あなただけにはわかってもらえない アスペルガーの苦しみ

当事者でもないのに、適当な事を書くな。

そんな事、思う事ってあるよね?

外部から適当なこと並べられて、あたかも知った風な口を聴かれるとカチンと来たりする。

馴染みの人からなら、話が早い。

だから、共感出来る人、尊敬している人から話しを聴きたい。

人ってそんなもの。

 

子育てした事ない奴が、子育ての記事など書くなと言われた事がある。

確かに、育児なんてした内に入らないし、小中学などの我が子と接した経験なんて皆無だわ。

だから言われた。

近しい人からだからね。

ここんところ、発達障害を私の見知から書いてみたりしている。

当事者でもないけどさ。だから要らぬところで不快を買っているかも? なーんて思ったけど、ごめん、気にする事が出来ない。

 

んで、「発達障害とは言うものの、、」といううちのスタッフの阿瀬井香織のブログを読んで、さすが当事者だなぁって思ったのよ。彼女は発達障害を持つ子を引き取って育てている人なのね。自分の子でないの。現実に行動しているってのが凄い。

カウンセリング力も群を抜いている人なので、まさみちのカウンセリング受けたいけど、予約ない、この人どんな人なの? って、知りたいしカウンセリング受けたい人には、うちのスタッフに頼んでみてね。全然宣伝しないので、「どんなんだろう?」と迷うもんだろうけど、どの人も凄いから、門叩いてみてね。>カウンセラー

 

彼女の記事を見ても「スペクトラム」って何? ってなるので、ググって見た。

連続体の方がわかりやすいのは私だけだろうか?

なして、こうも日本語があるにも関わらず、横文字にするのかね?

自閉症連続体の方が関心持てそうなんだけど。んで、合わせてあったのがアスペルガー症候群が併記されてるの。

読んでみたら、まぁ、どれもドンピシャで該当する始末。

マジ?

オレってもしかしなくてもアスペルガーだったの?(でも診断項目は違うんだけどね)

香織は口調からして、まぁ言い張っているからそうなんだろうけど、うちも十分アスペルガーだったわ。道理で彼女の気持ちが代弁できる訳だ。

 

参考にした記事はここね。他にもチラホラ見たけど。>ASD(自閉症スペクトラム・アスペルガー症候群)

ふはーって感じ。

過去世では、アスペルガーで生きていた時代があったから、その当時の気持ちを掘り起こして、記事にしてみようと思ったら今世もそうだったってオチでしたよ。

道理でだわ。

 

そして、私の周りにはアスペルガー症候群の人は多い。
たっくさんいるから。

  • 嘘がつけない正直者。”空気の読めない”、場にそぐわないような発言をしてしまうことが多い。
  • 好きなことはとことん突き詰める。逆に興味のないことは全くの無関心になる。
  • 寡黙。考えを表に出すことが苦手で、意図のない”おしゃべり”を嫌う。
  • 多弁。人見知りせず、相手を選ばずに自分のペースで話をしていく。

これこれ。

一応、この定義に当てはまるかどうかだよ。
いざ、自分が該当者だと気づくってのも変な感じだね。
診断項目を見ると該当しなさそうに感じるけど、どうやら世間的には私はASDに区分する方が安定しそうだってこと。

 

まぁ、こういうの見てても興味のないことは全く無関心になるって、それB型じゃね? って程度で認知していたくらいだけどね。A型だけど(父がA型、母がB型だったものだから、B混じりのAと解釈してたわ)。この定義に当てはめるとうちの母も該当者だわ。だからか。って思う節が多々ある。←この文は全く意味のない戯れ言よ

 

しかしなんだね、昨日まで健常者の一員として振る舞ってきたら、ASDだってよって今日判明して(診断受けてないっつーの)、ふーんって感じだけど、生きづらいのはただ他者とのコミュニケーションが個別主体か、全体主体かの違いじゃね? ってアスペルガーから言わせてもらうと思う訳よ。

あんたら←wwwは、個体として主体的に活動できるのに対して、こちらは全体として客体的に活動しているに過ぎないって。

 

こうした診断結果は、第三者には有効だけど、当事者間って有効に働くかね?
確かに、該当者になると、身内に対して「ASDに診断された」って報告出来たら、万々歳な気持ちの自分もいる。要らぬ説明とかなくなるからね、「こいつ病気だから」て言われて悲しくなるどころか、嬉しくなるwww。病気じゃないしね。

 

うちは変人を地で行くと決めている人だから、周りの目など気にもしないけれど、それ故に信憑性のないことばかり書いていたりするから、該当した人はすっごく為になるけど、そうでない人にはとてつもなく嫌な気持ちにさせることもあったりして、嫌なら読むなよって断ち切りたい訳ね。でもさ、客体的に動くアスペルガーの人って、自分の意思が周りによって形成されているってことがわかってこないと、思うように動けないのね。

 

もちろん、自分の意思があるし、自分で決めて動けるところもあるよ。

でも、嘘つけない類いの部分って、どうにも動けないの。
その動けないメカニズムを解明すると、動けるように変れたり、動かなくてもいいように整えられたりして、主体的に活動する人たちの解釈とかなり違うのね。

 

なんせ、自分で自分の事がわからないのに、人に研究されて表現したところで、観察者の影響を受けるアスペルガーの真意を汲み取れるだろうか? ってものだもの。

アスペルガーだから感覚の鋭さが説明出来るというなら、うちのこの能力もそうしたものの一つの現れとして見ることが出来るけどね。でも知人にアスペルガーでないのに霊性高い人も揃い踏みしているからね。かといって、アスペルガーだから、私と同じレベルのことが出来るか? っていうと、まだいないしね。

 

私の場合は、外から認知できるほど顕著に表れるようなアスペルガーではないけれど、「主体性(個別性)」「客体性(全体性)」かのこの一点だけで判別するなら、私は後者に属するってだけ。それを世の中ではどうやらアスペルガーと名付けているので、都合いいから拝借させてもらおうって感じなのね。

 

主体性(個別性)はさ、間違えないようにすることが出来る人って言ったらいいかな。自分の意思で、間違えたと思ったら、間違いを否定することで間違えないようにすることが出来るって感じ。

客体性(全体性)はさ、間違えないようにするには、間違えていいと周りが許してくれていないと安定出来ないし、周りが間違いを受け入れた上で正しいことが「みんな」出来ていると出来るようになるって感じ。

正しいことを為すのに、主体性の人は単体で出来るのに対して、客体性の人は全体で出来るようにしていく感じね。みんなが協力的でないとどうすることも出来なくなるの。これ本当にしんどいのね。ただ、自分を振り返ると発症する事例が時と場合で様々だから一概に言えない。

 

だから、アスペルガー系の人って、新しい出来事や、人に出くわすと、その人との間にある認識の誤差を整えようとするので、不機嫌になったり、奇声を発するとか、泣き出すとか、場に溶け込もうとするので、非常に不安定になるのね。

 

 

こうやって書くと、じゃ、「主体」って何? とかならない?

そう、言葉って、言葉で支えられているから主体とか客体とか言われてもわかんないってなるでしょ?

主体は、見ている側のこと。つまり私とあなた、でいうなら「私が見ているあなた」としていられること。
客体は、見られている側のこと。つまり私とあなた、でいうなら「あなたから見た私」としていること。

また、主体は、誰もが同じ認識を持つことが大切としており、「共通する言葉」を大切にするので基準は外にあるのに対して、客体は、それぞれが違う認識を持つことが大切としており、「あなたの言葉」を大切にするので、基準は内にあるものなの。

こう書くと、主体も客体も入り交じって存在しているものだとして認識出来るなら、バランスが取れている人だってわかると思うのね。

 

だから、主体性の個別重視の人も、客体性を持って全体性の調和を意識していく必要があるし、客体性の全体重視の人も、主体性を持って個別性を合わせ持ってバランスを取っていくと、より相互の理解が深まるよってもの。出来る人がやればいいってものだよ。

実際、端から見てもアスペルガーとかと一目見てわかるような子なら、調和とかバランスとかいう以前に、落ち着ける環境を整えてあげないと、コミュニケーションの回復もままならないような気もするけどね。

 

うちは、本来アスペルガーで客体性だった生き方から、世の中に合わせるために色んなものを犠牲にして主体性を身につけてみたのね。でも、結局それで人生破綻したから、やめちゃったの。外の基準に合わせて私は幸せにならなかったもの。

でも、バランスだから外に基準を持つ事もとても大事。

だから、一切合切外からもたらされた基準を捨てたの。

大混乱よ。

繋がりを断つような生き方に切り替えたものだから、もうてんやわんや。

それでも、世の中ってさ。食って行ければ認知されるじゃない(仕事していれば)。

どうにかそれで私は生きていけるようになったけどね。

私のような軽度? のアスペルガーの人って、認知されないからコミュニケーションが本当に中途半端に取れなくて困惑するよね。私のように自分の心を読み取って言語化できる人なんて希有だろうし。「こうです」と言われたら、冗談にしなければならない類いでも本気で受け止めてしまうしね。

 

言った方が困るようなリアクションしか取れない感じはあるし、やってしまうこともある。

良い分にも悪い分にも。

それでも、検索して見るような大変な体験は感じていないから、こうして自分がアスペルガーなんて表現しても診断されない現状では、思い込みの範囲を超えないし、診断してもらうほど困窮している訳でもないからね。話の種ぐらいの感覚。でも、新たな認識をもらったよ。

 

主体性感性と、客体性感性で断ち振る舞う人の違いをね。
これで、またサポートの助けになるなら、こういう識別力を見つけられたのは本当に良かったよ。

主体性の人(健常者)には、客体性(ASDなどの感覚が人と違う者)の人と関わる時、「あなたに合わせるから」と言い、「いい奴なんだな」って眼差しで関わり続けてあげると、安定していきます。

客体性の人(ASDなどの感覚が人と違う者)が、主体性(健常者)と関わる時、「何も思っていませんので、嫌わないでください」とお願いし、主体性側の人が「嫌わないよ」と答えてあげることで、客体性の人が「嫌われない」に縛られるので安定していきます。

 

これはまぁ、誰でもこうした関わり方をすると、みんな落ち着いた気持ちでいられると思うから、「誰?」ってもんでもないのかもなぁって思うけどね。

 

 

こう書いても、目の前にいるあなただけは認めてくれない。
なーんてのが、ASDの辛いところなんじゃね? と医者に診断されても「あんたは違うでしょ」で思われる(口では言わないが、内心は医者の言うことさえ信じない身内たちがいるって意味)現実は回避出来ない問題なんだよね。

 

 

コミュニケーション障害は、思いやりという名の気遣う振りが害悪となる。

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