それ、常識でしょ? 発達障害の双方の苦悩

NHKの「発達障害」を見ました。
途中から寝てしまったが。

ポスターに気を取られて、授業に集中出来ず、前を向いたら、シュシュに気を取られて集中出来ない……、小さい頃はそんな感じだった気がする……。っていうと、みんな多動性なんじゃね? とか思ったりしたりして。

それ、常識でしょ?

って、昨日の普通でしょ? と合わせて振り返っておきたい言葉よね。

今日は、発達障害って言葉ってどんな雰囲気が含まれているの? って見ていきたい。

 

「発達障害」
0.嘘つけ。
1.そんなはずはない、普通だよ。
2.変な子。
3.嫌な感じの子。
4.気味悪い。
5.キチガイ。
6.不気味。
7.分からない子。
8.何もしない子。
9.良い子。
10.知らないだけの子。
11.助けてくれる子。

って認識されるみたいだね。0〜7までで認知している人が大半だろうね。だからこうした番組で理解を深めて11の助けになる部分があることが広まれば、相互に助かることへと繋がるだろうね。これがまた中々わかんないからさ。0〜6までの解釈で持っている人は、その解釈を取り下げて、改めることそのものが出来ないものだから、衝突しか生まないの。これが厄介。認識を改めるって、超むずいのね。何でって、価値感を否定されるんだよ。「お前の解釈は間違っている!」って指さされちゃうわけ。健常的に生きていた側として、それは苦痛極まりないものなの。今まで「変な子」と言っていた自分が否定されちゃうわけで、「良い子」なんかに書き換えられるなんて洗脳以外に感じられないんだから。

そんな訳で、権威ある番組とか人たちが声を大きくして多数派になっていかないと、認識を改めていくって困難なのよ。

それでもまだ、これはまともな方。

もう一方の認識を紹介するよ。

「発達障害」
0.人じゃない。
1.生かしていてはダメだ。
2.出来損ない。
3.壊れた人。
4.精神障害者。
5.奇人。
6.異常者。
7.狂人。
8.隔離するべき者。
9.神として崇める者。
10.知恵のない者。
11.何もさせてはいけない者。

という解釈が、発達障害という言葉の裏に込められたニュアンスがある。
雰囲気ね。
こういうことを感じている人もいるってこと。
良い悪いは言わないよ。

発達障害という言葉を使う事で、こうしたニュアンスの差異を一括りにして臆す事は出来る。

でも、雰囲気までは隠せない。
だから、誰が何を思って口にしているか、分かる子には分かっちゃうんだよね。

 

言葉って、左脳的知性と、右脳的感性みたいなのがあるのはわかる?

例えば、「許して」って言葉があるじゃない?

左脳なら、許してと聞くと「許して」「なにもしない」と解釈するものだけど、右脳なら「許して」「わからなくなる」が届くのね。これを標準というのはおこがましいし、わたしの独自の見解だから説得力はないけど、一般的な解釈はこれじゃないの。一般(世間的に7割ぐらいの人の解釈という定義)では左脳では「許して」→「罪悪を認めて、私を納得したらやめてやる」と解釈されているし、右脳では「許して」→「絶対許さない」と認知されて、執拗に繰り返すことになるのね。

つまり、一般で「許して」なんて言葉を発達障害の人から聴くと「カチン」と来るものなの。素直に「なにもしないよ」ごめん、君の事が「わからなかったよ」とはならないのよ。

また、発達障害の人の8割型は、左脳と右脳が見事に連動しており、一致していないと解釈や認知が出来ないの。この社会は左脳優位になり過ぎて、言葉だけが一人歩きして言葉の持つ雰囲気と一致していないの。

だから、左脳「罪悪を認めて、私を納得したらやめてやる」と右脳「絶対許さない」は、左脳右脳を連動して受け取るとなると言葉は「壊れてしまえ」が適切な表現になるのね。

発達障害の「許して」は、健常者の「壊れてしまえ」と同じ意味(雰囲気)を持つことになるのよ。

まぁ、こんなのは発達障害に限らず、どこにでも見かける言葉の解釈の違いが働くもので、端から見ると問題ないのに、当事者になるとブチ切れてしまう故に、発達障害の問題はどんなに紐解こうとしても言葉の解釈がここまで違うと立証出来ないの。

許しては許してでしょ?

普通なら(←ささ、ニュアンスを感じ取ってwww)、言われたらやめるものじゃない。

許しても「二度とするなよ」と、念押すけど、二度も三度もするから、結局「壊れてしまえ」に辿り着いてしまう訳よ。自分の常識の全てが破壊されるようなものだからね。左脳と右脳のバランスが崩れていることをこれでもかって叩きのめされていくから、健常者は多数を武器にして少数を叩く理論を常套手段で使い続けるからね。

 

左脳と右脳のバランスを崩していく事が出来れば、社会に順応出来るのね。

この解釈おっかないでしょ?

心のバランスを崩せば、我慢するなど出来るから、そうして自分を破壊していく訳よ。
しかし、我慢している健常者の前に、発達障害の人が近づくと、発達障害の人は正常ではいられなくなるのね。我慢する心の声というか、苦しみとか、辛さがバンバンに伝わって、何がなんだか分からなくなるの。これは半端ない苦しみよ。

我慢するだけでも健常者は苦しいのに、目の前で発達障害の子が暴走するのだから、苦しみは倍になって返ってくる感じなの。その苦しみから逃れる簡単な方法は、発達障害の子を排除することに繋がり易いわけ。だから、「壊してしまえ」に至りやすいのよ。

 

それでも色んな心の働きがあるから、手を挙げようとして思い留めたり、暴言を吐きかけて、呑み込んでやめたりして、なんとか理性で人との関わりを保とうとするのよ。

 

じゃぁ、どうしたら?

ってもんだけどさ。

一筋縄にはいかんよ。

あれだけの人が関わって、研究し、解明に至るまで大変な時間と労力を費やしても、社会の認知はこんなものだもの。それでも、家族の一人として、友人の一人として、当事者として役に立てることを伝えるなら。

 

いつも通りでいてね。あなたがまず自分自身を労るところからはじめてね。優しい心はタップリ休息を取って、くつろげていることが何より大事だから。だから忙しない状態である環境下であるなら、そこから離れるか、片付けてもらうか、隔離して一人きりになれるようにしてもらってね。人よりたくさん寝てください。何も考えないでいい時間を作りましょう。当事者も周りの人も同じです。あなたが一番楽な気持ちに変わる事が最大の貢献に繋がります。楽しませようとか、楽しもうとかしなくていいです。一人でいても平和です。見ないでいてください。当事者なら自分を構わない事です。保護者なら観視しないことです。保護者なら自分の趣味や興味あることに没頭することが何より大事です。あなたの心に平穏が取り戻すことが最優先課題です。散らかった時、イライラしたり、泣きたくなるなら、穏やかではありません。ただ作業として片付ければ済むだけになれたとき、穏やかです。感情の乱れが、一番の害悪として当事者にも、保護者にも負担にしかなりません。原因は双方にあるものです。双方の協力なしには成し得ません。出来る方がやればいいです。そして確かめてください。

「私は死んだ方がいい?」
「私はいなくなった方が幸せ?」
「私は消えて無くなる方が苦痛から解放される?」
「私はダメな存在?」
「私は周りの人を傷つけているの?」
「私は悪い子だから、罰を与えられなければならないの?」
「私は何もしなくても生きていていいの?」
「私は何かの力になることが出来るの?」
「私と一緒にわからないことをわかるように探してくれる?」
「私はここに居ていいですか?」
「私は誰ですか?」
「私は一人では生きられません。一人で生きられるように育てないでください。みんなの助けを借りられる人で居たいのです。私にも出来る事があります。それを一緒に探してくださいませんか?」
「私はあなたの力なしに前に進めない人です。力を貸してくれませんか?」
「私は思っている事を言葉に出来ません。私から思いを引き出すのはやめてください。あなたの言いなりで生きている存在です。だから、私をよりよく生きられるように操ってください。その時が一番の幸せを感じられるから。お願いします」

これらを言い合ってみてください。

言葉に出来ない人は、手紙に書いて見てください。

知り合いに伝えてください。

 

発達障害を持つ親、当事者、関係者、本当に苦労しています。
それ以外の人も出来る事としたら、あなたの心が穏やかでいることです。

それだけです。

 

それが一番確実に出来る事です。

 

ずっとわかってあげたかった。

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