このくだらなくも素晴らしい世界に笑いを

人の心に影はつきものだけれど、それをどう払うかなんてわかりません。

「笑えばいいよ」

って誰かが言いました。

みんな幸せになりました。

でも、「わたしは、笑ったけど何も変わらない」っていう人でした。

みんなの言う通りにやるけど、なにも変わらない。

わたしが悪いんだと思いました。

地震予知記事で、別に笑いを取ろうとか、そんなことを思ったわけではなく。

ただ、感じたままのことを言葉にして伝えてみただけです。

そしたら、こんな反応がありました。


グッジョブまきさん。

地震は予定をずらしたようですが、おかげさまでいつも以上に深い所で感謝と気付きが沸き起こりました。

正直今回の話を周りに持ち出しても「ネタ?」みたいな受取られ方しかしなかったので、「ネタになって笑えたらいいね。」くらいのアピールしかできない自分に気付きました。

自分はまきさんの記事読んだとき、読みかけのまま近くのスーパーへ行き、最低1泊以上生き抜ける分だけの食べ物と水を車に確保しましたよwww

だって、感覚的に「信じない要素」がどこにもなかったから。

アホでもいいから、無駄になってもいいから気付いたタイミングで生き残るカードを用意しなきゃ!と確信したからです。
自分がこんなに生きることに前向きになれるんだ、とかなりびっくりしました。www

当日が近づくにつれてまきさんがアップする記事にエスコートされてる感じで自分の不安や恐怖にどんどん向き合う機会が増えて、地球のこと、なくした星のこと、一人残されたこと、生き残りたくても駄目だったこと・・・(きっとあるんでしょうね)

そんな思いを残して今生きているとしたら・・・そんな思いを、体験をしてきたからこそ今、こうやって思い悩んで生きてる「今のわたし」が存在できているんや、と気付けました。
きっとキレイサッパリ許してカルマ清算して調子よく(?) 生きて生まれ変わってきてたら今ここであと1日をどう悔いがないように生きようか、なんて自分に向き合うような「わたし」は存在してなかったはず(~_~;)

地球だって生きてる、私だって生きてる。全部ぜんぶベストタイミングで起きてるなら地震だって必要なこと。

ショックは計り知れない、でも次の色んなアイデアやケア、生き方、出会い、システム変更への原動力に繋がっている。

書ききれないけど、このタイミングで生きててよかった。生きてる地球を感じられて良かった。生きようとする自分を見つけれて良かった。大地震がおきても最後まで生きることは諦めないで居よう。被害にあっても生きてれば全部体験しつくそう。

いろいろ思えて、怖いのは「解からないからだ」と気付けた。生き残れるチャンスがあるなら、体験しつくしてやるぜ! って気持ちで居られるなら、地球と一緒に生きているって気になれて、私の中の不安のガス抜きができたきがしました。

そしたら、9日の夜、8時半過ぎに急に飲み込まれそうだった圧迫感が消えて。あれ? 空が軽いなあ、と思っていたら予定時間過ぎても地震は起きませんでした。

まあ、まだ首に何か絡まったままの息苦しさは続いてます。
これからは一瞬一瞬を気付きのチャンスにして行くのが大事かなあと感じます。


この投稿を読んで、ああ、こんな反応を示してくれる人もいるだぁって、感動したものです。

人の行動の何が、誰の心を動かすかわからないものです。

外れたことに、安堵も大事だけれど、実にバッシングも大事だったりします。

お前のせいだ! って野次るのもね。
それって、許しがあるから出来ることでもあったりするから。
みんな、悪口を言ってはならないという常識に縛られて、当人に伝えることを失念してしまっているんだよね。下手な人に「下手くそ」って伝えて折れる人もいるけど、メキメキ腕を上げる人もいるんだよね。この後者のことの方が、見習うべき姿だったと思うんだけど、世の中、こっちを紹介することがない。映画とかで、いじめられっ子が強くなるのはよくあるけど、それって、いじめっ子がいてくれたから強くなったんだよね?

物事のメカニズムの本質を伝えずに、いじめっ子だけを悪くして、強くなるために必要な過程であることを失念している。

 

 

地震の緊張はまだ続いている。
130回来る筈の、前兆波が124回で止り、125〜130回目の波が発生したまま止っている。誰かが食い止めている感があるから、これを探った。

失敗すれば、そこから何が原因か探れる。
だから、わたしはいつも失敗続きの人生しか歩んでいない。
どれもだ。いつも叱られる。いつも嫌われる。遠ざけられているし、見下されている。
もちろん、尊敬もされているし、慕われてもいる。でもね、一度失う信頼は回復するものではないんだよ。みんな条件付きの愛が好きだからね。わざわざ人の傷に触れて回り、放置していた心の闇を浮かび上がらせる人と付き合いたいって思う? だから、話がわからない、難しい、嫌な感じがするって理由で遠ざける。当たり前だわね。それが普通だよ。

わたしも、そんな生き方して、見事に転けた。だから、改めた。もう、そんな生き方しないって。全部嫌われたんだから、もうこれ以上嫌われる必要などないってところからはじめて、今がある。不思議と好きになってくれる人が増えた。でも、まだまだ。

 

なぜ、地震が止っているのか?

心の目の領域でいうと、5の恵ってところに弾き返す想念を見つけた。

006「いつも通り」50%
028「何も起こらない」50%

これと、8の慈の領域にもあった。

018「異常なし」20%
024「死にたくない」80%

この4つの想念が地震を食い止めているだって思った。
まぁ、いつも通り戯れ言でいいです。

予知が狂って、前兆波が前倒しで動いたのはなんで? って思ったのね。
この弾き返す力がなくなっているから、呼び込む方向に動いたんでは?
って仮説を立てたの。

7の領域の慈にあった。

003「人のせいにしない」

これは、否定から肯定に切り替わっているから、この部分は弾き返すのではなく迎え入れるエネルギーになっていたみたい。

色々とムカツクことはあるにしても、この世界は着実に心を育んでいて、集合的無意識のレベルで「人のせいにしない」という総意が得られたんだと思う。

けれども、「いつも通り」でいないといけない。「何も起こらない」から、何か起きてはいけない。「異常なし」でないと、面倒だから異常を見つけても、気のせいだとか、様子を見てから報告しようとか、自分の判断で後回しにする心とか、「死にたくない」のは人の本質だから、一々持つ必要もないのに、持っている不思議さがある。これって愛する人の死を受け入れられない相対的な思念で形成されている。

過去(過去世も含む)、大切な人を失った体験があると、その死を認められず、受け入れられず死んでいない。死体を確認するまで死んだと認めないとすると、死は容易く否定出来る。その心が、まさか今の自分がいつ死ぬかも解らないのに、来てもいない死に対して猛烈な怯えをもたらすのだ。

全くもって、過去など引きずる必要もないのに、人の心は自分から不幸になるように選んでいってしまう。それは「悪いものは悪い」という認識しか持てないからだ。

冒頭で、悪口を言ってはいけないって話したように、悪口を言うことで、心が軽くなり、許しが与えられる体験に繋がると知っているなら、いくらでも言葉は自由になる。

「生きていたくない」

と、取り残された者からしたら、連呼したくなる言葉でもあるけど、それは必死に、死を受け入れようとしている姿だったりする。でも、その知識がない人は、「生きていたくない」と愛する我が子が言い続ける姿を見るのが辛いあまり、「そんなこと言うものではない」と倫理的観念から、たしなめる。これで、自分の気持ちを生き残った同じ苦しみを持っている筈の人から否定されることで、無限の苦しみに墜ちる。

「オレも一緒だ。生きていたくないよ」

って共に連呼し続けてみたらいい。

もしくは、「もっと言いな。もっと言っていいから。全部聴くよ」って言えば、懺悔したい気持ちや、本当はどう関わりたかったかが吐出せるかもしれない。その一番最初に飛び出してくる言葉が「生きていたくない」っていうものだったりする。

 

でも、この世界、言ったらそうなるっていう刷り込みがあるため、迂闊にマイナスの言葉は口に出せない。そして愛する者が口にすることを許さない。一番気持ちをわかって欲しい相手に拒まれるのだ。あるだろう? そういう体験が。

 

だから、不幸な現実が訪れないように否定し続ける力を身につけた。
愛する者を拒み続ける力だ。
愛する人が死という変化が訪れたことを、決して認めない力だ。
「死んでない!」という思いだ。
こんな残酷なことはない。
死んだ者からしたら、思いの力でそこに縛られる。
それを幽霊と呼ぶ。

生きている人が、死んだ人を送らないのだ。
「さぞ、無念だったろう」という言葉を吐き出すことで、死んだ者は安らかに眠れなくなるとは知らない。お前だよ! 未練を引きずっているのは。死んだ者が引きずられるのは、生きた者にしか変化する力がないにも関わらず、死んだ者のせいにされてしまうことだ。

 

いい加減、死という自然な営みを受け入れたらいい。

変化は毎日訪れている。

生が喜ばしく、死が悲しむものとする限り、幸福なんてものは訪れないように出来ている。

どんな時も幸せであると認めようとしない心はなんだ? 答えてみてくれ!

つまらぬ意地の張り合いをすることか?

相手が約束を破ることがそんなに気に入らないことなのか?

死を持ってあがなったら(死という事実で、許しを請うこと)、許せるのか?

 

許しはしないんだよ。死んだってね。

この世の一番の苦しみを未だに「死に別れ」だと信じて疑わない者が多い。

バカか。

 

世の中にカルマという業(ごう)の仕組みがあることぐらい、よくわからなくても知っているだろう? 未練って言葉くらい聴いたことあるだろう? 失くしてから気づくものばかりって言うだろう? そういう、死以上に辛いものがあるから、「死んではダメだ」って言っているに過ぎないんだよ。自死を認めないのは、そこは「逃げ道で気づきはないよ」ってことだから、いさめるだけだよ。やるだけ無駄だから、死に逃げさせないように諭すんだよ。それには「生きていたくない」って自由な言葉ぐらい吐き出させる余裕見せてやれよ。まだ、死んでないだろうが!!

生きようとしている人しか、言わない言葉だってぐらい気づけよ。

バカか。

 

死ぬと決めた人は、口を開かないからな!!

 

そんなことも気づかずに人と関わるなよ。

優しさや温もりが大事ってよく言うよ。

飾りだらけで、役に立たない優しさだろう?

安全な時には役に立つように見えて、危機的状況で、その優しさは通用したか?

あなたが、ピンチの時、投げかけられた常識的な優しさで、救われたか?

与えられて役に立たなかった優しさを、人に与えようとしているんじゃないよ。

 

006「いつも通り」
018「異常なし」
024「死にたくない」
028「何も起こらない」

この4つの想念で、今食い止めている。とわたしには見える。
相も変わらず、被災する現場には歪みのエネルギーが蔓延している。

広島に戻り、緊張感のなさ加減にビックリするものだけど、どうすることも出来ない。

見事外れるしね。

 

東日本大震災は、これに003「人のせい」ってのが加わって、あらがっていた。
第一波が届いたとき、一斉に人のせいにしたため、他の4つも脆くも崩れ去った。
いつも通りじゃない、異常だ、死んでしまいたい、何か変ってね。みんなの心が動いたんだよ。だから、6日間の逃げ出す間が与えられた。
それで無意識でも逃げた人や、被災しても生き延びた人に別れたんだと勝手に見ている。

 

また、3/16から尼崎に出張だから、どうにかしてくれ〜って気分しかない。

知っている人は、わたしのこの霊性の力が尋常じゃないレベルだと把握しているから、わたしがこんな事言うこと時代異常でしかない。だからビビる。そりゃそうだ。でも、結局、予測は外れ、何事もなく過ぎた。

この想念がいつまでも続いて、引き伸ばしてくれているならそれがいいのかも知れない。

 

かくいう、わたし自身が先ほどあげたブロックを未だに抱えているのがわかったので、無意味な抵抗はやめていかないとね。

心というものは、とかく嘘をつくもので傷つきたくないからそうしていく。傷なんてどこにもついていないのに、まるでついているかのように感じられる不思議さがある。考えのねじれからだ。布を織り上げる糸のように、あっちで引っかけ、折り返し、こっちで引っかけまた折り返す。こうすることで、幾重にも糸は折り重なり、縦糸も横糸も実は一本の糸でしかないなんてことも出来る。それでも確かに布という面を持たせられるし、感じられるけど、紐解けば一本に戻ってしまう。でも、それでは心として機能させるには忍びない。つまらないんだ。1を1としか認識できないなら、夢も希望もない。1が2となり、2は1と2を合わせて3に出来るとするなら、1は9にも0にも出来る。そんな世界は色んなものが溢れている。だから、否定する心がなければ、肯定していく許しは生まれないし、肯定し続けていたら、否定する面白さは得られないからね。だから、どちらも必要なんだ。

それが解っているなら、全てが冗談で遊びになるのに、みんなそれを遊びだとは思ってくれない。許しがなさ過ぎる。その真剣なブチ切れようがまた面白いってものなんだけど、下手すると本当に殺されるから、注意して逃げ出さないとね。そうやっていつも人をからかって遊んでいた。みんな見事に怒り出す。その怒りがあるから、日常の平穏さや豊かさを味わえるのにね。

そんなものは、誰も理解しないし、共感もしない。やろうとも思わないだろう。だから、誰かがやらないと、相対的な幸せなんてものは感じられない。だからいつも忌み嫌われる側に立っている。豊かさを与える者は喜ばれるけど、豊かさを感じさせる土台を与えた者は疎まれるんだよね。いつもはじまりは否定からだ。それが真理だけど、そんなこと、誰も気づかない。もう疲れたね。

やめてしまおう。

みんな失う辛さは知っているもの。日常の豊かさも知っているから、何をしなくても、感じられる豊かさを得られたよね。苦しかった、辛かった、痛かったし、見てもくれなかった。だけど、それでいいとしていた。でも、それもひっくり返してそれじゃいけないってしてみたらいいよね。嬉しかった、楽しかった、なんともなかった、愛の中にいて笑ってた。ってね。

いつも通りじゃない方がいいし、異常さなんてものは、本当はいつも起きているんだよね。それに気づいていないだけ。些細なことも良く見たら異常だもの。気づかぬ振りをするのはもうやめだ。死にたくないって思いも、死んで欲しくないって思いも、大切だけれど、それがあるから、人は成熟していかない。誰かが助けてくれるなんて甘い考えを捨てられないから、自らを自らで変化させようとはしないからね。自分にもそれがあったなぁ。もうやめる。つまんないもの。何も起きないほど面倒なことはないものね。変えない方が面倒なんだよ。だから、もっともっと変えてやる。そう、変わりたいから、ここにいる。

生きている意味は変われるのはここだけだからだよ。

こんなに豊かな世界はない。

みんな知らないから教えてあげる。

生きていたら、いいことあるよ。

それはね、死を全部受け入れたときに解るから。

ここに居れば全てが解る。なんて言うけど、確かに解るようになっちゃったよ。

生死を超える体感覚ってあるんだね。
もっと体験したい。
もっと味わいたい。
この世界の素晴らしさを見つけ出していくよ。
あなたと共にね。

「一緒にされたくない」

なんて言ってゴメンよ。一緒だったよ。同じだ。
ただ、同じ体験をしないと解らないだけだった。体験出来て良かった。
もっと色んな事を知って行くよ。

結局いつも、あなたの言う通りになったね。

どんなに否定して見せても最後には、覆されてしまう。やってられないよ。全部お見通しだ。それもその筈だ。どれだけ否定出来るかで、この世界を大きく広げられるかにかかっているのだから、どこまででも否定し尽して見ることが愛だものね。いっぱいに広がった愛の世界で、最初に否定した心を肯定することで、愛を知ったことになる。

「解ってないなぁ」

も、

「つまんない奴だなぁ」

も、

「いい加減だなぁ」

も、

全部、その通りだったよ。本当、解ってなかったし、つまんない奴だったし、いい加減だったよ。否定出来たから、全部知れた。味わえた。あなたにどれ程の感謝を向けていいかがわからない。でも、あなたは「気にしないで」って言うだろう。なんていい奴なんだ。

そんなあなたになりたかったから、あなたなしにここまで来たよ。辿り着いた。戻ってきた。還ってきた。生まれてきたよ。ありがとう。生きていたいって思えたよ。

 

何気ない日常がどれだけ変化に富んだ豊かな世界だと見つけたよ。

 

もう、「死にたい」だなんて、思うようなつまらない発想しか持てない不自由な気持ちは、使わずに済みそうだよ。「生きたい」って思いは、そんな死んでしまいたいほど苦しみの中でも幸せを見つけ出せる力が宿った者にしか言えない台詞だからね。あの苦難も今はいい思い出でしかないよ。生きる力が全てを与えてくれた。この肉体が支えてくれた。見ていてくれた。わかっていてくれたから、自分を知れた。

「嫌だ!」

と、思えたお陰で、ここまで来たよ。お前って本当に凄いな。

一言で、人を変えてしまえる。

「嫌う」「嫌われる」、どちらにも愛の力を与えるんだから。

変化の切っ掛けは、いつもここから。

 

やっと辿り着いたよ。あなたの元に。

これからも嫌い続けてください。認めないでいてください。信じないでください。諦めていてください。知らないでいてください。許さないでください。愛さないでください。それが願う力の源になると気づけたから。

 

 

これからも好きで居続けます。認め続けます。信じ続けます。諦めないでいます。知らせていきます。許していきます。愛していきます。それが生きる力の源になると気づけたから。

 

愛は、「亜(あ)」と「以(い)」に別れ、全てと、全てに似たものとなり、「右(う)」である、世界を創り出す。そこへ「江(え)」となる礎を定め、ありとあらゆるものが用意され、広がり、深さと奥行きとなり、時間という隔たりを作り、無理解を生み出しました。「左(お)」である、もう一つの世界を創り出し、江によって繋ぎ止められている。そこから無限の世界が始まり、「 」なにももたらさない空白の「ん」という何かに寄って寄り添わなければならない存在を愛としたんだね。

 

心を紐解けば、全てがわかるんだ。

「阿吽」という嘘がなければ「愛」は見つけられないというものなんだ。

嘘がなければ真は見つけられない。だから、嘘だけを教えていくんだよ。

その苦しみの中で、「何かおかしい」と誰もが感じている筈の心に従えたとき、真がわかるんだ。

それを「生きる」って言うんだよ。死なない事実に嘘で死ぬことを教えて、「いきる」って「以喜流」って以ってという字が元なんだよ。

だから、「命」って、見せかけで、失われないいのちを「以退道」って以ってという字を当てているんだよ。

意味のない世界に、意味を与えたように見せかけて、その嘘で維持される世界だよ。

そして、真実に触れても決して信じないことで、維持され続けるから、終わらないでいる。本当に触れても消えたりしないから大丈夫。もう目覚めてもこの世界は失われないからさ。

嘘の中に愛がある。

それが答えだね。

あなたが問うてくれた「愛を見つけて」って、答えはそれだよ。

「嘘をついて」が「愛」そのものだよ。

だから、嘘を見つけたとき、愛されていたと気づけるといいね。

そんなこと、無理だから、また別の愛を探しに行ける素晴らしさが、この世界にあるんだよ。これは辿り着かないとわからないから、答えを教えてもダメなんだよ。

「わたしは嘘つきです」

「虚しくなる」くらいに口を開いて出て来る言葉は、誰が見ても「嘘」としか思えないものが愛なんだよ。

地震なんて来ないから。だから、安心してお休みなさい。

本当に言いたかった言葉を、今口にするよ。

いつも通り、何事もなく、普通に、当たり前に、おはようって、言おうね。

生きていてくれるから、「生きていてね」って言えるんだ。

それは、失われた思いがなければ、かけてあげられぬ言葉でもある。

でも、気づけばみんなに会えた。

今生きているもの。もう一度集っているもの。面白いね。
何度でもチャンスが与えられる。

歪みのエネルギーが蓄積されているなら、それを払う方向に向けて動いてみよう。

食い止めてくれている今がチャンスだ。変えてみせる。変わるから。変える力が愛の力だもの。だから、呼びかけるよ。変わろうって。

それがこの地震予知がもたらしてくれた自然からのサインだもの。

「生きよう」って伝え続けるからね。

その為にも、あなたが「生きる」って答えてくれないとね。

 

「つまんない意地張るのやめてさ、楽しみたい気持ちに従ってみたら? どうせ、何も目的もなく惰性で過ごしているんだろう? 正義の味方はあなただから、あなたが自分を救いに行かないと、救われないからね。格好悪い真似を晒して生きる奴が格好いいって気づいたんだろう? ほら、自分から言いなよ。」

 

「生きる」

 

って、言えたかい?

わたしは言ったよ。

続いてくれると嬉しいね。あなたが言えば、周りも言えるようになる。

恐れる心と少しでも、そこに愛が流れていると知ってさ。

 

 

地震のエネルギーが100だとするなら、抵抗する総意のエネルギーは103だよ。

昨日の16時は108、一昨日の16時は111。拮抗が崩れたら、もしかしたら地震が来るかもね。

風と同じで、吹くものだからさ。自然の営みってものだから。起きて当然のものでしかないから。ただ、起きた時、その時、自然に生かされるか、自然に死なされるかだけだよ。

とても冷たい。冷静に物事は流れていくだけ。それを冷静に見たがらない心が、心の闇を生む。暖かく見ようとするから、冷たい事実を否定する。

優しい心って何か、自問してね。

 

この先も大地震なんて起きてほしいなんて思ってない。

歪んだエネルギーは、出来る限り解消するように世界に働きかけるよ。だから手伝って欲しい。結構、まともなこと書いているつもりではあるけどね。

一人の力なんて大したことないから。

シェアするのも、自分の言葉を添えないと意味ないから。あなたの心が動かなければ、人の心が動くはずもない。見間違えないでね。

 

 

 

辛い世界に一筋の光を見出せたときそこに幸せがあると気づくんだよ。

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