受けなくて良かった うん、うん、と自分を慰めるのは?

尼崎の出張が目前です。
「そこここにあることばのちから」の3限目が全面改訂となり、作り直されました。
敦賀で受けられた方は、無料で参加出来るので、お手数ですが足を運んでくださると助かります。m(_ _)m
失礼しました。

盛大にとち狂った資料を届けてしまいましたですよ。
堪忍してください。

 

 

作り直されたものは、私もうんうんと頷けるものに変えることができました。

あの時、なんでこの領域から俯瞰して降ろせなかったのか気になって調べると、作り直す前に起した出来事の中に母親に対して、どうにも解決しようもない不満みたいなものをぶつけたことがあったんです。どうやら「これ」が変わったことで、見落としていたものが見られるように変わったようなんですね。

悩める姿を親に見せるのは、やっていたようでやって来ていなかったこと。
しかも、言っても仕方のないようなことね。
この意味のない行為が、人の心を動かしていく。

中々出来るものでも無い。
この蓋が外れたことによって、全く見えていなかった領域が見えるように変わり、この資料の降ろす領域がクリアになっている人からしたら、ダメダメな仕上がり具合であることへの反応が理解出来たよ。
これ、ダイレクトな部分じゃないから面倒なんだよね。

 

私:A→D

として見ている。

わかっている人:D→D

として見ているの。
これによって、わかっている人は、同じものを見るには、同じ目線に立たなければならないことに気づいているから、Aで見ていたらダメでしょ? ってのがわかるの。わかるけど、Dにも触れているから全部がダメって話しでも無い。ただいつもは98点とか100点出せる講座が20点とか08点とか、散々な仕上がりって感じなのね。

だから「あれ?」なんか変。なんか変だけど、言えないの。

そう、自分も意味のないことを親に不満や悩みをぶつけて、混乱させるだけさせて放置なんて真似は出来ないからさ。この部分が共通の問題として抱えているのだけど、そこは講座を見ていたら気づけないのね。

なぜ講師である人がとち狂った資料や内容を嬉しそうに話しているんだろう?

って方向に意識が向かず、「要らないわ」「聴いてらんない」みたいな感覚に染まってしまうのね。

 

とまぁ、裏事情を少しだけ見せるとそんな具合で、問題が起きていても注意し合えない状況が生み出されてしまう訳。結局は自分で気づくしか無いってオチに落ち着くのだから、この世界は本当に自分でしかないって思い知らされるよ。

 

そんな訳ですが、全面改訂した「そこここにあることばのちから」3限目、3限目からでも受けられるので、受けに来てみてくださいね。面白い仕上がりになっています。

「ありがとうMAP」「力になるよMAP」

として、意識レベルMAPも全面改訂ですので、必見の筈です。

 

「受けなくて良かった」
なんて解釈もよく脳裏に過ぎるもの。
人は、後悔したがらない生き物なので、常に自分の選択を肯定する発想が浮かび易いものだからね。

だから、良い話しを逃したとしても「受けなくて良かった」と思うものです。
こうした自己評価を自分で下して、自己防衛をしている人って窮地に陥ったとしても、気づけないのね。

そして破綻したりして、意識が変わってから「受けに行こう」ってなる。

まぁ、痛い目見ないと気づけないって、悲しいものだけど「この現状が実は最悪な事態」と設定し直すことくらいは幾らでも出来る。

本当にさ、「今が幸せ」ってもちろん大事なんだよ。それが答えなんだよ。

でも、そういうやり方でわたしは救われなかったし、何も変わらなかったのね。
だから、独自理論に突っ走ったの。

そしたら抜けられた。

どん底とか体験出来ると、それ以外は全部マシになるからね。

「受けに行こう」か「気にならない」の二択だったりする。

わかるかい?

「気にならない」から「気づかない」とも言える。

だから、「受けに行こう」しかならない。

そういうマインドだってこと。

 

だから「受けなくて良かった」とか、思いつきもしないの。

そういう心の働き方を使い続けるような意識では、有名講師のレクチャー受けても「やっている?」と聴かれて、それを責められているように聞こえてしまうんだよ。なんだか、自分が悪いように言われているように思えて、気が滅入ってくる。顔は笑って「はい」って言っててもね。心は嘘がつけない。

そんな体験があると、受ける前から「受けなくていい」って断る精神で、追体験しないように自己防衛してしまうんだよね。そりゃ、仕方ないよ。みんな痛い思いしたくないし、責められたい訳じゃ無いから。

「責めて無くてもさ」

そう、講師が責めてなんてない。責めているのは自身だったりするだけ。
自分で自分を責めているから、そんな風に聞こえてくる。

まぁ、人のせいにしたい心が残る人には、あまり聴けない話だろうけどね。

 

受けなくてもいいものを「受けなくて良かった」と解釈しているのか?
受けなければならないものを「受けなくて良かった」と解釈しているのか?

 

一々、頭の中の囁きとして、浮かび上がらせる必要な状態とはどっちだと思う?

 

「受けなくて良かった」だけ見ると、見落とすよ。

 

どうして、そんな言葉を脳内に響き渡らせる必要性があるのは、何でだろうね?

 

 

必要なものしか届けられないよ。

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