです。辛すぎるからです。逃げ出したくなるのが人というものです。

けれども、悲しみを多く引きずってしまい、「二度と起きないで」と心の中で繰り返し呟き、湧き上がる恐怖や強い悲しみを退け続けると、その悲しみは膨大な力となって人の心を蝕みます。すると、自然から届けられる「キケンだよ」というメッセージに対して鈍感となってしまい、何事もなく過ごせてしまうのです。

 

「オレ、霊感とかないし〜」

「わたし、そういう見えないものとか信じない性格なんで〜」

「いえ、否定しませんよ。見える人や、霊感ある人はいるでしょう。でも、関わりたくないし、好きに言っていたらいいんじゃないですか? 人、それぞれでしょう?」

 

それは、それで本当にその通りだと思うし、それで構わないと思います。

心が悲しみで溢れかえると、そうした解釈が一般化してしまい、見えないものを感じられる方が怪しく、いかがわしい雰囲気を放つとして、敬遠されてしまうというものです。そして、被災してから「どうして、誰も何も言ってくれなかったの?」「事前に少しでも早くわかっていれば」嘆くのです。

 

前兆なんて、感じない方が幸せというのもあります。

何故なら、取り残されて、生き残る苦しみから逃れられるからです。

死んでしまうより、生き残る方が悲惨です。残酷です。とてもじゃないですけど生きていたくない気持ちで染まり上がり、どうすることも出来ない苦しみが続くのです。そんな目に二度と会いたくないから、地震予知などしたくもないし、危険回避などわからなくていいいという思いもあるのです。この世界に不幸になる方が幸せだという概念があることを知っていなければ、価値感の多様性に対して、相手を非難するしか手立てを持たない人が、人を追い詰めたりすることを知っていてください。

 

「死にたい」

「そんなこと言うなよ、生き残った意味があるんだから、生きないと」

 

などと言うのです。

「いつでも言いな。一緒に死んでやるよ」

と、声をかける優しさなどないのです。
そう言って、話しを聴き、悲しみを吐き出させ、悲しみ切ることで、生きる力を取り戻す道があるのです。傷ついた心には、傷ついた心にしか響かぬ言葉があるのです。

 

 

共感が大事と言いながら、共感の仕方を知らないのです。

津波から生き残る苦しみを知っている人は、同じ目に遭う人に対して優しく接せられます。

それでもこの現実をどうにかしたいから、この肉体であるタイムマシーンに何度も乗り込んで、心の奥底に眠る誤った認識や膨大な悲しみを解放するべく今を生きるのです。

ただ、喜怒哀楽を感じるためじゃない。

心の奥底に潜り込んで、過去世で体験した辛い出来事を受け入れ、認め、許し、改め、それで良かったと笑えるように変わることで、今を変える事が出来るのです。今まさに、タイムマシーンに乗っているのです。ただ、過去に飛ばなければ、今は変えられないです。

 

誰もが同じ時を生きている訳ではないのです。

 

「君の名は」という映画の主人公たちのように、二人にしかわからない物語があります。

 

この現実が、壮大な物語の中にあります。

主人公はもちろんあなたで、どんな風にでも物語を演出してしまえる力があります。

自然を感じられるように自分を生まれ変わらせることも、企業戦士のまま働き続けるのも、自由自在です。様々な思い込みによって、心は縛り付けられ、自由を見失っています。それも解放されるための不自由さです。未知な出来事はどれも怖いです。その怖さの中に飛び込むことが出来ると、見たくない過去に取り残した自分の心を連れ戻すことが出来ます。

悲しみに濡れた心を晴らすことが出来るのは、あなた自身です。

 

過去を変える力は笑顔の中にあります。

笑えると信じる心で、闇の中に飛び込むのです。

こんな人生なんてもう嫌だ!!

そう強く思えるなら、もうこの人生に価値がないと認めたということです。

無価値です。

それならば、何一つ「こうした方がいい」というこだわりを持つ必要はないのです。

「どうでもいい」のです。人生は、どうしようもないくらい、どうでもよくなるものです。

その心を生み出すことが出来れば、闇の中だろうが、どこへだろうが飛び込んで行けます。失うものがないどころか、何も意味を与えていないのだから、心の作用さえ気にしません。気に障らせません。

そうしてしまえば、意識は自由となり、この世界を変える力を手に出来ます。

過去世の自分に逢いに行くことだって出来ます。

連れ戻してみたらいい。

笑えるから。

 

それを繰り返して、心が軽くなれば、自然の声が聴けるようになります。

 

不思議ちゃんになれます。

幽霊とか、怨霊とか、そういう怖い系の見えないものの世界ではなく、精霊とか、妖精とか、木霊とか、そういう清い系の見えない世界に触れていけます。

 

否定するなら、全部否定してみたらいいよ。

肯定するなら、全部肯定してみたらいいよ。

 

否定するなら、全てなかったことにしてみたらいいよ。

肯定するなら、全てあったことにしてみたらいいよ。

 

それが出来たとき、わたしが何を言っているか、わかるようになるよ。

やりもせずに、わかることなんてない。

 

海を見たこともない井の中の蛙が、どんなに想像しても実感なんて味わえる筈もないものです。霊的な見えないものを見失った者が、どんなに想像しても、見えないものを見る実感など想像もしないし、欲しいとも感じないものです。でも「あったらいいな」という知覚さえ出来たら、はじめられます。

人なら誰もが持ちうる力だからです。

 

予知などするものではないです。今でもそう思います。これからもこれに関してはきっと変わらぬ事でしょう。

ただ、あなたが屈託なく笑えるようになる世界が見たいだけのことです。

 

生きている時にしか、この変える力は使えないから、今を大事にと言うのです。

それを「愛の力」というのです。

 

忘れないで、あなたが、あなたから届けられているメッセージを受け取ることなんだよ。

それはいつも「痛み」という辛辣な形で届けられることを知っていてね。

痛みに触れられた時、愛が取り戻せます。

 

 

 

無条件の愛は、何も前提や、繋がりや、関わりや、仕事もお金も何もかも関係ないとしたら、この記事をなんと思う? って問いかけてわかるものがそれだよ。

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