う〜ん、わかんない -感覚- その9

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感覚

1.差でわかるもの。
2.心を動かした先の違いを「見る」「聴く」「嗅ぐ」「わかる」「触れる」「知る」「やる」「正す」「とめる」「動かす」「変える」もの。

「見る」には、1.止る、2.智る、3.現る、4.二る、5.口る、6.知る、7.見る、8.視る、9.観る、10.看る、11.相る、12.艮るという字があてがわれ、それぞれ見るものが違うことを示す。どの字も「みる」と読む。

5.口(み)るは、1.回る、2.日る、3.目る、4.田る、5.口るとあり、どれも「みる」と読むものである。

4.田(み)るは、1.見栄え、2.見られ方3.見せ方4見え方5.見た目とした口が5つある字であり、見た目では何もわからず、よく見ても新たに見えてくるものはなく、認識を改めない限り見るものは変わらないことを指すものである。

また、物事は1通りの見方しかあるわけではなく、同じものでも5通りの見え方があることを示しているものである。1.そうとしか見えない、2.よく見ればこんな風にも見えてくる、3.見る人によって見え方が変わるなら、限定すればそうとしか見えないように出来る、4.好きに見させてくれる自由がある反面、何を見せようとしてくれているか分からなくなるものもある、5.こう見た方が心地よい、といったように田という字は、口が五つあり、それぞれ「1.中身、2.内容、3.必要、4.全部、5.不要」(=以降“要言”と包括する)が含まれることとなり、5通りの見え方を網羅することの大切さを説くものである。

田(み)るは、1.中身を大切にし、2.内容を吟味しており、3.必要なものを揃え、4.全てを網羅することを心得、5.不要なものを織り交ぜる事で変化をもたらすように見ている見方である。

1.見栄えは、形を大切にし、枠組みや基礎を用意し、盤石であることが大事とされ、そこに要言が備わる事でより強固なものとして片付ける事が出来る。これは人の成長過程で言う「1.幼年」であり、幼き頃に生きる力として危険なことを避ける力や、わからなくても飛び込んで知って行く勇気の力を身につけていく段階として田(み)ていく必要がある。

2.見られ方は、形にも様々な用途があり、目的や意図するものがあり、それによって色、使い心地、機能性などの要言を織り込むことで、より良いものを仕上げることに繋げていける。これは人の成長過程で言う「2.青年」であり、様々な可能性に富んだ時期だと教えてくれている。それぞれの環境や固定観念に囚われないように自由な発想や創造性を与えることでその人に見合う力を引き出していくことが出来る。形があったとしても、それを壊して作り直せる自由を持つ事を許し、規定のものに収まらないことを教え、囚われない心の力、飛躍する心の力を養うものである。

3.見せ方は、形や色ではなく、関わる側の心理状態を察していくものであり、何かと何かを繋げる事でしか見えてこないものである。それが時に形にもなり、色にもなるが、ケースによって変わる為「これ」という定かになるものがない。どうしたいか? という思いが全てで、それによって見えるものが変わることを示している。その時々で見えるものが変わる為、同じものでも違った姿に様変わりさせることが出来る。気分を変えるとも扱われ、気持ちひとつで対象が良くも悪くもなることを教えてくれている。状況に応じて変えて行くことからも人の成長過程で言う「3.壮年」の段階であり、より良くする為にあらゆるモノの見方検討する力が養われていく。既存の見方があれば、それを基準に既存外の見方が出来るというものである。他人がどのように受け止めているのか、話し合うことで見落としているものに気づいて行くことも出来る。そうした見方の事を指す。

4.見え方は、型通りのものを手順良く守ることで同じ品質のものを創り上げる事が出来ることを知らせる見方である。構造を分解し、誰が手がけても、同じに出来上がる事を示している。どう見ても誤解が生まれないように工夫され尽くしていくもので、「そんな風には見えない」というものを無くしていくものである。見たいように見てもらう為の構造である。人の成長過程で言う「4.熟年」の段階を指し、様々な物事を隅々まで熟知していく姿をいう。手順通りにやれば出来ることも、その手順が、何故その手順でなければならないのか? 根本的なモノから分解し直して、創り変えて行く力を持つ者である。それ故、この見方を持つ者は人の話を聴かなくなり、自身が「こうだ」と思うものを追求していくこととなる。そして新しいものを生み出していく。人には見えない見方が最初から見えているのである。

5.見た目は、形のことではなく、印象としたものである。内に込められたモノが表に現れていることを示しており、そこから伝わるもので、全てが把握されてしまうものであることを教えてくれるもので在る。よって、上辺だけでもいけないし、中身だけを整えても片手落ちとなって、見た目の良さは高められないとなる。どれもが必要なものであることをここで知らせてくれているのである。人の姿は見た目ではわからぬものの、見た目で全てわかってしまうものでもある。年相応なのか、そうでないのか、それも立ち振る舞いや、物腰、目元などに現れてくる。見た目じゃないと、中身にこだわり抜いても、行き着く先は見た目になるものである。それ故、見た目を整えることが先で、中身が見合わないと、それっきりになるため、継続した付き合いをしていくのも中身は大切になってくる。自分には見えないものを人は見てる来る。人に自分の悪いところを聴ける者や、人から悪いところを言ってもらえる者は、心豊かな人である。

田(み)る力は、自分自身をどれだけ知っているか、より良く見ることをしているかを表わす見方であり、正す力のことをいう。それぞれに必要な意味や価値を備えさせ、1.幼年、2.青年、3.壮年、4.熟年といった捉え方の違い、関わり方の改め方など備えられているかが見透かされることを示している。それが全部5.実年に現れていることをいうのだ。年相応に中身が備わっているか一目見ればわかる見方がある。良い服に身を包んでも、顔つきや目つきは誤魔化しようがない。どれだけ、自分を知った気になっていても、言い聞かせで納得した振りをしている姿は、わかる人からはわかることを伝える田(み)る目があることを指している。

みんなよく田(み)ているのだ。

それを言葉に表わす事が出来なくても、与えた印象は形を変えるだけでは返られないものである。自分をよく田(み)なさい。それが自分を美しく、賢く、たくましくしていくものである。

人の見方を疑わないことである。自分の感覚と人の感覚は違うものである。その違いを取り入れ、自分の感覚を変えて行くことで、見方を変えることが出来る。相対することで、敵対するような価値感を受け入れて行くことが出来るものの見方を田(み)る力があるという。価値感の相違はある。1人であれば、対立することがない。2人であれば、対立か、協力となる。3人となると、3方に別れるか、対立か、協力となる。4人になると、4方に別れるか、2対2の対立か、4方協力か、3方と1方の対立か協力がある。

田は口が4つ揃っており、縦横に並んでいる。

 

どの口も上か下か、右か左かにある口とは一辺が重なり合うものだが、対角となる1つの口だけは辺がない。どの口も二辺で三つはまとまるが、一つはまとまらない。それが3:1という関係となる。

どれも3:1の関係となり、4パターンある全てが1つだけ相容れないものとなる。田(み)るというものは、一つを見ると同じ見え方をする「目(口が3つ)」の見方と一つしか見えない「口(口が1つ)」の見方に別れる。その両方を同時に見るのが田(み)るである。田(み)るは、4つが同じに見る為には1つが3つに合わせる時にしか成立しないものである。

田の外側を囲う口が5つ目となり、全体を見透す見方がある。

4つが、3:1×4つの関わりで協力関係を取る場合は5つ目の口は、3:1の関係性、つまり「目」とした見方が4つ合うことで違うものの見方が一つの中にあることも示している。3:1の1の方の見方は、他の3方の目には必要なものである。その必要性を見透す目を持つのが田となる。

田(み)るは、あらゆるものの見方が込められていることが1つの見方から広がりと繋がりと関わりと交わりと重なりがあるのが田(み)えているものとなる。この字に「心」が加わることで「思」となり、「おもう」とは、あらゆる心がこの中に込められていることを示し、差を感じる為に3:1というどこかで相容れない相対するものが必要となることを教えてくれいる。田(み)るは、「目(め)」で見る限り3方の口しか見えないものだから、1つの見方を見落とすものがあることをはじめから知らせる字である。よく見ても田(み)えないものがある。それは他者の目を通してしか見えないものである為、他者の見え方を信頼する心が必要となる。それを「思いやり」という。

田(み)るとは、一つのものの中に全てのものが込められていることを示しており、見続けることであらゆるモノが自身との思いとの繋がり合いで保たれていることがわかり、それを意図的に動かすことで、あらゆるモノを変えて行くことが出来ることを教えてくれるものである。

「田(み)れば田(み)るほど奥が深い」という言葉に現れており、「田(み)飽きない」といった感覚の使い方として現れてくるものである。感覚は意図的に動かさなければ差を生み出すことは出来ない事を教えてくれるものである。

 

以上だわ。

ひぃぃぃぃ。無茶苦茶時間かかった。

ずっと取り組んでいたんだよ。

 

 

お待たせしました。

ほんと、苦労したわ。

感覚を言語化することの難儀さ。自分が感覚でやっているのを人に伝える難しさを実感したよ。これ書いて説明しているけど、直ぐにはなんもわからんと思う。

感覚ってのは使いこなせて、はじめて知識と結びつくものだから。
けれども、この知識の支えがあるから、間違わずに進めると言うのもある。

 

繰り返し読んで、自分なりに掴み取っていってね。

 

霊性練習会なんて講座があったら迷わず参加してみて。瞑想会でも。表裏構造でも。

うちが開く講座はどれも感覚を研ぎ澄ます切っ掛けになるものばかりだからさ。

 

あなたがいるから頑張れる。

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