許さない事が正しいとしたら?

コンシェルジュのミーです。
講座受講のご感想インタビューの記事の中で、<許さない事が正しいとしたら?>
がよくわからない、という事が気になって、私なりの解釈を記事にしてみました。

許さない事が正しい?
許せ、許せと、執着するな、という話の中で、許さない事がOKってどゆこと?
混乱しますね〜。
私も、許す事が大事な事だ、許せない私がダメなんだ!と思っていた時、許さないのが正しいんだよ、
と言われ、鳩が豆鉄砲状態になった事があります。
当時の私の悩みは、過去の出来事が許せず、悶絶しておりました。
私が不当に扱われたんですね。
でも、私が不当に扱われたのは、それなりに理由があり学びだったんだ。その出来事を許そう、って
あーでも無い、こーでも無い、こう考えてはどうだ?!いやいやいやいや、それでもダメだ。
どうもひっかかる。スッキリと許せない。あ〜なんて私は心が狭いんだ、と。
そして、やりつくしてグダグダになってる所へ鶴の、いや神の、いやまきさんの一声。
許さない事が正しいとしたら?
へ?
最初は意味がわからな過ぎて、北京語でも喋っているのか?と思いましたよ。
その出来事を許すんじゃなくて、その出来事を許しちゃいけないの。
その出来事を許す、という事は、不当に扱われた事を許す事になる訳ですよ。
不当に扱われる私、を許す。
いやいやいや、私が不当に扱われる事は許しちゃダメなんです。
不当に扱う人を許さない、じゃなくて、不当に扱われる自分を許しちゃダメなんです。
不当に扱われる事を許してるって事は、不当に扱われるダメダメな自分がいる訳です。
それを許してはいけない。
言い換えれば、そのままにしておいてはいけない。
不当に扱われるのが、自分原因説で言えば、自分に何らかのスキ、というか落ち度があった分けです。
落ち度というのは語弊があるかもしれませ。何らかの修正箇所があった、という事です。
修正箇所がある=伸び代がある、成長できる、という事。
不当に扱われた出来事を許してしまったら、修正箇所のある自分を許すという事になる。
そうすると、修正箇所を治さず、放置してしまう事に。
なので、不当に扱われた自分を許してはいけないのです。
そこは、何やってんだ、おまえ!と自分が自分に叱咤激励しないと。
同じ例で、別のパターン。
不当に扱った相手を許してはいけない場合もあります。
なぜならば、その人が未熟だから。
未熟だから無知だから、よく考えず人を不当に扱った。
その人の事は許さず、むしろ同じエネルギーを返してあげる事です。
それが、その人の学びになります。
自分の方が魂的に大人で、相手が魂的に未熟であれば、毅然とした態度で、それはいけない!と
注意、あるいは教える事をしないといけないのです。
例えば自分が大人で、幼稚園児がそれで人が傷つく事を知らず、包丁を振り回してたら
とりあえず取り上げて怒鳴って教えるでしょ?(優しく諭してもいいけど、多分、その状況だと怒鳴るな^^;)
ただね、現世で自分より図体のでかい大人が、実は幼稚園児だったりするから注意できなかったり
自分の方が未熟で反省する立場だ、とか思っちゃうからややこしい。
その人の、自分の事も相手の事も“本質”が見えるのが、一番いいんだけどね。
だから、内観したりブロック外したりして、自分の本質に近づこうとするのよね。
不当に扱われ、それがカルマの清算とか、何かの学びの場合もあるので、たいていは、
そっちの方向でわだかまりを解こうとしますよね。
だけど、それで行き詰まったら、悶々としたら<許さない>という方向で探してみると
いいと思います。
それで、自分の体感覚で「スッキリ!」したら、実はそっちが正解だったりするのでね。
「許さなければ・・・」という思い込みが、答えを遠ざけているのかもしれません。
2例あげてみましたが、許さない事が正しい、とは、こういう事だったりするのかな?
という私なりの理解の解説でした。


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