改ざんのススメ②

過去は変えられる、というテクニックを手に入れ、ちょっと小躍り、いや、キング&クィーンのお立ち台で踊り狂ってる(やった事無いけど)コンシェルジュのミーです。

マハラジャ、ではなく、あえてのキング&クィーン。広島にはそれしか無かったから^^;

記憶、というのは思い込み、と言い換える事ができるかもしれません。
誰も、正確な記憶は記憶していないから。
いや、起こった事実は記憶しているかもしれない。
けれど、それにまつわるエトセトラ、感情や印象、自分の掴んだ気持ち、特に人間関係に関する自分の気持ちや判断がはたして本当か?
当事者同士で記憶を持ち寄った時、はたしてあなたの記憶と一致するか?
多分、正確には一致しないと思います。

歴史だって、その時の情勢の具合で改ざんされている。
だったら自分の記憶だって改ざんしたってかまわないのではないだろうか?

自分の記憶だ。記憶は自分の所有物だ。誰に遠慮がいるものか!
ちなみに、今、わたしが語っている“記憶”というヤツは、人生がつまずく要因となる
記憶についての話で「記憶にないので宿題やってません」とか「記憶に無いので、仕事の締め切り過ぎちゃいました^^」っていう話ではない。
やってもいいけど、後々、自分が更に苦しくなるから、オススメはしません。

今日も楽しい日を送れました!と思えている人はスルーして良いです。
そうで無い人には、今日一日の記憶の改ざんをおススメします。
なんだか冴えない一日だったな〜。と思ったら、即「そんな事は無い!今日も一日、私は
立派に生きました!」とか「根拠は無いけど、今日は私にとって良き一日でいた」と
一瞬だけでも思って欲しい。
鬱々としていると、ほぼほぼ、自責をしている。自責=体をいじめている。
ストレスが体に良くない、という話は常識になっている。
つまり、ストレス(鬱々)は体に悪い=体をいじめている。
なので、四六時中、体をいじめているのだ。
「いじめは良くありません!」と世間で言ってますよね?
大方のの人が、いじめは良くありません、と言いながら、自責で自分の体をいじめているのだから話が矛盾している、と思うのは私だけだろうか?

とにかく。
自分を責め始めたら、まず、それに気が付いてほしいのです。
そして、1ミリ程度で良いので、心を動かして「私が責められるゆえんは無い!」と
一瞬で良いので、責められてる体を解放してあげてほしいのです。
『私が悪かったのよ・・・』と思っているなら、何とか理由をつけて『私は悪くない!』という記憶に改ざんして下さい。

くれぐれも「あ〜〜また責めちゃった!私ってダメね・・・」とダブルで責めないように。
それは本末転倒ですから。

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