彼氏彼女の事情 その20

宮崎の集中セッションを終えて、広島に戻る道すがらです。
5日間のお借り上げ、ありがとうございます。
いやはや、これはこれで濃いい。
家族で受けていただき、また色々と動き出したのではないでしょうか。

年内で一度区切り、来年の動きは全く見えておりませんので、隙間があればガンガン受けていただけると良いです。土岐の功労者、立役者、安心者講座など、費用対効果としてはとても良いものです。

「心がけ一つで人に優しく出来る講座」
-日本人における親睦感を大事にする個性別手ほどき-
として、「功労者」をはじめ、「立役者」「安心者」など12+2で、14タイプの講座があるわけですが、心の働きの本来の姿に戻していくお話しであったりします。「優しく出来る」には、自分がどうしても頭でわかっていても、人に優しく出来なかったことが、「なるほど、だから出来ないのか」と理解納得したら、出来るようになるって話しです。目から鱗の話しばっかりですが、まぁ、単純じゃないので14個にも細分化してもそのくらいになってしまったんですけどね。

7月7日(金)
10:00〜16:00 功労者(心がけ一つで人に優しく出来る講座)
功労者とは、いい加減なことが許せず、人の立ち振る舞いが一々気になり、言われたこと、決められたことが守れない人を正したくて、導きたくて、上手に出来るようにしてあげたくてしまいたくなるめっちゃ優しい人のことです。けど、この正義感溢れる優しい人は、「正されること」が大の苦手なの。自分は正しいとしているものだから、出来ていない人から指摘を受けようものなら、「優しい人」がたちまち別人に成り代わってしまうんですね。それでいて、自分にも何か落ち度があるって、ちゃんとわかっている人なんです。ただ、そうした素直さとか、従順さとか人に見せられないので、どれだけ意義や価値があると見えても、本物にだけは触れられない弱さがあるので、この講座に申し込める人がほとんどいないのが実状だとお伝えしておきます。
「あ、自分だ」と思えた人で、講座に申し込める人は、勇気ある正義の味方です。お申し込み、お待ちしています。

7月8日(土)
10:00〜16:00 立役者(心がけ一つで人に優しく出来る講座)
立役者とは、物事の本質を直に掴み取っていくタイプで、結論が知りたいと早々に答えを望んでしまう単刀直入な人です。物事の全貌を知りたがり、見せかけだけの手順では納得出来ず、いざという時には、対処できるだけの裏情報を合わせ持ちたい人であるため、知性、感性共にバランス良く動かしたいとしており、隠し事とかする相手には、隠し事で裏の裏と先の先を読んで手を打つような周到な人です。賢い優しい人です。けれども、親睦さや、親和さや、仲良しこよし大好き日本人気質には、今ひとつ馴染めないところがあり、一匹狼になりがちなところがあります。かといって、人と関わることが嫌いな訳ではなく、どっちも大事みたいな人です。問題は、先入観で物事を決めてかかってしまうところ、人が「それは違うのじゃない?」と提案されても、受け取らず、敵対行為としてそのアドバイスを見てしまって、溝を作り出してしまうようなことがあります。本人は一生懸命人の為に考えているのだけれど、前提知識が歪んでいる場合が、手に負えなくなる間違いに突っ走るところがあります。力や権限がなければ、世話のかかる人とか、融通の利かない人になり、力があると、出来ない人にこの上ないプレッシャーを与えるなどしてしまい、追い詰めてしまうものだと思って。でもね、本当はみんなを引き上げたいし、役に立ちたい訳。なんせ「立役者」でしょ? 中心になって輝いていたい人なの。前に出たくても出られない人、上を目指しているのに、やる気が湧かない人、何かしないといけないのに、何も出来ないままの人なども、この立役者の心が傷ついたままかも知れません。あなたに必要だから、「来て」で動ける人用です。
「直に確かめる」気質があるなら、あなたがこの講座が必要な人です。現地で会いましょう。

 

7月9日(日)
10:00〜16:00 安心者(心がけ一つで人に優しく出来る講座)
安心者とは、みんなのバランサー的に振る舞う人で、特異的な何かを発揮できるものではないけれど、言った通りに従うような従順な子です。ただし、納得するのが難しい為、ほとんどの人が、諦めでもってこの心と付き合っているようなところがあります。信頼関係を結んだ相手なら、言った通りに動くようになるような尽くす優しい人です。悪く利用されると大変傷ついていくことがあるので、おかしいと感じながらも従うしかなかった人は、身の上に起きていることを知ることで、回復していく道筋があることをお知らせしておきます。自分で答えが出せたことについてはとても強くなり、より状況を把握出来るように変わります。読んでいるあなたへ、今の自分を、自分で面倒見てあげたいと思えるほど、可愛がりのある人だと感じているなら、この講座は不要です。「いや、ちょっと手に負えなくて……」と口を濁したくなる人は、自分を知ってあげると自分が喜ぶので、聴きに来てください。「自分で考えなさい」と言われて、とても困惑して考えられないまま、それでも自分で答えを出そうと苦しんでいる人は、来てください。

 

と、長々と宣伝しましたが、会場まで、土岐市駅(名古屋駅から50分ほど)から、徒歩10分(750m)程度なので、セッションを単独で5枠分受けると、5万〜8万かかるところ、2万1,600円で受けられるようにしている安心設定の講座型セッションです。どうしても、人はマンツーマンがいいって思うものだけれど、胸の内をみんなの前でさらすことはありませんし(言いたい人は別ですよ)、ビックリするくらい真新しい話しを聴かされて、目から鱗の展開ばかりで、5時間後には、スッキリした自分に出会える講座ですんで、このブログに一度でも泣かされたとか、唸らされた人は、有効です。

 

役に立つか分からないなら、コメント欄で聴いてくれたら、「必要/不要」くらいただで教えますので、聴いてくださいね。

 

さて、アスペルガー症候群の記事の続きです。

 

8.「困らせたい」
直接、頭の中に「困らせたい」なんていう短絡的な言葉で出て来ることはまずない。振り返れば、「困らせたかった」と説明するしかないような状態に追い詰められて言う台詞で、形づけられるものである。「何で、そんなことしたの?」と質問されて、作り出される答えだ。「困らせて~、何をしたかったの?」と問われても、「ああ、これは困らせることなんだ」と理解するしかないため、じゃあ、そのまま「困らせたかった」ことにして、その大元にある真因の追求は出来ないからしないでおこうというものである。聴かれても答えられないのだからさ。「そんなこと」ってさ。兄姉なら、下の子を叩いたとか、友達同士なら、取り上げたとか、泣かせるようなことをしたとかになる。振り返れば、困らせることになる。特に何か考えているとかじゃない。過ごしている。そんな程度のこと。何かはない。何もないと言っても良い。敢えて言うなら「楽しくなる」ようにしか動いていない。楽しくなる為には、楽しさを邪魔しているものを取り除かなければならない。無意識に動いていると、それに従える。「これは楽しくない」と思い込んでいるものを「これは楽しい」ものなのだから、そのままそのように見えたらいい。にもかかわらず、この世界は敢えてそうしようとはしないようにルールづけられている。

この世界は既に、さまざまな苦痛がそこかしこに存在している。存在しているのを認めずに、存在していないように振る舞うことを強要するルールがある。悪いことを口にしないように。人に優しくしよう。など、否定的な解釈で事象を引き起こさないように抑え込もうとするルールだ。脳は肯定しか解釈できないと解明している人がいるというのに、それは普及しない。否定すれば、否定を肯定していく為、「人に優しくしよう」→YES→「前提は、人は優しくないということだから、悪いことをしよう」と脳は解釈する。「人は優しい」と言えば済むことを、わざわざ否定文で、子育てにしても、社員教育にしても、どんな関係性においてもそのように扱う為、聴く者はそのカラクリに気づけぬまま、「悪者」に育て上げられていることに気づけない。

アスペルガー症候群反応の子は、まさにそんなようなことを体現する子だと思ったらいい。「人に優しくしようね」→「人に悪さする子だ」と言われていると同義として解釈している。もちろん、聴けばそんなことはない。10人友達がいて、「人に優しくしようね」と教えると、10人は「優しくする」と解釈する。実際、遊ばせると8人は「優しくする」行動が取れる。しかし、2人は「悪さする子だ」と言われる行動に出る。何故なら、8人が「優しい子だ」と言われる為には、「悪さする子だ」と言われなければならない子がいないと、その8人たちが褒められない。8人を愛するあまり、その子たちが一番喜ぶこと、つまり自分が悪さすれば、自動的にその子たちは良い子、優しい子として扱われる。そして自分も、そのように底支えしている気配りの出来る子として優しい子として天の神さまにだけわかる優しさを振る舞うようになる。決して大人や、周りの人たちには理解も共感もしてもらえない立ち位置に立ってしまう。神さまの視点からは、「優しい子だ」と、損するしかない立ち振る舞いをしているしかない尋常じゃない優しさを発揮しているが、不快感をまき散らす存在として忌み嫌われる。困った子だとして多くの大人たちの頭を悩ます。そして自分も自分がどうしてそんな立ち振る舞いをしているかが、わからなくて苦しむ。まさに、神にしか優しい子だと認知してもらえない。

ルールに否定的解釈が含まれる限り、こうした損な役回りを担わされてしまうアスペルガー症候群の人はそこかしこに存在する。そして、自分の振る舞いが自分で理解出来ず、人との関わりを断つ方向に動いたり、排除された者同士で連むようになり、ささやかな居場所を見つけていく。

解決して行くには、自身の中にある否定的解釈を肯定的解釈に置き換えれば済む。物事の全ては「ある」というように、存在している。悲劇にしても戦争にしても、否定は既に持ち合わせているなら、肯定する必要性、必然性という知識を持ち合わせることと、「今」と「今でない」の区別を明確にすることである。「ここ」と「そこ」の違いを自身の中に持つ事である。

何が「今起きている事」であり、何が「今起きていない予測の中の事」なのか、知ればいい。

様々な事象が、混在している心の奥底の話しであるため、頭で解釈している程度ではどうにもならない。潜在意識を知るには、そうしたアスペルガー症候群の反応行動を取っているのを見ると「イラっ」と出来るので、それで知ればいい。もしくは「何で?」と疑問が湧いたり「悲しくなる」なんてことが起きるので、その原因がアスペルの人にあるのではなく、見ている自分の方に問題があるから「気に障る現象」として体感出来たと知ればいい。つまり、「人のせいにするな」というだけのことである。

「なんで、そんなことするの?」

この問いかけを自分に当てはめれば済むという話しだ。

なんで、そんなことを思うの? 感じるの? 説明してあげて、全部説明出来るなら、聴いたアスペルの人は、穏やかさを取り戻せるものだよ。「嫌だから辞めて」なんてのは、説明とは言わないことに気づいてね。どうして嫌と思うのか、辞めてほしいのか、頼んでお願いを聴いてもらえないなら、あなたの何を改める必要があるのか、自分で解説してみたらいい。「嫌だから辞めて」というのは、原因が他人にあり、それを人のせいにしたまま、その人が自分のお願いを聴かなければならない下位の人であり、理屈もへったくれもなく、指示に従えと強要しているそれと大差ないことが読み解けると良いのだけれどね。

色々と心の傷に触れる書き方をしているが、自分も自分自身の気持ちの裏側の自分ルールを説明出来ない人だということを理解していただけるといい。それにも関わらず、「そんなこと」と聴く自分がいると気づいてくれるといい。問題の解決は、「困ったこと」とみんなが思わなくなるようにすることである。

アスペルガー症候群は、人の潜在的歪みを正す為に存在しているような損しかしない役割の人でもある。だから、あまりその人のせいばかりにしてやると、身動きが取れなくなるから、あなた自身が近くに居るアスペルガー症候群と思わしき人に対して、どう関われば良いか、考え直す機会にしてもらえたらいいってことだ。

ここの部分は、様々な事象が絡み合うものである。
そして単発的に引き起こされて、その場が過ぎ去れば元に戻るものでもある。家の中で起きると、一緒に暮らしている限り、ずっとしいたげられる役目を担わされたりするなどするので、環境を変えてやってほしいとは思うが、大事なのは心を変えることで解決する問題だから、環境が問題を引き起こしている事ばかりではない。そういう場合もあるから、環境から引き離せば治るなんてのもある。

最初の話題に戻ろう。

「楽しいこと」をする為に、「困らせること」をするのは、例えば「泣くことは良くない」なんてルールが存在するなら、「泣かせること」「泣くこと」も大切だというルールに置き換われば、「困らせる」行為にアスペルの子は動かなくて良くなる。

気持ちの逃げ場がないと、人は「泣く」ことで、気持ちを解放する。泣けばスッキリしたことがあるなら、泣く=悪い、とは解釈していない筈だ。にもかかわらず、人に「泣かせるのは良くない」と言ったりする。「泣かせてスッキリさせるのは良くない」「スッキリさせるように誘導してはならない」という見方も出来る。屁理屈だとか、うがった見方だと言うのは自由だが、ここでは理解されないアスペルガー症候群の反応行動について言明しているので、一般的な健全なものの見方では解決出来ていないことについて、解説しているのであることを忘れないでほしい。

「雨降って地固まる」

ということわざが存在するように、一見問題が起きたとしても、それが切っ掛けで、より良く状況が好転するものであることを教えてくれている。「楽しいこと」をしていく中で、子供たちや大人たちの衝突そのものを否定的なものの見方を持って関わるのと、肯定的なものの見方を持って関わるのでは、「楽しい」かどうか大きく変わることをアスペルガー症候群反応をする人は伝えようとしているに過ぎない。

無意識で。

だから、問うても、「困らせたかった」と言うしかなくなり、原因究明どころか、ただ自分は「嫌なことをしてしまう悪い子」として認知するしかなくなるのだ。自分が神がかり的な優しさを体現している人だとも気づかず、「いじめっ子」の烙印を押されてしまうのだ。確かに事実からは、そのようにしか紐解けないが、さらに俯瞰して見れば、そんなものの見方も存在している。全ての心が繋がり合っており、歪みを正すために、みんな協力し合っているのだから。

他でもない、その子、その人を愛しているあなたが、この事実を見つけて味方になるくらいのことくらいしてみせてあげてほしい。アスペルガー症候群は、周りの人の心の歪みそのもので心を創り上げてしまう為、自力で自分の心を正す力がない。

「どうして?」

「何で?」

「教えて?」

「理解したいの」

「わかってあげたいの」

「味方だからね」

と、言うなら、考えろ。問いかけるな。あなたが、その子を
とでも言うのか? えぇ? 違うかい?

一見、理解を示そうとする態度をしているが、やっていることは追い詰めだろう? その子自身わからないことをわかろうともせずに、わかっている前提で、追い打ちをかけ続けていくのだからな。しかも、安全圏にいる人が。孤立したアスペルの子を集団で問い詰めるという「いじめ」を行うんだよ。

そしてアスペが自殺しても、上記の文言を並べ立てている人が「犯人」になることはない。「いじめ」は認められなかった。となる。

みんな、自分が優しい言葉と思い込んでいる言葉で、人を傷つけているなんてことは考えもしない。安全なところにいる人が、孤立している人を悪いようにしか見ない。「根は良い子なのに」という言葉は、「今は悪い子」と言っているようなもの。困らされていると言うのだ。確かに、優しくしてあげているよね。優しくはないけど。

自分が何を心の支えにしているかを知らない。
「冷たくされた」ことを根に持てば、「冷たくしてはならない」という否定が生まれる。そして、「温かくすること」が優しいことだと定義する。冷たくされたと感じたことが、とても冷静で知性的で正しさに満ちていても、「冷たくされた」ことが悪いことだと思えば、そのように見えるようになる。見たいように見えてしまうから、本当のことなどどうでもよくなる。客観的に見て、今感じていることが全てで、改善した先を見ることはない。その体感覚がそもそも間違っているとは思わないのだ。それを一般に「執着」として知れ渡っているが、「優しくしよう」という執着を手放せる人がいるのかどうか? ということだ。

いなくても、自分がそれを実践出来たらいい。何より愛する我が子や、愛する人が、アスペで苦しんで孤立させているのは、味方であるはずの自分の心の有り様で苦しめていたとなるのだからね。

こんな残酷な話しはない。

けれども、「楽しくする」為に、「冷たくされた」と誤解した心はいつまでも残していては、本来の楽しい姿にはならない。都合の良い温かな楽しいことはあってもいいが、都合の悪い冷たい知性溢れる楽しさには近寄れもしないとなるなら、アスペの子は、それを正したい無意識に突き動かされていると思ってくれたらいい。

いつも、自分だけが怒られる。嫌われる。悪いとされることをしてしまう。人の優しさを優しくされているとは感じられない。より悪化する方へと心を閉ざしてしまう。温かくされればされるほど、冷たくされているようにしか感じられない。かつて、そのように感じて心を閉ざすしか無かった人と同じ体験をしている。そして、その人たちの前で、これが「あなたの真の姿よ」と教えてあげているのだ。

そう、この閉ざすしかない気持ち。温かな言葉裏腹に冷たく凍えていく心が、周りの人たちの心そのものである。どれだけ事実から目を逸らしてきたか、自分の解釈を正当化してきたか、今の自分を救い出せない時点で、救い出せるのはアスペルガーのあなたしかいない。周りの人は、あなた自身を自分の心だとは思わない。「人のせい」にすることが出来てしまう人だからだ。だから、あなたも一緒になって人のせいにしていてはならない。そう、この冷たく全てがどうでもよくなり、困らせようが、迷惑がられようが、酷い言葉を浴びせられようが、温かな言葉を繰り返しかけてもらったとしても、微動だにしない心になっているのが、相手の姿が我が心として現れていると思って見たらいい。

あなたに助けを求めていることがわかるだろうか?

自分の心の働きを自分の気持ちだけで出来ていると思わぬことだ。
あなたがその気になり、冷たい心を真に取り戻すことが出来れば、気持ちに乱れに取り込まれることはなくなる。

冷静だろう?

「この人たち、何を言っているのだろう?」

と、思えていたなら、あなたは冷静そのものだ。
冷たい心を取り戻している。
あるんだ。

それを使えば良い。
感情に呑み込まれなくなる。

人は感情が大事という。

その通りだ。
けれども、それ以上に知性がないと話しにならない。
感情という炎を制御するには、冷静に制御する水が不可欠だ。それを知性という、知識ではない。知ればいいものでもない。知った上で使えるものでないとね。気持ちを動かしてみたらいい。冷たさが合ったことを思いだした心はとても賢くなる。不愉快さに呑み込まれなくなる。

あなたこそ、真に優しい人です。

その優しさを無類なく発揮したらいい。
誰彼構わず、優しくしたらいい。
おかしい、変だ、異常だと片付けるのは、それを理解し、共感し、打ち解ける優しさより、遠ざけ、叩きのめし、裁き上げ、貶めていくことに執念を燃やす人たちさえ、優しい冷静な知性で抱きしめてあげたら良いから。

それがあなたのしたかったことだろう?

「困らせたかった」なんて言わなくて良い、「優しくしたかった」と言えばいいんだよ。少なくとも、まさみちはあなたの気持ちの全てがわかるからさ。

いつでも、ここにおいで。
誰がわかってくれなくても、わかってあげられる。
一緒に、この世界を優しいさで包んでいこうって誘うから、付き合ってね。

 

以上が、この部分の問題についての解だね。
楽になったら何よりだよ。

 

 

先日、私の中にもダウン症の症状があることを見つけ出すことが出来て、それについて少しながら見解を持てるようになりました。型の型の心の領域に因子があるようで、局地的にしか発動しないものですけどね。なんせこんな饒舌ですから、ダウン症なんて思われる筈もありません。けど、そのモードにはまり込むと、理解出来ないほど、何も話せなくなる自分を発見してビックリしてます。

ダウン症はね、周りの人が全部、その子に変わってその子が心地よいと思うことをしてあげたらいいってことです。本人の同意や反応を確かめるんじゃなく、関わる自分がその子と一緒にいてはしゃげることをしたらいい。反応はとても鈍いし、喜んでいるかどうかさえ、認知出来ない表情のなさでもあるけれど、関わるあなたが喜べるような「一人遊び的」な感性で、その子と共に遊べたら、ダウン症の子は幸せに包まれていることを知らせておきます。心の中は、ちゃんと色んなことがわかっていて楽しいんですよ。何より、楽しい人を見ているのが楽しいの。自分に向けて笑いかけてくれるとか、手を引いてくれるとか、気持ちや、言いたいことを代弁してくれるのはとてつもない喜びに包まれるからね。一人二役くらいの勢いで、関わるあなたがその子に変わって話してあげてね。

まだまだ、私自身、私の中にいるダウン症の自分の心を代弁出来ていないけれども、全部任されているので、目いっぱいこの子の為に振る舞ってみようとは思うよ。ダウン症のまさみちは、あなたが笑っているのが見たいから、笑わせる為に、他のまさみちが何でもしてみせるよ。そして、みんながどれだけ素晴らしいか見せてもらうおうねって共に楽しむんだ。まさみちの周りにいる人は最高にいい奴らが集まっているんだから。言わなくても、わかる奴らなんだぜ。そして必ずダウン症のまさみちの笑う顔を、まさみちに見せるってまさみちが決めたから、笑い出しちゃうよ。笑っちゃうね。いつもと同じ顔が、笑っていた顔だったの? わからんよ。もっと何かわかるのないの? 自分の顔を見ても笑っているかわかんないよ。誰か代わりに笑ってくれる人がいたらいいのか。それは誰? みんな? みんなが笑えば、ダウン症のまさみちが笑ったことになるんだ。その通りだね。みんな、笑っている。みんな変だよ。意味もなく笑っているって気持ち悪いよ。理由があった方がよくない? 笑うことに理由はいらないよ。ほら、あなたが笑えば、みんな笑った。みんな笑えば、ダウン症のまさみちが笑った。笑えたよ。

ってね。そんな風な世界に変わる。

 

自分の異常性、人との違い、言うことが聴けない、真似出来ない、理解出来ない中、なんとか生きている。

普通じゃないから、こんな事書けているだけ。

私のは、きっとサヴァン症候群とかに類するものなんかじゃないのかな? とかさえ思うね。
特殊過ぎるから。

それでも、なんでも、生きていられるならそれで良いよね。

 

あなたを前にしたら、私の姿がどんな風に映し出されるかとても楽しみだよ。
愛に来てくれると嬉しい。

呼んでくれるなら、そこに行くから。

待っててね。

 

 

動き出せないあなたに、わたしがそこに行くよ。

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