改ざんのススメ

コンシェルジュのミーです。

人生は過去で出来ている。
過去の経験を見て、未来を予測する、憂う。
かつてこうだったから、未来もきっとそうなるだろう。
起きてもいない事を想像(妄)して、一喜一憂する。

しかし、過去は変えられる。
創造でもねつ造でもいい。過去は変えられる。
だって私の過去(思い出)だもの。
どう改ざんしたって構わない。

いやいや、真実があるでしょう?事実は変えられないでしょう?

真実(あるのか?)や事実は変えなくてもいい。
ただ、自分の心証を変えればいいのだ。

私は今日、過去をひとつ捏造(?)創造(?)した。

幼稚園の頃の話。
この話は、とっくに片付いた、と思っていたけれど、とある自己啓発本を
読んでいて、その文章に誘われるように、ふと、その事が思い出された。
今更、何で?
その思い出は、1枚の写真の中にある。
幼稚園の頃の集合写真。
全員制服の中、私だけ、私一人だけが私服(セーターにサスペンダー付きのパンツスタイル)で
写っている。
この日は写真を撮る為に、制服、私服、どちらでも登園可な私の幼稚園で、制服着用で来るようになっていたらしい。
が、私は制服を着て居らず、そのままセーターで写真に写っていた。
私がこの事をよく覚えていたのは、恥ずかしかったから。
そして、ちゃんとしてくれなかった母を恨んでいたから。
けど、色々と親への想いを見つめるワークなどをして、母も人間だしね、という事で
この件は片付いてたと思っていたのだけど。
思い出したからには、何か理由があるはず。

で、この件を、ちょっと別の角度でとらえてみた。
もし、これが自分原因だったらどうなんだろう?
ひょっとして、私は目立ちたいと思っていたのではないか?その他大勢のように、
同じ制服でズラッと並べられて写るのがイヤだったんじゃないだろうか?
・・・私の考えそうな事だ。私ならやりかねない。
って事は、私、制服で行かなければいけないのを、わざと無視した?
知らなかったフリをした?
・・・あら、私のやりそうな事だわ。
だったら、あら?母を責めるのはお門違い??むしろ、母は被害者?
被害者とも知らず、案外、母は自分のおっちょこちょいを責めてたかも。
娘の記念写真を台無しにしてしまった、と。
Oh! My God! ママ、ごめ〜〜ん!
やらかしたのは私でした!

顕在意識の私は、制服を着て無くて恥ずかしかった、という子供の頃の思いを覚えているんです。
でも、私の潜在意識というか無意識が『そこらへんのガキと一緒にされたくねぇんだよ!』って
思っていたら?と妄想してみたら、なんとなーくしっくりきてしまったのです。
そして、最終的に創造した事は”してやったり!”とピースサインをしてる子供の私。
え〜〜?!目的達成で小躍りしてる私ですか?!

そうか、あの事件、あの一見”失敗”と見えていた事柄は、私の中では”大成功!”だったのか・・・

表に現れている事実は違うかもしれません。本当に幼稚園からの通知を忘れていたのだと思います。でも、それを確かめる術は、もはや“記憶”という曖昧なモノに頼るしかありません。
何が真実で何が事実かなんて、確かめようもありません。
母の記憶も、私の記憶も古過ぎて、もはやセピア色な上に、モヤがかかってると思いますし。
そして、確かめる必要も無いのです。私の記憶ですから。

要は、私の心証が変わったという事。180度変わったという事。
失敗だと思っていた事は、実は自作自演で大成功だったという。

という事は、私は相当な目立ちたがり屋で人と違う事をしていたいらしい。
平凡に、普通にというのは、私の“頭”で考えている事で、本体の”わたし”というヤツは
人と同じじゃ嫌なんだって。

顕在意識はこの事実を必死に否定していたようですが、今、バレちゃった。
エゴと本来の”わたし”の中立にいる”私”にバレちゃった。
つまり、目立つ事に躊躇が無くなるんじゃないかと思う。
平凡に、普通に、という意識は薄らぎ、平凡で普通じゃ無い自分に罪悪感を感じなく
なるのではないかと思う。

つまり、またひとつ、過去から自由になれた。

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