彼氏彼女の事情 その16

あれもアスペル反応、これもアスペル反応の映し出しだったりして、気づき出すとどれもこれもアスペル症状の連続だったりして、厄介な限り。

彼氏とか彼女とか、新たな環境に身を置くと、その人の家族や周りの人との調和を図るため、難題をその身にまとう訳です。そしてその中でも見事良好な関係を築き挙げるといいのです。

って、出来るか〜!(*`Д´*)

ってなものですよ。ホントに。

特に私のように、内の心(最愛の人)にしか(二人っきりのみ)で表れないアスペ反応者は厄介ですよ。
しかも、自分が暴走するならいいけど、相方が暴走する。
私がアスペなのに、定型の人が暴走する!
相手が暴走しているから、自分がアスペだとは気づかない。

 

まぁ、いいや。続き書こう。

1.「いなくなりたい」
2.「離れたい」
3.「別れたい」
4.「この人とはもう無理だな」
5.「わからなくなった」
6.「嫌しかない」
7.「壊してしまいたい」
8.「困らせたい」
9.「自分を痛めつけたい」
10.「何も考えられなくなる」
11.「理解不能な行動に出てしまう」
12.「愛する人がもっとも嫌がる最悪なことをしでかす」

 

4.「この人とはもう無理だな」
アスペルガー症候群の人(もしくはそれに付き合う人)は、よくこんな事を思うのね。
それでもお付き合いを大事にしないといけないし、こんな事思ってはいけないとして、打ち消して付き合い続けたりするの。

やればやるほど、疲弊していくけどね。

そして限界超えたら、「やっぱり無理でした」って壊れるの。

まぁ、私も若い頃は東京暮らししていましたが、「東京で暮らすのはもう無理だな」って挫折して出て行ったのを、昨日思い出しましたよ。

そっか。無理だったんだって。

大いに傷ついて、動けなくなっている心を発見してビックリしましたよ。

そんな風に、人と人との間も、無理に無理を重ねて、最後には壊れて動けなくなり、うつモードとかに入る人とかも居たりする。

こんな事を思う人を「全て受け入れてあげたい」って思える? アスペの人は、限界感じて無理! ギブ(降参)ってしている訳ね。

受け入れられるほど、苦しくなるアスペ。

愛の眼差しを向ける人の心の内に、「私自身を許せない」って宿しているのね。
色々事情があるでしょうけどね。
自分をどんなことしても許せないって! 「許されざる者」なんて映画あったけど、まさに自分の中に「許さない部分」を隠し持っている訳よ。

何を許さないでいるのかというと、
「1.いい人に思われること」
「2.正しいことを口にすること」
「3.逃げ出さないこと」
「4.代わること」
が挙げられる。また、長くなりそうだけど、重要だから書くよ。

「1.いい人に思われること」
って、なんで許さないのかって、いい気になっているとか、思い上がっているとか、何様のつもりだとか、心が成熟した状態の姿がどんな姿で表わしていいかわからないと、こうなるの。実は、悪の心に染まっている人が、いい人を見ると、尊大とか、偉そうにとか、生意気にとか、わかった風な口聴くなとか、とにかく悪い人に見えるのにね。だから、そんな人にならないようにする為に、「いい人になりたくない」ってなっちゃうの。悪い人に見えていたあの人を、いい人だっただなんて思いたくない、悪い人心理が隠れているってことよ。いい加減自分が悪人でしたって認めたら? って話し。そうでないと、愛する人を苦しめて死なすよ。

「2.正しいことを口にすること」
これって難しくてさ。思いついた、罵詈雑言の類いの汚い言葉たちが、実は「正しいこと」だとしたら? 言える? って話しよ。先入観に囚われて、きれいな言葉や、美しい言葉しか使ってはならないと学習するしかなかった人たちに取って、「正しいことを口にする」って中に醜い言葉や、汚らしい言葉や、間違っているような言葉たちを使うことを許さないのね。許さない心があるから、それを映し出すアスペが苦しむの。だから、汚い言葉を本人に投げかけると、スッと楽になるんだけど、「あなたを助けたいの」と言われる限り、苦しみ続けるの。だから、「もう無理」って思うのね。それを「あんたのこと? 知らんがな。自分で生きてちょ」って見捨ててあげると、ぐんぐん元気になるってこと。こんなカラクリも知らない人が、道徳とか優しさとか思いやりとかをメッチャ大事にしているのよ。そして一番近しい身内を虐げている現実には触れようとしないのね。だって、グズグズしているアスペの発達障害者が悪いって見下しているもの〜。まぁ、事実を受け止められる人はこの文章が読めるだろうけど、自分が間違ったことをして生きているって認める余裕のない人は読めないよ。

「3.逃げ出さないこと」
これさ。その場所が正解ならいいよ。ここから逃げ出してはいけないって言えるけど、その場が最悪な場所なら? 逃げ出さないといけないでしょ? 今なんかさ、いじめられたなら、そこから全力で逃げなさい。逃げていいからって教えが広まりつつあるけど、親から逃げられないでしょ? 愛する人から? 養ってくれている相手から? 親が、愛する人が、養う人が、「逃げちゃダメ」って許さないでいたら? それを受け取るアスペの人は、どこにも居場所がない感覚に悩まされることになるの。とにかく「ここに居てはいけない」なんて感覚になるの。たまったもんじゃないよ。寝られなくなるし。寝てても眠たくなるしね。疲れて動けなくなるの。繋がりたい人と関われなくなるの。何をするにも許されないって気がして出来なくなるの。この動けなくなる感覚は、囚われた者にしかわからないよ。みんなさ、動けない感覚って理解されないから、やる気のない奴とか、変える気のない奴とかって言われてしまうけど、見ているあなたの心の底に「逃げ出さない」と決めた心があるから、動けなくさせているって発想は持てないよね? 人の心が繋がり合って成立しているって知識がないからさ。あなたが目撃しているにも関わらず、目撃しているあなた自身の問題と認識できない程度の低い知能しか持ち合わせていないってことだって知っている? 見たいように見ているって言うでしょ? 「あなた頑固だから、もっと柔軟に考えようよ」って思いやりあるアドバイスをしているつもりでも、「頑固にさせているのは、言っている本人が頑固な部分が残っているから」とは思わないの。ホント、やめてしほいわって思うもの。アスペの人は、そうした愛の眼差しに従うから、「逃げ出さないこと」って許されないと、逃げ場を失うの。出来ないまま固定化されるの。アスペの人は、見ている人(親とかパートナーとか、みんなとか)が原因とは思わないから、一生懸命自分の何かが悪いんだって改めようとするのよ。違うの。みんなの見る目が怖いの。怖い目で見られると動けなくなるでしょ? あの状態なの。そして怖い目でみんな見ているなんて思わないから、改める事もないのね。アスペの人は、ここから抜け出すには「愛する眼差しを向けてくれるみんなに、逃げ出さないでね」って見返してやるといいの。自分が居る場所は安全とか、保証されているなんて思い込んでいる輩たちに対して、「何も知らなくていいからね」と、決めて見てあげるといいの。見ず知らずの人にでもいいからさ。誰でもいいよ。大事なのは、あなた(知らない人たちも含む)と一緒にいて役に立ちませんでした。と認めることが大事だから。損した。って思ったらいいのよ。人生無駄にしたわ〜って。最悪だったし、守られようとした私が馬鹿だったと嘆いたらいいの。出来る人に守られると、何も出来なくなるって知らなかったのね。それはアスペの方の問題でもあるの。弱い自分のまま生きられるってそこから飛び出していくことね。逃げ出すの。安住の地から危険なところに踏み込めば、色んな事が出来るように変れるから。その為には、愛してくれる人を置き去りにする覚悟が居るって事。見捨ててあげてね。相手は強いからいいの。弱いあなたが強くなるためには、踏み出して行かないとね。自分から安全なところを危険な場所だと気づかないと動けなくなるだけだから。動けなくなる=危険地帯。と解釈出来たらいいよね。だから、「この人とはもう無理だな」って中々頭で思いつかないだろうけど「何にもする気が湧かない」ってなら、思いつくでしょ? それがその愛されて「何もしなくていいよ」光線を浴びせられて弱り果てている現実があるとしたら、その光線を甘んじて受けていたらダメでしょ? つまりは、「私は愛されたくない!」ってしないと動けないってこと。周りの相念に支配されて「愛されたい」ばかりに囚われるほど動けなくなるって知らないとさ。「あなたのことも愛してやらないから!」なんてすると、動けたりする。言わなくていいからね。その人とか、みんなを思い浮かべて、一人の時に言い放てば済むから。「みんな、いなくなれ!」とか「みんな、私から逃げて!」とか「みんな、利用してあげるから!」とか自由に言えるようになると、逃げ出したことになって自由になるよ。後は、繋がり合っている相念として「何をしていてもいい」とか「大事にしなくていい」とか「褒められなくていい」と、宣言することね。

「何をしていてもいい」
って宣言すると、人に認められなくても気にしなくて良くなるし、誰かを喜ばせるよりも、自分が喜ぶことを選べるようになるからね。許さないのは自分自身だったって気づかないと、逃げてはいけないってしていた愛してくれる人と同じことをしてしまうんだよ。

「大事にしなくていい」
って宣言すると、あなた自身の潜在能力を全部使っていいと許すことになるのね。大事にするとさ、壊れないように制限の範囲でしか使わなくなるの。リミッターを外さないの。つまり、5歳児レベルの限界のまま、今でも生きているとしたら? って話し。大事に大事に生きていた。なんてしたらさ、どうやったらフル機能を使うのって話しなの? 怪我したりしたら、大事(おおごと)にされてしまうでしょ? 「何でそんなことするの?」と言われたりしてさ。本当は、「自分の未知なる可能性の実験中でした」って言えば格好がつくけど、そんなこと思いつきもしないから、「大事に至らないように、未知なる可能性の実験は取りやめました」って生きるようになるの。そんな人ばっかりだよ。それで人の可能性は無限大とか言うんだから、頭来るよね? 「あなたの代わりはいないのよ」って言われんでもわかるよ。それがどういう背景が含まれているか考えて欲しい。子供の好奇心を伸ばしてあげる筈の親とかが、「思いついたまま動いてはいけない」ようにしておいて、「子供の可能性を信じています」とかいうの? 冗談やめて欲しいわ。みんな痛いの嫌なの。そんなの教えなくても知っているの。「危険を避けるように」と教えると、危険なことばかりするようになるの。危険を避けなければならない感覚を養いたいからね。「危険なことさせてあげる」と強要すると、慎重さが身につくって結果になるの。人生は先が読めない危険な事だらけよ。だからこそ、大事にしなくていいのさ。色んな事身につくから。冒険しろって言うじゃない? それを別の表現で言えばこうなるってだけ。親や師や夫婦が子や弟子や相方に「嫌われたくない」なんていう心の裏に「失ってしまった」という寂しさとか隠し持っていると、冒険させないのね。「失いたくないから」=「嫌われることはしたくない」とかになるの。そんな関わりをされるとアスペの人とかは、何も出来なくなるってこと。やる気もなくなるし、希望も持てないし、何をしていいか思いつかなくなるの。散々よ? あなたを愛する人がそうさせているのよ。さっさと抜け出してね。自分を大事にしないなら、何でも出来るから。ここが「大事にされていない」場所にするの。そしたら「あそこが大事にされる場所」として逃げ出せるのね。「今ここ」なんて言っていたらダメよ。「あそこ」が答えであるという発想のない者に、救いは来ないから! 自分を大事にしないと、本当に大事にしてくれる人に出会えるから! その人を頼れ。それは身内にはいない。他人に思い切って打ち明けて見ろ。知らない人に「助けてください」って言えたら、自分は助かるよ。

「褒められなくていい」
って宣言すると、何でも出来るようになるからね。褒められることを前提にする心が残っていると、褒められない事をしてはいけないって縛られるの。親とかは「褒めてあげなくては」とか、世の中は「褒め伸ばし」とか言われるように、「褒められる=嬉しい」が成立して、それでやる気が出るなんて構図があるけど、これ嘘だからね。バッサリ斬るけど。もちろん、褒め伸ばしして伸びる人もいる。いるんだよ。だから嘘というのも厳密に言えば違うとなる。でも、アスペの人は褒められても何も変わらない時があるの。そん時はアスペルガー症候群の何かしらが発動していると思ってね。自閉症スペクトラムとか、アスペルガー症候群とか、衝動性障害とか、特定の心の傷を持つ人は、褒められても何にも感じないときがあるからね。それなのに、「褒められたい」とか「褒めてもらう必要がある」とか「褒められなければ正しいことをしたことにはならない」とかになるから、身動きが取れなくなるの。だから、自分で自分を動かしていく為に、自分の身に何が起きているか知る必要があるのね。

「褒められたい」
ってのは、みんなの真似しているだけ。褒められて伸びるなら、みんなオリンピック出られないといけないでしょ?(伸びた結果、人より優れるという意味よ) だから、最終的な答えとしては褒めたところで、実力には繋がらない。むしろ、窮地に陥ったり、悪条件や、本番とか、最悪な人たちに囲まれている中でも変わらぬ力を発揮するには、劣悪な状態からはじめられる力を養っている人の方が強くなる。目指していることが目的の人は褒め伸ばしでいい。目指した先に到達してそれを更に越えていくことを見ている人には褒める必要はないなんてある。人を頼りにして生きるのは、頼れる人がいなくなったら、途端に弱くなる。でもその頼る人がいなければ、どうにかしないといけなくなるから、強くなれる。だから、アスペの人は人を頼るという発想はいらんの。なくていいの。でもって、人の事は褒めたらいいの。自分は褒められなくて構わないってしとくの。そしたら、自由に出来るから。やれるところまでやったらいい。周りのことなど気にしなくなるから。

「褒めてもらう必要がある」
ってのは、承認欲求のひとつね。心理学とか学ぶと出て来る「心理的欲求」なんてものを満たさないと、人はすぐ機嫌悪くする。統計学的にも立証されている心理的メカニズムだけど、うちの講座とか来るとわかるけど、褒めなくても、ケチョンケチョンに蹴落とされても喜ぶ人たちだらけだからね。心理的欲求を満たしているか? っていうと、満たしていないの。むしろ、コケ落としているから。それでも喜ぶの。そういう心理作用もあるのね。こっちを使えばみんな簡単に気づきが起きてくるんだけど、誰もが使えるものでもないのね。だから、私なんて化け物呼ばわりされるんだけどさ。ただの思い込みね。「褒められる必要がある」なんてさ。ないの。いらないの。必要ないの。役に立たないの。意味ないの。飾りなのね。褒められる力で、どうこうしようという魂胆は、まぁ合ってもいいけど、アスペの人は、褒められたい人の根柢にある不足感とか欠乏感とか絶望感とかに呑み込まれるのよ。こんなものに呑み込まれて、褒められても埋まらないの。全く意味ないの。だから、アスペの人は、世の中の常識を叩き込まれても全然入ってこないのね。対象外になるの。一時は褒められて嬉しいになるよ。なるけど、それやっちゃうと、後々に不足感とか欠乏感とか絶望感のバランス取らないといけなくなって、苦しむだけなの。これを躁鬱性障害とか言われるんだから、たまったもんじゃないよね? しかもその波が自発性でなく、受け身という形だから、コントロールが効かないのね。たまらんよ。もうさ、褒めるとか、褒めないとか言うの辞めない? そんな役に立たないものを信仰してどうするの? 褒められなくなったら墜ちる必要がある前提だってことに気づきなさいよ。頭悪くない? 知識人たちや、評論家とか、専門家の人たちが「褒める」ことは大事って言い続けるから、褒められなくなったときの耐性が育たないの。打たれたら終わる。もうさ、馬鹿すぎて、笑えないわ。世の中の専門家はそれを普及させることも出来ないと、専門家の名折れだと思ったらいいけど、多分まともにこういうこと言っている人もいるだろうからこの辺でやめとくね。気づいてほしいのは、「褒められなかったらやる気無くしてそれをしなくなるのか?」ってところ。「けなされたらやらないのか?」ってこと。それなら、最初からやる気ないのと同じこと。諦められる正当な理由を探しているに過ぎない。それを褒めてくれない人のせいにしていただけ。身内の事実を告げる言葉に反発しただけ。その人が褒めなかったから、私はこうなった! って言って損するのは自分の人生だって気づいてね。意味ないから。拗ねても、ひがんでも、責めても、文句言ってても、伸びないし、動けるようにはならないから。つまんないことやめてね。「一生褒められなくていい」にすれば、気にしなくなるよ。そしたら動けるから(でも、他人は褒めておけ)。

「褒められなければ正しいことをしたことにはならない」
ってのも、価値基準が外側にある典型ね。あなたの行為を誰かに認めてもらわないと、出来たことにならないとするなら、褒められるまで動けなくなるだけだから。「あなたのやること全部間違っているから」とわたしが言ってやるから、自由になりなさい。「あなたは何でも出来る人です」と褒めてあげるから、動いてみなさい。間違いの全てを褒めてあげるよ。間違えることも出来る自由な人だから、何でもいいって出来るの。豊かな人だってこと。絶望する姿も褒めてあげるから。「凄いね〜、見事な絶望っぷりだ。さすがだ! それだけ落ち込んでいるなら、何もやる気を失ったまま、人生を生き続けるなんて、私には真似出来ない素晴らしさだ! これからも絶望し続けてくれたまえ!」って褒めるよ。褒めたから、正しいことをしたことになるでしょ? よく読んで見てね。いかに馬鹿が自覚出来るから。心は幾重にも折り重なっているから、つい短絡的な解釈に集約してしまうの。「絶望した」って無意識に感じたら、二度と立ち上がって動き出してはならない。「失敗は許されない」とか「チャンスは一度しかない」とか病にかかっているのね。それ厨二病と一緒だから。テレビの見過ぎ、漫画の読み過ぎってものなの。病気よ、病気! アスペの人はそんな病気の人の相念受けて、身動き取れなくなっているの。それも残念な話しでしょ? アスペの人は、尊敬する人に対して「もしかして馬鹿?」って気づけると自由に動けるようになるからね。いい人の裏には、ちゃんと欠点を持ち合わせているってことを見てあげたら、楽になれるでしょ? そいういう愛すべき阿呆な部分は褒めずに笑ってあげるといいの。だから、笑いなさいね。親や師やパートナーに対して、「くだらない」って、軽蔑してあげて。あなたが楽になるから。

「4.代わること」
ってのは、代わってあげる事よ。ついついアスペの人は出来ないから、出来るようにやらせようとするでしょ。自分で考えさせないといけないって。もちろんそれはそれで重要だし、色んな事出来る方がいいに決まっているように見えてしまうから、つい「自分で出来るように」してあげたくなる。でも、最初は手を貸していて、段々と自分でやらせるように手を離していくことしちゃうけど、アスペの人は、途中から手を離され出すことが受け入れられなかったりするのね。「え? それ出来ませんが、出来るようにならんとダメなの?」って。ずーっとやってみるけど、出来ないの。出来ないから自分責めたり、傷つけたりして答えでないまま、頑張り続けて疲れ果ててしまうの。それでも何とか出来るようになったと見えるようになると、やっと「出来たね」って解放されるの。解放されて、アスペの人が、それをやるか? って言うと無理しないと出来ない事だから、やんないの。散々苦労に苦労重ねて、出来ない事が出来るようになったとしても、使わないの。やらないの。そんなもの、苦労してでも出来るようにする意味あるの? ってこと。それ、あなたがいるなら「代わりにやってあげなよ」ってこと。ついさ、「自分がいなくなった時、一人で出来るようにしないと」って定型の人とか常識人は思うの。この世界、一人っきりになる時なんてないよ。無人島で一人で過ごす話しを持ち出す気か? って荒唐無稽なこと言い出す奴は無視してさ、社会生活上、孤立するのは「人に頼れない」ことで起きる事だよ。代わりにやってもらえる人格の人なら、あなたがいなくても、誰かが代わりにやってくれるからこの子は安泰だってなったらいいじゃないの。そういうこと。何でもかんでも自分で出来るようにって幻想だから。簡単な事例で言うなら、「好き嫌いせずに食べること」なんてのも幻想だから。大の大人たちが好き嫌いしている人、幾らでもいるよ。にも関わらずに、食べられないものを食べられるようにしようとする人とかね。生理的に嫌いな食べ物あるしね。大人たちはそれを克服しようなんて思っていないし。でもアスペ反応は克服させようとやっきになったりするのね。アスペの人自身の場合もあるし、それを映し出された定型の人がアスペの人を攻撃的に責めて食べさせようとする反応で出る場合もあるの。「それ、食べられるようになることがそんなに大事なこと?」って一度退いて考えてみてってな話しだよ。食べたい人に代わりに食べてもらったらいいじゃない。って。そういう代わりね。その人が何がなんでも出来るように変わらないといけないの? 今は定型の人とか発達障害って分けているけど、これ読んでいると定型の人もアスペ的な反応をするからどっちもあるんだよね。だから、関係なく代わってあげてもいいんじゃないのって。大事なのは出来なくても嫌わないことを伝えることだよ。出来ないと嫌われるんじゃないかと伝わるから、言うこと聴こうと頑張るの。無理するの。出来ない事を出来るようになるまでやろうとするの。嫌う事なんてないから、無理しなくていいからねって言ってあげよう。代わりにやるからでいいの。そしてこの先も代わりにやる人がこの人の周りには集まるから大丈夫って信じてあげて。

 

とまぁ、長った。
けど、こういうことなのね。これを許してってこと。許されないじゃなく、許せるの。
ホントさ、許しのない社会よ。

そして何を許せないかがわからなくなっているのもあるの。
自分が何に怒っているかもわからない人って沢山いるからね。
常識とか普通に囚われて、その人が「出来ない」という事実そのものを見落としたりするの。

「何で出来ないの?」

って聴いちゃうの。

阿呆? 出来ないから出来ないのよ。理由ないの。

そこ、わかってね。

ごめんなさいを言わせないようにしてあげて。

ごめんなさいを言わせるように強要するものじゃないから。ごめんなさいは、本来は自分自身に向けて放つ言葉ね。人に向けるようなものじゃない。もちろん、赤の他人には頭下げることだよ。ここでいう「ごめんなさい」は下げなくても許してくれている人に、何故下げさせる必要があるのか? ってこと。

どうやったら、「ごめんなさい」って本当に自覚できるかを感じ取らせることが先だよ。

アスペルガー症候群だと知らなかった! って、気づいたら、今まで健常者として扱おうとしていたから、無理に無理をやらせて、無理強いし続けてきた過去を振り返った時、「ごめんなさい」って自然と出るでしょうが。それは相手に向けられるもののように見えるが、自分に向けているの。そういうのを「ごめんなさい」って言うの。気づきが起きているから、無理強いさせられている側も、「ごめんなさい」って言ってくれると、ホッと出来て許せるのね。

「謝りもしない」

って思っている人は、何か履き違えていることに気づいてね。

みんなさ、より良くしたいって動いているの。その「より良く」ってのが、一見「より悪く」って向かう方がより良くなる場合があることを知っていてね。「褒めない」もそうね。人に向けるもの。自分に向けられるもの。違うからさ。「褒めるもの」なんてすると、褒められないだけで拗ねないといけない。褒めても褒めなくてもいいもの。ってしておかないと。何が基準でどこに行くか、向かうかで言葉は全部変わる。知ってて。

より良くしなくても、「良い」んじゃないの?

今の状態でさ。「赤ちゃん」に対して、「より良く」とか思う? 「今のままで可愛い」とか思っているんじゃないの? いつから、成長を強要するようになるのかね? なんでそのままでいいってならないの? そのままでも成長しているよ。変化し続けているよ。コントロールしなくても上手くいってたりするんだよ。そっち信じない? ってことよ。

無条件に愛するって、そういう手放しで受け入れていることじゃないの?

「もう無理だから」って全部、その人との関わりや繋がりを手放してみたら? そしてもう一度自分の本当の気持ちを大事にし直したらいいよ。「生きているだけでいい」って視点に立ち還った時、「これ言って自殺に追い込んだとしても言わないといけない!」と思うなら、本当に言う必要のあることだと思う。でもそうでないなら「言わなくていいこと」がほとんどだよ。

みんな自分の自己都合で話すもの。そして聴くもの。だから、あまりに聞こえないことしか言ってこない人とは付き合わなくてもいいしね。断ち切るのが最善よ。最愛の人から「この人は無理だな」って思わせていることを想像出来る余裕は欲しいよね。そう思われても好きは変わらないなら、本当に好きなんだろうし、必要としているんだろうってね。だから、自分の本当の気持ちに気づける。「あなたが笑うこと」をしてあげたかったって。

それだけでしょ?

そこに立ち還りなさいよ。

 

 

 

って長かったけど、まぁショックかも知れないけど、「この人とはもう無理だな」って思うと、何もかもシャットアウトになるけどね。それでも、一歩立ち止まって考えてってこと。アスペの人も、定型の人もだよ。

自分にごめんなさいって言えるようになれるといいね。

 

 

 

何でもないことにしないでね。

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