アスペルガー講座の案内

最近になって、アスペルガー症候群について書くようになった。

私が取り扱っている部分は、重度よりも軽度の人たちのこと。

医者に行っても診断受けられないような人のこと。

それでも、診断なんかなくても、「アスペルだよ」って言って貰えると、落ち着く不思議さがここにある。

別に免罪符にして使おうってものじゃない。

自分の理解できない言動や、思考の渦が少しだけ、「それ、ちゃんと理由あるから」と言って貰えた安らぎってものだ。

いつも、難解なことを書いてしまっているから「読めない」「難しい」を与えてしまっているけど、実際対面で会えばそんなことはない。わかるように言葉を変えるからね。

 

7/14に「アスペルガー症候群講座」がある。

主催をしてくれる人が関心があるから、それについて聴きたいからだ。

「願う」→「叶える」

という図式だ。

講座そのものは、基盤もなにもない。
だから、当日参加した人たちに向けて、必要なものが届けられる。

願っているからね。

叶えるのが私の役目だ。

 

 

アスペルガーは「こうだよ」という話しより、「わかってしまえば、どうってことないもの」って思えるように変れるといいなって思いで講座に望みます。

今のわたしは、顕在意識にヒントを残して生きやすくするってところにフォーカスを置いてます。

今まではさ、原因や真因となる問題の根源を見つけて払い除けたり、納得行く答えを与えるなどして、そこにはまり込まないようにしてきた。なんせ、問題はポジティブな気持ちをネガティブに堕とされることにあるからだって解釈していたのね。人とのコミュニケーションは、「あの一言さえなければ」というようなものでカチンと来て、トラブルに発展しているのだから、「カチン」がなければ、普通に対応出来るし、自然体でいられる。

それで回復した人も沢山いる。

気に障っていたものが、そういえば最近まったくない。

なんて現象そのものが変わっているから、楽ちんになったことさえ、比較するものがなくなるのでわからなかったりする。セッション後、改善しきっているので原因や真因を取り除かれたことさえわからなくなるときさえある。でも、これだと顕在意識として何か「やった感覚」が薄くてね。だから、やれる感覚にもサポートしていこうって趣向が変わっているのですよ。

 

今度のアスペルガー症候群講座は、3つのポイントをあげてみようと思う。

1.逃げ道がない。

2.味方がいない。

3.許しがない。

大別すると、この3つの要素に対して、解が得られないのがアスペルガー症候群で苦しんでいる人の問題かな? と思う。このポイントに対して、引っかかるものが違うというのがある。

例えば、アスペルの人や、その周りの人にとって不可解なことは「1.逃げ道がない→信じてもらえない」というのが出て来る。「嘘言うな」とか「そんな考え方しか出来ないのか?」とか追い詰められる体験はないかい?

それに対して、講座で「そんなことか!」と思えたら、楽になれそうな気がしない?

「2.味方がいない→相手にしてもらえない」というものも、繰り返しの関わりの中で「諦めてしまった」とか「要らない子なんだ」とか「苦しませたくないから黙っておこう」としている気持ちに対してさ、「やっぱりそうだったんだ!」とか言って貰えたら、楽しくなりそうじゃない?

「3.許しがない→嫌なことしか言われない」というのもさ、「嫌われている」とか「いなくなって欲しいと願われている」とか「死にたい」とか思うものだけど、「そんなこと?」とかって気づけたら、楽しくなりそうじゃない?

 

そう、どれもさアスペの人が納得するような話し方されて来なかったの。なんせ、世の中は「万人が納得する答え」の方が大事でさ。万人受けするが故に、個人の納得は「されたもの」としちゃうんだよね。納得出来ていなくても声出せないの。言えないの。言っても言いくるめられて、別の解答をもらえないの。

 

基本的に、人が人と仲良くなる前提に「同じであること」がある。

それが、定型、アスペ関わらず、その幅が違うってこと。定型の人も大らかな人は幾らでもいるからね。

「同じである」というのは、所属欲求とかとでも言えばいいかな。どこかに属しているなら仲間っていう解釈ね。だから、一つの家族なら、その家族で同じ方向を向いているってことが「同じ」となるの。でも「家族の中で向く方向が一人だけ違う」って時に、アスペが大体は標的に遭う。アスペだらけで定型が一人だと、定型が標的というか苦しむことになるけどね。まぁ、どっちにしても家族全体で苦しむけどね。同じになれないから。

 

こうした「同じであること」とか、アスペ本人にしても、アスペの人と関わる定型の人とかも、「3.許しがない→同じになるよう迫られる」という難解さがあるなら、講座で「優しい気持ち」は同じだろう? って教えられて、合点が行き、その上で「違い」を受け入れて行くというのなら、違っていていいになる。

共通項は大事だが、何が共通なのかがわからなくなるから、安定感を失うんだ。

無条件の愛とかなんとか、無条件に愛せとかいうが、無条件の愛の中には条件付きの愛もあるから、当然前提となる解釈の支えがあっていいんだよ。そういうのを講座で話せたらいいねって思う。

 

アスペルガー症候群講座、あなたに向けて話します。

来てね。

 

笑うには仕掛けがあります。

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。