ずっと嫌われていると思っていました その6

ずっと嫌われていると思っていました その1 その2 その3 その4 その5

よく続くな、って思っての最終回。

ささ、お待ちかねの結末やいかに!

嬉しかったんだよ。自分の事わかってくれる人がいて。

そう、最初はそんな些細な感動からはじまった。

何これ? どうしてわかるの?

わたしのことが書いてある。

 

夢中で読んだ。

毎日チェックした。

一つにこだわらずにあちこち読んだ。

いっぱい学べた。

 

うんうん、って頷くのが楽しみになった。

わかるものにはいいねして、わからないものにはいいねしない。

それがコミュニケーションだと信じた。

 

優しいことしか見えていなかった。

難しいことも書いてくれていた。

それを読もうとしないのはわたしの方だ。

 

わたしのこと見ていない。

当たり前だ、知り合いでもない。

でも、わたしのことわかってくれる人だと思い込んだんだ。

この人なら! って。

 

都合のいい話し、わかる話しだけ食いついて、都合の悪い話しに批評なんかして採点つけてさ、イッパシの消費者目線みたいな感じで「わたしを楽しませなさいよ」って無料のブログに思ってさ、何しているのか全く気づいていなかった。

 

 

 

ふぅ。

 

ここまで連れてきてくれたのは紛れもない事実だね。

 

好きで読んで、うんうん頷いて楽しんで。

メッチャわかるって悶絶して、そんな事だったのか! って拍子抜けして。

どれも役に立っている。

ただ、わたしがそこで足踏みしていただけ。

次に進もうとしていないのは自分の方。

 

 

よし。

 

自分の事、つまんない奴って思ってたの。

何でもまぁこなせるし、雑学もかじっているから話題も取り残されることもない。どことでも打ち解けるし、しれっと相手に合わせてもいられる。でもさ、中心にはなりたくないし、引っ張っていくようなタイプでもないし、何をするにも退いている自分を感じてた。

気づいていながら、何も言わない自分。

興味もないのに、うんうんと頷く自分。

ぜってー思わないって拒否っているのに、笑顔でスルーする自分。

こんな事したい訳じゃない。

ほんと、ダサダサ。

 

これ、何かの影響かな。

テレビにでも漫画でも、そういう表と裏を使い分けて、場に馴染んでいるキャラ。

そういうのが普通だと思っていたし、そういうもんだと諦めていた。

それを幸せなんて言い聞かせて笑ってさ。

自分探しとか真剣に言っている奴とは一緒にされたくないって冷ややかに見ていた自分がいた。瞑想とかなんたらヒーリングとか、興味あるけど興味ない。ああいうズッポリ入る感があるのは拒否反応が出るから。

 

でも、何と言うのかな、周りの目も気にせずにオタクやっている連中と大差ないと思えば、あの人らも凄いよね。樹を中心に手を繋いで輪になって祈りとか踊りとか捧げるとかさ、怪しすぎるし、正気とも思えないけど、混じってみたい気もしていた。

 

自分の感覚信じて来たから、ダメな感覚なのはダメなものだって思っていた。この人凄いって思ったらその感覚を信じた。そんな感覚さえ、何かから逃げる為の偽装した感情だったと今ならわかる。感情に誤魔化されていた。この気持ちが大事だと信じていた。

 

 

は〜あ。

 

感覚って、自分の心に従って働くものなんだね。

幻想に気づけば、あっさり波が退いていく。わかりきっていることの筈だった。

恋愛の熱が冷めて行くのと同じ。

「ああ、こういう奴なんだ」って気づいた瞬間消えていく。

でもさ、そんなのって気づく前からそこにあったよね。

見ていないのは自分の方なのに、「そういう人だとは思わなかった」って台詞、自分の盲目さ加減を棚上げしているよね。隠す人だって一緒。隠さないと嫌われるって気遣いでやってくれている。こちらの狭量さ加減知っているから我慢してくれている。そのボロを見つけて責め立てるなどしてさ。何してんの、わたし! って感じよね。

 

わたしのこと見ていない。わたしもあなたのこと見ていなかった。

これに気づきたくなかった。しっかり見ているつもりだったもん。

一生懸命見ていたの。この人なら!って。

 

ずっと背中を追いかけていた。

母の背中に呼びかけていた。

ねぇ、ねぇ。って。

振り向いてって!

 

 

 

「後でね〜」

 

 

 

その言葉で、わたしは暗闇に突き落とされたんだ。

後がない、「後で」って言葉。覚えてくれていない。わたしも覚えていない。でも、今思い出せる。「こっちを見て!」って。「話しを聴いて!」って。

なんで覚えていてくれないの!

「さっきの話しって何?」って言ってくれないの?

小さいから、頭いっぱいになるの。

さっきのこと、覚えていられないの。

「後で」って約束したのお母さんでしょ!

約束守ってよ!!

 

ずっと母の背中ばかり見ていた。

母は凄い人だと思ってた。

何でも出来る。何でもしてくれる。

 

でも、いつからか、そんな風には感じなくなった。

「後で」と笑顔で答えてくれてから、世界が変わった。

何も言い出せなくなった。

「聴いて」って思うけど、「聴いてくれる訳がない」と心で返事をするようになっていた。

 

そういうもんだと、言い聞かせた。

自分の心に従った。

「何でもない」

こんなこと、大したことじゃない。よく考えれば話す内容などない。学校のこと、気づいたこと、取るに足らない些細な変化を報告するなんて、どうかしている。お母さんの邪魔をしてはいけない。お母さんを大事にしなければ。もっと優しくしてあげよう。困らせないでいよう。こんなにも大事にしてくれているのだから、しっかりしないといけない。

 

「しっかり」って何?

 

「後で」をただ待っていた。「後で」が来ないから、自分が何か悪いのではないかと思っていたんだ。考えたこともないけど、そうだ。だから「しっかりして」……多分、言うこと聴くとか、話しを聴くとか、人を困らせないとか、きっとそんな感じのものを身につけていたら、お母さんが「後で〜って、話しをしよ」って声かけてくれると思ってずっと待っていたんだ。

 

わたし、待っていたんだ。

声かけてくれるのを。

お母さんのように凄い人から、声をかけてほしかったんだ。

だから、褒めてもらいたがっていたんだ。こんだけわかったよ! これのこと教えてくれていたんでしょ!って。お母さんでもない人に、重ねて見ていたんだ。こんなことあるんだね。

 

父さんも、あんな風に話してくれたらって思っていたな。

距離が出来たのもきっとわたしのせい。

自然と離れた。近づくと、怒られる気がした。

でも違う。父もまた「待っていた」のかな。

不用意に父の親から遠ざけられた記憶に苦しんでいたのかもしれない。

 

みんな、声をかけてくれるのを待っているんだ。

 

「後で〜」

 

が訪れるのを待ち望んでいる。

今か、今か、今か、と。

取るに足らない話しなのにね。

聴いてほしいんだ。

話したいんだ。

話したいんだよ!!

 

「今、話しを聴いて!」

 

 

って答えたかったんだ。「後で〜」の返事はそれだ。

 

だから、いつも、その場で何か思いついても、「今言うことでもないか」って流していた。

そうじゃない。「今、言うことなんだ」よ。

今しかないじゃない。

 

思いついているのに言わないなんて、もったいない。

後でが来るとも限らない世の中に、後回しなんて出来るはずもないのに、わたしは何を捨てていたんだろう。

そうか、「好きな自分」嫌ったんだ。

自然を感じて、遊び回って、くだらないことに笑い転げて、無駄なことばかりやって、汚して、壊して、ふて腐れて、思い思いに素で表す自分を嫌ったんだ。「こんなんじゃダメだ」って。

こんなんじゃダメってなによ。

こんな風になっちゃったじゃないの。

わたし、一番素でいられる自分を嫌ったんだ。

 

だから、お母さんにも、お父さんにも、距離が生まれたんだ。

近寄れなくなったんだ。

ううん、近寄らなくなったんだよ。わたしから。

そう、全部自分が思った通りにしてきている。

だって、「お母さんが好きだったんだもん」だから、お母さんになりたくて、お母さんの真似したんだもの。

 

ハッ、

 

お母さんって、いつも、こんな思いで過ごしているの?

こんなにも退屈な毎日過ごしているの?

何か良いことないかな? って他人任せなこと考えているの?

そんな風に見えないけど。

 

ううん、違う。

 

お母さんは、わたしが自分の本音を話してくれるのをずっと待っててくれているんだ。

話さなくなったのは、わたしじゃないか!

「後で〜」って、言って待ってくれていたんだ。

わたしから話し出さないとダメじゃん!!

くだらない、取るに足らない心の変化を、返事しなくて良いから、何も言わなくていいから、聴いてほしいだけだったって、言えばいいじゃない。

「お母さんは凄いね」「何でも出来るね」「強いね」「怖いね」「優しいね」「無理しているね」「休んで」「何でも言って」「何でも言わないで」「お母さんのこと話して」って言えばいいんだよ。言えば。

言えないけど。

 

怖いもの。

 

バカにされそうで。

 

 

そんなことないのに。

 

 

そっか、「ずっと嫌われていると思ってた」んだ。お母さんに! お父さんにも!

あはははは、そんなことあるわけないのに。

あの親が。

嫌うなら、もっと辛辣だって。

もっと酷いって。鬼悪魔っていうなら、本気の鬼や悪魔を想像するなら、手ぬるさを感じられるって。だから、あれは愛してくれているってわかる。感じなくてもわかる。

わたしのこと嫌ったりしないことなんて、当たり前にわかる。

わかるんだよ。

なんで、気づかなかったんだろう。

 

嫌われる訳ないのに。

 

どこかで、嫌われている気がしているようになっていた。

それを拭い去ろうとして、探していたんだ。

こんな事、聴いて答えられる訳ないよね。

自分から、「話し出す」なんてことしない限り変わらないもの。

 

「ほんとうはどうしたの?」

 

ええ、親とくだらない話しがしたいんですよ!

 

「ワクワクして行こう」

 

親と普通に話すことがドキドキしてきたよ。

なにこの感じ!

変!

 

これが、日々の体験を親に話したくてウズウズしていたワクワクだったんだな。

 

置き去りにしてきたよ。

探して見つかるものじゃない。でも、探さないと見つからなかったよ。

 

 

ありがとう。

 

ずっと、わたしに気づかせようとしてくれていたのはわかるよ。

だから、こうしてここに連れてきてくれた。

これが、もう一人の自分だ。

 

見えないけど、聞こえないけど、確かにいる。

ここにいる。

 

 

はじめて、これがスピリチュアルだって思えたよ。

 

 

わたしがわたしを嫌わないと、好きなわたしが顔を出してくれなかったんだ。

 

ははは、難しいね。

うん、わかんない。

こんなのどうすることも出来ないや。

 

 

だから、聴きに行こう。

話しを聴いてもらおう!

 

 

 

 

よしっ、元気でた!

 

 

 


つまんねー話し書いてんじゃねーっ!

って言ってやるぜ!

全然響かないって!

わたしのことじゃないって!

お前も親に話しに行けよな!

「やっと自分の言葉で話せるようになったな」って言われてこい!

親の偉大さに触れて来ないともったいない。

いつまでも生きていると思うなよ。

今ある感じない感覚に従うなよ。

親の言葉を真に受けるな。形で示していけ。自分の見えている世界を信じてはダメだよ。

自分の事をただ話していけばいい。どんな扱いでも受けてやればいい。

好きにさせてやる。

自分が自分にそうさせているようにさ。

価値感は違うのが当たり前。同じにしたがるのが愛する人からの思いに決まっている。

すれ違うのが普通。

わかり合えないものでもいい。それでもわかり合っているのが親子というもの。

どこかで繋がっている。

期待させなくても、しなくても、一目姿を見せてあげたらいい。

言葉以上に伝わるものだ。

それが、心の繋がりってものだよ。

霊性って、そんな何も言わなくても通じ合う親子の間に流れている「わかっているよ」っていうものなだよ。

待ってくれていた。

誤解して、嫌って、傷ついて、それでも愛されていると知ってて、強がって、無理をして、意地を張り、それでもダメで、最後には泣いて、戻って、愛に触れる。

何気ない幸せがあったよ。

いつも目の前に。

ただ、引き出そうとしなかった。

受け取ろうとばかりしていた。持っていたんだ。出し方は、勇気しかなかった。

「ありがとう」

その言葉が自然に出て来る生き方をするね。

お父さん、お母さん。


おしまい

 

こういう結末を迎えました。

書いていて展開が読めない、作者の面白さ!

自分も引き出して同時に楽しむ臨場感。たまりません!

 

「後で」がどれだけ、人の心を縛り付けるか、そんな話しとなりました。

見ての通り、これはブロック外し、セッションです。

該当する人がどれだけいるかはわかりませんが、わたしなりに広範囲に該当することを対象に書き上げています。

 

どうしたいか?

ワクワクしていきたい。

 

それに従えない理由を見つけないと、何も変わらないものです。

踏み出して変えられたなら、それでいいです。

 

 

変わらない時、そこに答えがないと気づくことです。

その人では学べないと悟ることです。

そして自分が聴く耳がないかもしれないって疑えるか? です。

「わたしのこと見ていない」

って、マンツーマンのカウンセリングでもありますからね。

衝撃の事実教えてしまいますが、講師や有名ブロガーの人たちって、「騙す」ことが商売ですからね。それはわたしも例外に洩れません。ないものをあるように見せかける「騙し」と、あるものをないように見せかける「騙し」の違いだと思ってください。

 

信じて変わらない現実を見せていく「騙し」もあれば、信じずとも変わって行ってしまう現実を見せていく「騙し」もあります。

 

この区別なんて、出来やしません。

 

過ぎ去って、振り返った者だけわかります。渦中にいる時に気づくことなど無理です。
でも、渦中にいる時にしか「おや?」と思うことが出来るのですが、無視するものです。

 

その「おや?」と感じる瞬間が「聖霊の導き」なのか「悪魔の囁き」なのかの区別が出来ないだけのことです。安心感を与えるのが「悪魔の囁き」で、不安感が湧き上がるのが「聖霊の導き」だと答えを教えておきます。これを正しく論理的に解説できる智慧を身につけられるだけ、スピリチュアルを学んで来た人なら簡単に答えられます。そして追求すると誰も悪者がいなくなるという結論を導き出せる智慧を示せる人なら、正気だということです。

 

これらを読んで「面白い」と感じられたなら、正気だと思っていいと思いますよ。

 

シェアして、知り合いに「後で〜」で苦しんでいる人らを解放してあげてね。

無料だから〜。ただほど怖いものはないけどね。

商売っ気も少しは出さないとね。

3月17日(金)
パーソナリティ解説講座(立役者)

3月18日(土)
意識レベル講座 2限目

3月19日(日)〜20日(月)
誰にでも使えるタロット講座 前編・後編

3月21日(火)
パーソナリティ解説講座(発明者)

初心者からなら、そこここにあることばのちから(意識レベル講座2限目)からがいいかな。
次に、パーソナリティ解説講座(立役者)と(発明者)。
タロットは少しかじったことがある人だと、もっとすんなり入るよ。
霊性開花したい人はここに触れておくとすっごく役立つ(サイキックタロットを購入しててね)。んで、申し込みは今日(16日)まででお願い。言葉の力とタロットは資料があるので、今日中に準備しておく必要があるから。

こうしてみて。
「人生の岐路です。受ける道から続く未来。また今度として先送りにした未来。両方想像してください。それで決めたのなら、悔いは残りません。今を精一杯生きていることになりますから、安心してください」
これなら、決められるんじゃないかな?
いいのよ、先送りも大事。なんせホテルが取れないから!! 近くの人は通ってみて。
兵庫県尼崎市よ。

 

うん、元気でた!

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