いつものようにはいかない

「嫌われる勇気」なんて著書があるってね。
タイトルから大体の内容が想像つくけど、「嫌われたいです」って、読んで公言出来る人ってっているんかいな? でもそういう事じゃないよね?

まぁ、読みもしない奴が言う事じゃないですな。

心ってものは、他人と付き合う為の見栄え重視の「型の心」ってのがあって、基本人付き合いはこの型から入る心が中心になっている。世の中大体それで出来ている。

だから礼節とか、態度とか、ノウハウのあれこれを指南してくれたりする。

この型中心の社会に、身内とか内輪感覚で付き合う「枠の心」ってのがあって、これを持ち込むと、偏った見方などと言われて偏見を持たれたりする。

この枠の中なら、少々のことなら許されるし、同じ仲間意識が強いから周りが守ってくれるし、叱られたり、怒られたりするようなことはまずない。相手に合わせて付き合うものとなるから、喧嘩とか上下関係を崩すようなことは御法度。肩書きとかも大事ね。ここに他人付き合いの「型の心」を持ち込むと、「枠」に閉じこもりたい人たちであれば、余所者が来たって扱いして嫌うのね。外のルールを内に持ち込まないで! ってなる。家族って枠であれば「余所は余所、家はうち」って言ったりして、他者との交流とか遮断する発想に凝り固まる。

さらに深めると、個々人の自分中心軸となる「内の心」ってのがあって、ここが心の砦なんだよね。大体がコイツが自己ツッコミ入れる奴で、脳内妄想とか繰り広げてくれる楽しい奴なんだよ。他人と付き合うときも、内心の毒吐きとか、身内と付き合うときも、理解出来ないって思い悩むのもコイツね。

「嫌われる勇気」なんて著書は、まさにこの「内の心」に向けて書いてあるもので、実際に大胆に他人や身内に対して行動に移せる人はドストレートタイプの直球勝負が出来る性格の人だけだったりする。

著者がそんなタイプの人だからね。

 

まぁ、「嫌われて構わない」って思うのと「嫌われたい」っていうのでもニュアンスは違うし、意味も違う。他人が自分の人生の責任を取ってくれることはない。だから人の言うことなど聴く価値はない。って言い切ってもいいぐらいに役に立たないものとして一度全部人の教えなんてものを捨て去るといい。

大体自分の人生を苦しませている張本人は「人の教え」だったりして、自分の教えじゃないんだよ。「人の教え」で有効なのは「型の心」だけだったりする。だから役に立たないとは言い難い。つまり、使いどころを間違えたら役に立たないってこと。

もちろん、身内向けやの「枠の心」に働きかける教えも、個々人の芯の部分に働きかける「内の心」を動かす教えもあったりするが、それを人が教えてくれたからってするんじゃなくて、自分もその通りだと納得し合点が行き、そのまま考えずに行動に移せるってレベルでなければ意味はないってだけ。知識を活用しなければゴミかクズでしかないからさ。役に立たないどころか、害悪にしかならない知識を持ち歩いても仕方ないでしょ? ってなもの。

 

他人に嫌われていい、身内に嫌われていい、親友や最愛の人に嫌われていい、って書き分けると、嫌われる勇気ってどこに向けて書いてあるかがわかるかい?

 

そして、商売や収入において、もっとも大切にしなければならないのは、見ず知らずの他人に無視されていい、これまで懇意にしてくれたファンに無視されていい、親友や最愛の人の支援者に無視されていいってすると、嫌われる勇気はどこに向けて使わないと、現状を打破出来ないかわかるかい?

 

考えてみることだよ。

 

心ってものは、使い道を間違えると解釈の根幹そのものを履き違えて苦しみ続けることになる。それをあなただけに向けて書くような著書は存在出来ない。存在しないからね。「私の為に書いてある」って思うのは幸いだけどさ、本のやブログなどの文字情報では限界があるってこと。まぁ、だから図解にしろとか、映像にしろっていうんだけどね。やはり直接会いに来ないと話にならない。

 

だから、会いに来てね。

面白い話しするから。

 

東京近郊の人は「茨城県潮来市日の出町」ってところで「そこここにあることばのちから1限目」ってのが5/2(火)にあるから、来てみるといいよ。

10:00〜17:00まで、参加費16,200だから、自分のわがままさ加減を自覚しないと改善にも繋がらないことの切っ掛けを伝えるよん。

 

 

 

動いたことでしか現実は変えられない。

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