「思い思いの夢を生きている」

コード:三型型,12345678,5678,1234,7,一内内4,6,7,8,三内型68,24,47,7,一型内,78,18,7,8

「思い思いの夢を生きている」

 

こんなの全然楽しくない。

笑えないよ。

 

友だちが泣いていた。肩を震わせて泣いている。

彼女の名前は幸子。私の大切な友だちの一人。ここには、祐二と勝(まさる)がいて、さっきまで幸子に酷い言葉を投げかけていた。彼らからしたら、冗談でしかない言葉だ。本気で言っているつもりはないらしい。それでも幸子は泣き出している。

泣き出した幸子を見て、男たちが退散していく。泣かせるつもりはなかったらしく、何も言わずに部屋を出て行く。ここは私の部屋だ。私の名前は良子(よしこ)。中学二年の14歳だ。他の三人も同い年だ。家はよくたまり場と化す。学校帰りに寄って来る。私も人が来てくれることが嬉しくて家にあげていたが、もう辞めようと思った。幸子に悪いことをしたと、祐二と勝を誘った私を悔やんだ。ぐっと歯を噛みしめる。

泣いている幸子にかける言葉も見つからない。

切っ掛けは、黒板に「死ねばいい」と書かれていたことについてだった。誰が犯人かって学校中の話題となった。それを「幸子だと思ったわ」という一言から始まり、否定する幸子に「怪しい〜」といじりはじめたことだった。私は加わるわけでもなく、次の日曜日にどこに行こうかと予定に頭を働かせていたところだった。祐二が言いはじめ、勝がそれに乗っかり幸子をからかいだしていた。断定的な言葉も使い始めて幸子が追い詰められていく。そんなやり取りに気づかず、泣き出した幸子を見て状況を把握した。

「そんなつもりはなかった」

勝の言葉に私はにらみつける。「ごめん」と一言残して出て行く。
黒板に書かれた落書きを先生たちが重く受け止め、学級会やらアンケートやら個人懇談が開かれ、「いじめ調査」が行われた。嫌になる。「事態を重く受け止めて」「万が一にも」という先生たちの言葉にため息が出る。

「SOSのサインだって思うのよ」

担任は、我がクラスの誰かからの言えない思いからの訴えだと持論を展開して見せて、親身になるアピールをしている。繰り返し、「相談に乗るから抱え込まないで!」と標語か? ツッコミを入れたくなる言葉を聞かされ続けて3日間、飽きて来たところである。

3日目の今日、全体朝礼でも話題に取り上げられ、これじゃ書いた子の立場もなにもないだろうなって思っていたら、家でこの事態だ。明後日の土曜日のプランどころじゃないなと、ため息がまた出る。

泣いている幸子が、やっと泣き止み、「あれ、私なの」と、これまた仰天告白される。

「は?」

思わず、あからさまに疑いの眼差しを向けて、しまったと思うがこの場合私はどうしたらいいのかわからず、固まるしか手がなくなっていた。

「えっと、あの黒板に書いたのさっちーなの?」

「うん」

別に深い意味はなかったのと、彼女はことのいきさつを話してくれるが、それを聴く限り「いたずら」でしかなく、困り果てた行き場の失ったいじめられっ子の悲痛なサインって線が断たれた瞬間でもあった。これ、先生聴いたらどんな反応するのかな? と不謹慎ながらそんなことが過ぎった。

「楽しかったのよ」

いたずらだから、楽しかろうよ、と内心のツッコミを入れながら、ふんふんと聴いている。

「祐二が、図星な事言ってくるから困っちゃって」

「何言われたのさ。よく聴いてなかったんだよ」

「いじめがないなら、何してもいいって思ってない? って言われて急に不安になって、私ってなんか悪いことしちゃったんだって思ったら泣けちゃって」

そう言ってはまた膝に顔を押しつけ、体育座りのまま小さくなる。それを見ていて私は全く別のことを思っていた自分の筋書きが崩れたことの方がショックだった。

うちのクラスは明るい。いじめとかはちょっと考えられないなって程、賑やかだ。心配性の先生の手前、気遣い出来るくらいの余裕がある。「死ねばいい」って言葉もどこか的を射ない言葉も不可解なところがあった。どうとでも解釈出来る言葉を選んでいると深読みしていた。犯人は先生じゃないか? とさえ思って、一人ひとりをリサーチしているところだった。どうでもいい事件だけど、遊び道具には丁度良かった。授業の暇つぶしにもなった。受け持ちの教科の先生ではないかと思って、授業ごとの先生観察が楽しくなっていたところだった。

うちの担任は若い。確か23歳と新米と言っていた。副担任が50歳のベテラン女教師がついているが、これまた面白味もない淡々と必要事項しか話さない先生で、この二人は捜査線上からは早速消していた。

狙いは隣の1組の担任の数学教師30歳が怪しいと踏んでいたが、幸子の答えに脆くも親身に新米女教師に近づく嫁が見つからない寂しい男路線がなくなった。残念だわ。

妄想と名の遊び道具がいきなり取り上げられた気分は、実のところあまり良くない。
週末の遊びもそうだが、日常の遊びも潰された気分だ。

心配性の新米担任が、事をことさらに大きくしたのもある。
学級会での先生の発言からして、「普段とても明るく振る舞っていても、その裏に言えない思いや、悩みを抱えているものだから、話してね」っていじめられっ子もしくは、問題を隠し持っている子の捜索にこれまた熱を上げっぱなしだった。3日目の今日はやつれていて、見ていられなかったよ。酷く落ち込んでいるようにも見えたし。この先生も、私と同様に色んな妄想をして苦しんでいるんだろうなって、思ったよ。私は楽しみ、幸子は泣き、先生は苦しむ。黒板に書かれた「死ねばいい」ってだけで、色んな思いに彩られるんだなって改めて思ったりもした。

「どうするの?」

事態解決に向けるか、隠蔽したままにするのか? 祐二と勝にはなんと話すのか? ああ、面倒だ。それが私の取りたい立場である。が、到底そんなこと口に出来ない。

「どうしたらいい?」

あらー、質問返しだよ。幸子は自分でやる気なしだよ。これが打ち明けられない子の思いってかしら? 先生の熱弁がちょっとわかるかも。そりゃ言えなくなるわな。でも言わないとな。私なら言えないな。でも幸子の問題だし、親に出てきてもらうか? 問題を公にしないといけないかな? とまぁ、あれこれ画策するけど、妙案は浮かばない。

私は心底悩んだ。二人してうんうん唸りながら悩んだ。

最初から思いついている「謝りに行く」以外に手がないように思えた。正直に打ち明ける以外にない。幸子は事がこんなに大きくなるなんて思わなかったと弁明するしかないだろう。しかし、この案は真っ先に拒否られている。無理強いしたくはないが、知った手前というのもある。「見捨てないでぇ」って泣きつかれても、困るのはこっちだ。いっそ、本当に悩んでしまっていたことにするか? とも思うが、脳天気さが売りの幸子の天然ぷりに「死ねばいい」という悩みごとはどうにも合わない。ひとしきり泣いた後は、自己保身に余念がない様子。このまま、自然消滅を待つか? とも思う。

 

翌日、答えの出ぬまま学校に行けば、朝礼と共に「死ねばいい落書き事件について」ってことで祐二が前に出て来て、みんなに頭を下げて「自分が書きました。いたずらです」と詫びた。幸子はあたふたしている様子からして何も知らされていない感じだ。勝を見ても、「何も知らねぇ」って首をすくめて返してくる。

先生はホッとした様子で、事件解決で「いたずらなら、いたずらでいいんです」っていじめや悩みじゃなくて本当に良かったと安堵している様を見せられると、悩んでいるのは担任じゃなかったのか? とかさえ思ってしまう。クラスも問題解決を見て、ホッとしている感じを受けた。いつもの空気が戻ってくるのがわかる。いたずらなら野次でも飛びそうだが、誰も何も言わない。

 

昼休み、隣の席の優子が「あの死ねばいいって、自分に言われた気がしてた」って言葉を皮切りに、テーブルを寄せ合って給食を食べてた他の子たちも、一斉にそれに賛同してきた。「私も、私に言われているって思ったー」と、これは梢(こずえ)だ。おかっぱ型の髪型で笑いを取る子だ。向かいの席の短髪の癖毛の信(のぶ)も同じように身を乗り出してくる。私の向かいに座っている幸子はバツの悪そうな感じでみんなのやり取りを見ている。

「ぐっさぐさだったよね。あー、私ってば嫌われているんだ〜って思った」

「うんうん、私、もう死んだ方がいいんだって思ったもの」

「同じこと考えている人いるんだって、安堵したよ」

右端に座っている智美が、優子と信の間に落ち着いたトーンで割って入って来た。「いつも思っているよ、死ねばいいってさ。思ったところでそんなことにもならないけどね」って続ける。その言葉に、二人は引き気味だ。「くだらない世界よ。意味もわからず、役にも立たない授業を受けさせられてさ。あれもこれもどれもそれも、いけませんって、ダメです。責任取れるの? のオンパレードよ」って、これは私も同意した。私と同じこと考える子も居るんだって思った。智美は先生たちのお気に入りの子だ。成績も運動も抜群にいい。そんな子が、「死ねばいい」と思っていることにみんなどう返事していいかわからずにいる感じだった。「死ねばいいって、私自身に対しても思っているから安心して」と、何に安心すれば? と思いつつも智美の言葉に優子や信は智美が持っている言葉の意味深さを掴みかねている様子だった。私は、智美の気持ちが良くわかった気がした。それ、私も思っていることだった。毎日、いかに楽しむかに奔走しているけど、自分の中にある壊れてしまったまま元に戻らない「何か」がある。その何かが「死ねばいい」って思わせるんだって感じている。みんな良い人ばかりだし、嫌な先生やクラスメイトだって居るけど、死んで欲しいと思ってなどいない。いないのに、「死ねばいい」って浮かぶことがある。だから、私の心はもう壊れて元に戻らないほど闇に呑まれているんだって思っていた。どうすることも出来ない。闇の心は光の心で覆い隠して過ごすしかない。だから楽しく笑って過ごすことばかりすることが答えだと信じた。だから幸子がいたずらで「死ねばいい」って書いたって聴かされた時は、「私に言われたんだ」って感じた。黒板のいたずらがあったことを知らされた時には「もっと笑えること書けばいいのに」って思った程度で、関心も何も湧かなかった。だから、みんながそれぞれ感じ方が違うことにも驚きだった。

「人の心は闇だらけよ。だからといって、闇に染まっていいってもんでもない。嘆いても責めてもはじまらないよ」

その言葉を成績優秀者が言うと、重みが違うって実感させられた。不平がついて出て来る優子や信を責めているとも感じる言葉で締められた。良い言葉とか悪い言葉とかあるかも知れないけど、それを放ったから、それを耳にしたから、放った人を嫌うことや、聴いた人が落ち込まなければならない理由にはならない。同感だ。彼女ほど、闇を抱えても、憂えて現実を見失って、為すべきこともせずに「出来ない」「無理」「やりたくない」と子供という立場に甘んじてはいない。だから、先生が「大人になって困るのはあなたなのよ」という言葉は、困った体験をしたことがある人しかわからない。困る前にいくら耳うるさく言われたところで何も胸を打つものはない。それなのに先生たちは困らせないようにしか生徒を扱わない。困らせられた生徒は、先生に反発して目の前にあることもせずに反発心に従い反発している。「オレたちのこと何もわかってくれない」と男子たちが言うのを冷ややかに見ている自分が居たのを思い出した。必要なことを伝える先生には、生徒が背き、必要なことを伝えない先生に、生徒は歓迎して何も出来ない子になっていくのがわかった。智美のように先生の言葉や、周りの意見や考えなどがどうであれ、自身に不利益になるようなことはしていないのが見えた。この子、凄い。私は、楽しむことばかりに目が向いて、与えられている環境に対する恩恵に気づこうともしない自分に気づいた。

「甘えきって、堕落している心など死ねばいいよね」

私の口から、不意にそんな言葉が漏れた。

「良子、怖い」

「どうしたの?」

「私のこと?」

優子が慌てた感じで、怖いと震えた表情を見せて来る。信は、いつもと様子の違う私にどうすればいいかわからないでいるようだ。梢は、自分に言われたんじゃないかと不安になっていた。

「違うよ」と、梢に返事をした後、「死ねばいいって言葉でさ、目が醒めたってだけよ。遊ぶことばっかり考えていてさ、ありののままの自分で生きればいいって思っていたけど、死ねばいいって思われないような人でいることなんだなって思ったの。それって自分ではどうすることも出来ないじゃない? 人が何と思うかなんて、どうすることも出来ないけど、自分が人を良く思うように変えることは出来るんだなって思ったんだよ」と説明して見せた。その言葉に智美だけが、笑って返してくれたように見えた。目の前の幸子が、何を言っているのかわからないという表情で見ているし、他の子らも同じような反応でしかなかった。私の中にいる「死ねばいい」って気持ちは、私自身に向けられたものだと思う。遊ぶことしか考えず、自分のやりたいことも明確にわからず、与えられた環境を窮屈だと言いながら、目先の評価に一喜一憂する演技に明け暮れていた自分に自分が放ったものに違いない。子供だから、力がないから、仕方がないからって全部諦めていた。諦めている自分が嫌いだった。諦めていないつもりでいた。私はちゃんとやっている。未来について考えている。準備している。大人になろうとしている。先生の言いたいことはわかっているとしていたつもりだった。智美の言葉に、現状を受け入れて変えて行こうとする人の思いに触れた気がした。

「死ねばいいって書いた祐二にありがとうだな……」と、真相を知っている私は、敢えてあいつの名前を出して感謝して見せた。それに反応したかのように、幸子が「あれ、私が書いたんだよ!」って言葉を遮る形で重ねて来た。みんな、「えって?」って幸子の顔を見た。智美も驚いた様子だった。他のグループで食べていた子らもこっちを見ていた。クラス中に響いていた。私は祐二の姿を見た。顔には明らかに「お前がそれを言うか?」という表情をしていた。彼の身代わりは、問題を厄介な方向に向かわせただけとなった。祐二の隣にいる勝は、庇っていた事情を知っていたようで、ありありと表情に出している祐二を小突いていた。

それからが大変だった。

次の授業を潰して、幸子は真相をクラスの前で白状させられ、祐二が嘘をついて自分がやったとことまでも白状させられることとなった。クラス中から、祐二が幸子を好きなのだとはやし立てられ、それに何とも言い返す事も出来ない祐二に冷やかしが集中砲火として浴びせられ、不意なことから自白した幸子は顔を真っ赤にして始終小さくなりっぱなしだった。

我がクラスは平和だ。それが私が抱いた感想だった。後から幸子に散々「なんで、あんな事言うの!」と言われたが、口裏を合わせなかったのはそっちだろうがと相手にしなかった。

「死ねばいい、か」

平和な気持ちで言うと、何も実現しようとしない者に向けて放たれいる言葉だってのが良くわかる。。幸子が「これからどうしよう」って、とても困っているようには見えない悩みぶつけてくる。祐二に好意を持たれているのが相当嬉しいらしい。昼間の出来事のから、優子や信や梢も我が部屋に上がり込んで、「これから」についての相談を受けていた。といっても、彼女らは私の言葉など待ってなどおらず、話したいことをさっきからずっと言っている。智美ははじめて誘ったけど、「面白そうだけど、今度にするわ」と断られた。去り際に「みんなは、今が平和だと思っている限り、何も為そうとはしないもんよ」と、友だちたちの進路問題や、修学姿勢における自身の甘えを口にする人らに向けて、彼女なりの見解を教えてくれた。それは、昼休みの際に私が彼女に聴いた事への答えだった。「自分のやりたいことが見つからない時って、どうすれば見つかるのかな?」と彼女のひたむきさを前にして、私はどうしても聴いておきたいって思ったことだった。「少し考えさせて」と答えられてから、その日中に教えてくれるとは思わなかった。

「何にでもなれる」

その言葉に私は何か途方もない荒野のぽつんと一人取り残されているような気分にさせられるから、嫌いな言葉として感じていた。だから、楽しいことをしようとしていた。そこに連れ戻されるのが嫌で、自分は自分で生きているんだと精一杯やっているとしているつもりだった。友だちを大事にし、自分で物事を決め、人を悪く言わず、正しいことを為し、過ちは冒さず、人を困らせず、好きなことをする。そんな風に生きていると思っていた。でも、「何もしようとしないでいた」だけだとわかった。安心すること、安全でいることと、不安になること、安全かどうか判別のつかないことをすることとに、違いなどないことがわかった。安全と言ったところで、それを安全とは言わない人だっているし、病気にかかりたい人や、事故に遭いたい人がいないように、どれだけ願ったところで避けられないものがあるなら、避けない生き方をすればいいだけのことだった。

何に怯えていたのか、実はよく分らない。「何にでもなれる」なんて言葉は普通素敵な言葉として扱われるものなのに、私は責められている気がしていた。どこか、「私はこれでいいから」と、諦めに似た気持ちで返事をしようとしている自分がいた。何だろう? この遠慮がちに生きようとする私は? いつからこんな風になってしまったのか? 昔からそうだ。好きなものを「好き」と声を出して言えないでいる。言ったら悪いことのような気がしている。好きと言うだけで、「何か」を否定して拒絶して悪者のように扱っているような感覚に襲われるのだ。それが、好きなことを好きに出来なかったと人たちの無念があると思い込まされてきただなんて、自分でも信じられない思いが浮かび上がった。

自由に生きられる。それは幸せなことではない。何をしていいかがわからなくなるほど、苦しいことなのだ。「これをしなさい」「あれをしなさい」と与えられることの方が余程生きやすい。それは人を「支配した考えだ」とか、「命令するな」とか、悪く言う人たちがいたせいか、時代は個人主義に偏った。何でも自分で決められるようになった分、何も選べなくなったのではないだろうか? それが私のように「何かしているけど、これが本当にしたいかどうかわからない」という苦しみとも呼べぬ苦しみを生み出していると思った。だから、「死ねばいい」と自分の心が収まりの悪さを感じて、恐怖によって自分を追い込んで「何か」をさせようとしているんだ。

だから、「何か」という「何か」はない。何かというなら、何もしていないことを指す。その何もしていないというのは、「死ねばいい」といった、人が見たら「良くない」と感じる生き方しか出来ない様を表わしており、先生のように「いたずら」を「深刻な問題」として扱ったり、「いたずらで、誰に言った訳でもない」のに、「自分に向けられて言われたと思い込む」ことなど、事実の背景に潜む真実は思い思いによって様変わりするものを指す。何もしていないのに、何かしているかのように思い込んで、その自分の心の働きだけで事実があたかも動いているかのように感じてしまうものだ。

智美の一言で、私は考える力を与えてもらえた。私は物事を悪く言う人が嫌いだったからだ。けれども、その嫌いな言葉が引き金で、考えを突き詰めることが出来た。これは善いことだ。一方的なものの解釈が、自分の生き方そのものを停滞させてしまうことがある。「死ねばいい」と浮かんでいた私人は、そこから逃げるべく楽しみの追求という「ここにあるものだけで遊ぶ」ことだけに専念していた。「ここにないものを作って遊ぶ」という解釈が欠落していた。それはどこかの誰かがやるものとして諦めた心で生きていた。それは自分のすることではないという自由を与えていたから、出来なくなっていた。私しか出来る人がいないとする制限を与えなかったから、出来るように変えてこなかったんだ。何と勿体ないことをしていたのだろう? これは愚かと言う他ない。私はなんて愚か者なんだろう。

私は自分のことが好きになった。愚か者と呼ばれてもいいから、好きなことをとことん追求していける人でありたい。

友だちは、恋愛話に夢中だ。私も自分のことに夢中だ。
明日智美に話してみようと思う。なんと答えてくれるか楽しみでしかない。自由に生きるには、不自由さを選んで行くことがいいなんて、思いもよらなかった。勉強が楽しくなりそうだ。

end.

 

 

手を繋ごうよ。心も繋がるから。


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