心を失った者が我に返るまで

自業自得の世界といえば、とても残酷です。

自分で自分のことを語るのは、苦難など乗り越えていなければ話せません。

被害を訴えても、身から出た錆と言われればそれまでです。


他者が他者を攻撃したり、他者から思いもよらぬ酷い仕打ちを受けるのは何故か?

何かしても、何もしていなくても、被害に遭う。

自分が何か酷いことをしたから、酷いことをされてたしなめられるとわかるなら、きっと感謝が溢れるはずだ。

きっとね。

少なくとも、過去に囚われることはなくなる。

 

自分が悪いと、自覚して、その「悪い子」として認識したままの心で生きるとどうなるのか?

「傷つけないように、こうしよう」という教えはそこら中にある。

では、傷ついて、自分を愛しているつもりになって、自分を騙して強がる人に対してはどうしたらいい?

どうやって、言葉を届ける?

どうしたら、聴いてもらえる?

「あなた、背中から血出ているよ」

と、胸の穴は空いてなくても、背中には穴が空いていたりすることってあるんじゃないかな?

 

自分で自覚できるものならいい。

自覚出来ないものだとするなら?

自分から「助けて」と言えないなら? 言っているつもりなら?

もちろん、変な依存を生み出すような関わりなどはする必要はないけれどね。

 

ただ、同じく背中から血を流している輩から、声かけられて「血、出ているよ」と声かけられても、「お前のことじゃねぇ?」と切り返されるのが人の情けというもの。人の心配より、自分の身を案じよって話しだ。

 

世の中、そんなやり取りでいっぱいだ。

 

だから、師範クラスの先生は、「技は盗め」とか言うんだろうよ。
つまり、その子の問題を師がいくら説き聞かせても届けられない。掴めって話しと同じようなもの(つまり、心の問題は自分で解決するしかないって解釈ね)。

 

聴きに来ても、これまでの経験で教えてもダメだって知っているから言わなくなるんだろうし。
でも、言うときもあるよね? スッと相手に届くこともあるよね?
それが、ただ自分の背中の傷は癒えているから完治出来た者からなら届けられるって話しだ。

 

「お前が悪い」

 

こんな言葉、言われた体験はないだろうか?

 

これが、背中に空いた傷だとしよう。

 

だから、傷が癒えている(完治とは言わない)者からしたら、やっぱり「お前が悪い」と思いついてしまう。
まぁ、人の頭の中は様々だから、同じ傷を見ても「要らない」「見てらんない」「気にしないことにする」などだとするなら、一々「傷だよ、大丈夫?」と言うだろうか? 「見てらんない」と思ってくれていても「自分で気づくはず」と背中の傷にも関わらず、本人の自覚が起きるのを待つのだ。そして、その背中の傷が元で、他の人とトラブルを生む。

 

近くに居る人が、責める人「お前が悪い」と、言わされてしまうこともあれば、近くに居る人が、責めない人「私の問題にされたくないから何も言わない」とする人もいる。

そう、人に声をかけるのはおっかないからね。
アドバイスが文句にしか聞こえないのだからさ。

親身に話しかけているのに、「苦言」としか聴けない私もかつてはいた。
受け取れないのが問題なのか、受け取れる言葉を放たないのが問題なのか?

 

難しいところだよね。

 

言論の自由と言われる時代の中で、「そんな言い方あるのか!」と、言った側を責める論調と、「そのように受け止めるのはあなたの自由だよ!」と聴いた側を責める論調があるからね。互いに相手のせいにしている姿は同じこと。言われるなら、言い方を改めるしかないし、聞こえ方を変えていくしかない。

「だって、そう聞こえるんだもん」

と、言っていてはラチが空かないしね。

「だって、こうしか言えないんだもん」

と、言っても誰も耳を傾けるようにはならないからね。

 

つい、相手に理解を求めてしまう。

 

それをさ、適切に届けようとしたところで、届かないから困るんだよね。

だから、最近は相手を理解していこうってコミュニケーションツールが出てきているよね。

余裕あると、使えるけど、大体衝突した時は余裕がないときだから、どうにもならんのね。

どうしても、自然体で話してしまう。そして、ぶつかる。

 

「お前が悪い」

なーんて、心の傷があると、人からそのように見られる立ち振る舞いをしてしまう。無意識にね。
これが心の傷の厄介なところ。

無自覚だもの。

そして、それを指摘されると「責められている」と感じてしまうから、より強固に身を固めてしまう。当たり前だよね。傷に触れてくるんだから。医者でもないあんたが! ってなことになる。

だから、言う側もその傷に触れて痛がる反応を見たくないから、そっとしておいてしまう。そして、どこかの誰かと衝突して、結局血を流す。……なんてね。

 

まぁ、それでも、身内からの指摘と、他人からの指摘では、どうしてああも受け止め方が違うのか?
同じこと指摘しているのにね? 場合によっては全く同じことを話されている場合もあったりする。
それだと、身内とかって要らなくない? って話しになりかねない。相談相手に適さない。とかとか。

 

「悪い子」と思わされて、傷ついても、それを自分で「あれ? もしかして自分傷ついていた?」と自覚しないと治せない訳でさ。問題を問題と認識しなければ、問題にならないっていうけど、現実としては問題は起きていて、自分だけ無自覚だから問題になっていないという解釈なら、それ、違うよね? ってこと。

 

ハッと我に返れたら良いわけよ。

 

言う側とか、聴く側とか、そんな犯人捜しみたいなことよりも、「あ、私が改めたら済むんだ」って気づけたらさ。背中に傷がついていても、声かけない人の背景には「ありがとうって言わせたい」もしくは、「言って欲しい」という思いがあるから、それを言いそうにない相手には声はかけないのかも知れないね。他に「知らなかったんだ、と知らせて損させないでおく」という気持ちがあるかどうかもあるかな。

 

今のご時世、「ありがとう」の一言も言えないような奴と関わる必要ないしね。
それが発達障害持ちだろうが、お礼の一言ぐらい言えるだけの素養は身につけておかないと、社会と関わっていけないからと、冷たい対応で「悪い子」としての心の傷で身を固めている人に、辛辣な扱い「無視する(そっとしておく)」をする。

 

もちろん、「知らなかった」ことに対して馬鹿にしてはならない風潮もあるし、まさかまさか、あなたが知らないの? って知っているものとして扱うなら、知らせることの方が軽蔑になるから、知らせないでおくなんて真似してしまう人もいたりする。結局、知らないままだから、悪さとか、無意識にやっている迷惑行為を誰もとがめず、嫌われていくだけ(嫌っていないが、その子は孤立していく)。

 

みなさん、胸の傷は知っているけど、背中の傷について、どう解釈してます?

自分では自覚出来ない傷。

そして、いきなり他人から指摘されると身構えて殻に閉じこもりたくなるような傷よ。

 

思いやりの中で、生きている筈なのに、傷つけられた、無視された、人のせいにされたなど、色んな思いが交錯しちゃうよね。どうしたい? どうする? どうなっている? どうしてしまったの? どう改めると決める?

 

 

自分の背中の傷について。

他人の背中の傷について。

 

少し、考えて見たらいい。

物理的に見える傷ならわかりやすいのにね。精神的に見えない心の傷とは、どういう意味なのか考えてみてね。そして、子供にどんな風に伝えていく? 傷つけないように、ではなく、傷ついている人とどうやって関わる? ってことよ。

 

 

理解しなくていいから、聴いて。

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