音を歌う

今日は違った話を。

カラオケのブロック外しを体験してもらって、その歌における引っかかりを外して行くものをしました。

心の抵抗をなくせば、音と一つになれる。

音程が合う事だけが歌の美しさだけではない。
けれども音程ぐらいは合わせられないと歌とも呼べない?

さて?

技術点とか芸術点とか、採点における評価は二つあるようで、やっとその芸術的要素がわかるようになったものの、まぁ、技術的なものは皆無な私が歌とか音の世界に踏み込むのもおかしなもの。

それでも、誘導だけは出来てしまうのだからね。
この力のお陰で、作詞家とボイス・チューナーという肩書きで、CDを発売する方向へと動いているので、世界は不思議で満ちているよ。

 

 

聞こえる音の領域は、相変わらずよくわかっていない人で、歌唱する人任せですけど、その歌に心を繋がせて歌わせることは出来る。心が繋がった歌は、聴くものの気持ちを動かすことが出来る。

これは中々聴き応えがあるもの。

 

私は結構な音痴で、音をよく外す。
よく外す理由も心の問題だというのがよくわかってきた。
技術不足はもちろんだけれどね。

 

心を整えて技術を高めようとするのと、整えずに高めようとするのの違いとでもいうのかな。

心が整ってくれば、音程も安定する。

 

楽器の声を全部聞き入れると、楽器の音も変わるように、全てのものに命が宿っており、それを受け入れて弾くかどうか。歌声は自分が楽器だ。自分の声を自分が聞き入れて歌うのと、聞かずに歌うのでは全く響きが違う。

 

歌には思いがある。

 

創った人の思いがね。

それに呼応して自分の心も動いていく。

惹かれる曲、歌いたい曲など、何かしら自分の心が繋がり合いたい何かがそこにあるのかも知れない。

それを紐解くと、だから歌いたかったのかさえ見えてくる。

 

欠けたまま、穴の空いたままの心で歌う方が、良いように見えるかも知れないが、満たされ、塞がれた心で歌う事の方が、聞き手の欠けたまま、空いたままの心をあなたの歌で埋めることが出来るかも知れない。

そういう世界が見えて来た。

面白いよ。

 

音階と、視座と、経絡とが全部繋がり合っているしね。

一人ひとりを整える世界もあるのだけれど、わたしとあなた、わたしとみんな、といった誰と繋ぐかで整える心の世界も変わる。

 

音は一つではない。

 

一音鳴らせば、その音が響くというものではない。

 

和だ。

 

 

ただ、私は聞こえる音を聞き分けられるくらいの耳をこれから育まないといけないなと、昨今の課題となってしまった。

 

 

あなたを歌う。

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