彼氏彼女の事情 その23

郡上から帰ってきてぐったりです。
電波もないのはまぁ、いいとして生まれ変わり体験をしてきた感じでしたね。

例のごとく内観のオンパレードでね。
謎だったことがやっと解明出来て、ホッとしている感じですよ。

やっとこさ普通に戻れた感じ?

これのどこが普通か? ってなものだけど、初心者へのアプローチ方法もようやくアクセス出来る感じになったので、取り組んで行きますよ。

その前に、難解なアスペルガー症候群のお話しです。

軽度のアスペルって、そこら中にいそうでね。
それでも個性だとか、変わった奴とかで済ませられるけど、捻くれはじめたりすると元に戻れない難解さの中にいたりして、特に彼氏彼女の関係で、出かける前はラブラブなのに、出かけると必ず喧嘩して戻ってくるなんてパターンはアスペルを疑った方がいいかも? なんてのはある。

まぁ、こんな話しもあるって程度に知っておくくらいの情報でしかないです。

知ったところで、素直に聴ける話のレベルで書いてないってのもあるのでね。

本当、読ませたいのか、読ませたくないのか、ぶっ飛びすぎて誰もついてこれない現象になっているからね。

そんなのも今日で最後にしたいと思います。

また、仕切り直しして、面白くしていくので楽しみにしておいてください。

 

 

12.「愛する人がもっとも嫌がる最悪なことをしでかす」

やりたくてやっているんじゃない。気持ちが不機嫌そのものに染まり上がるから、そこから抜け出す方法が不満をぶつけることくらいしか出来ないからやっているのだ。

アスペル反応は、制御不能なものになると思っておいてくれるといい。自力で回復することももちろん出来るが、陥ると拗ねて駄々をこねているような姿しか見せられないし、そんな真似したくないと思っていてもはまり込むからどうすることも出来ない。「治し方があれば教えてくれよ」って程に治せない。

しかも、一番大切にしたい人にぶつけてしまう。

子がアスペなら親に。親がアスペならパートナーに。そして相手も愛しているから、ぶつけられた想念をそのままぶつけ返してしまうので、アスペの人が大ダメージを食らって心が病んでいく。

本来は「助けて!」ってサインだけど、「なんて口の聴き方するんだ!」って叩き返して、不毛なやり取りを重ねて行く。アスペは自分じゃない人の相念に乗ってしまっているだけでも、感じているのはアスペルの人そのものだから自分としか思えない。幾ら、それが他人のもとか、集合意識のものを拾っている知識を得たところで、何の役にも立たない。

出来ることは、「気を逸らすこと」くらいだ。

どのアスペル反応にも言える事だが、気を逸らすことが出来るアスペル反応は、真因を紐解くよりも気を逸らす対処療法をするだけでいい。重度のアスペルガー症候群の人たちは、常態化している為に、正常に戻る瞬間がない。複合的に絡み合っているので、その全てを丹念に紐解かなければ、楽になることがない。その苦しい中で安定出来る道を見つけて過ごしているのだ。

愛する人がもっとも嫌がることをするアスペルガー反応として、3つある。

1.最愛の人が、他に好きな人が出来たと言って離れていったとき。
2.最愛の人が、自分の為に命など大切なものを投出して自分を救って相手の人生をダメにしてしまったとき。
3.最愛の人が、恐れた心を隠し始めたとき。

これら3つの体験時に、心は分離してしまう。

1.の状況なら、1234(親和者1234で一括り)という心が、4^6^8(断罪者(4不遇者,6始末者,8抹殺者)と三つに分かれる。

2.の状況なら、5678(立役者5678で一括り)という心が、2^6^7(瀕死者(2冷遇者,6苦痛者,7非常者)と三つに分かれる。

3.の状況なら、1-5(安心者1-5で一括り)という心が、4^6^8(無視者(4仮面者,6欺瞞者,8訓告者)と三つに分かれる。

人の心がどうして分離し、分離した姿が相手に投影されるなんて話しは聴いたことがあるかもしれない。相手は自分の映し鏡だよって話しだ。家族などでは、親や兄姉が自身の一部だって話しを聴かされるとうんざりすることはないだろうか?

元々は、一つの心だ。親和者という名前をつけているが、任脈でもいい。その気の流れが滞りなく流れている状態を正常という。それが詰まりだしている状態を不健康というなら、それほど変な話しでもないだろう?

それがある時、辛辣な体験がやってくる。1.の事例なら、自分に弟や妹が出来るという体験も含まれる。これはたまったものではない。自分がもっとも愛されると思っていたところに、最愛の人が増えるのだ。普通なら、弟妹が出来たからといって、自分が愛されなくなるなんてない。けれども、兄弟という感覚は兄弟を持つ者でも、持たない者にとっても不可解な存在でしかない。世の中は愛する人は一人だけにしておきなさい。なんていう考えがある。だから夫は妻一人だけを愛する。妻は夫だけを愛する。なんて構図が正常と思われるが、子供が出来ると、一人だけって訳にはいかない。でもこれを一人だけにしている人もいるんだ。それによって、夫への愛はなくなり、子供に移り、下の子が出来れば下の子に移る。なんて事態が起きてくる。口では「みんな愛している」と言いながら、潜在意識では「一人だけを愛している」って働くから、愛を失う側はたまったものではない。そういうことだ。

この時心はバラバラになる。そのなった心が親や兄弟に投影されるのだ。

例えば1.の事例であるなら、妹が生まれた。姉としては愛を失う体験となる。母の愛は姉から妹に移った。断罪者として、姉は君臨することになる。三つに分かれた心は、母に4不遇者としての地位を与え、母方の祖母に6始末者を与え、父方の祖母に8抹殺者を与えるなんてことをする。自分の中にあった心は、それぞれ三者に映され、自分は知らぬ存ぜぬを貫くことが出来る。そして姉から妹を直接責めることもするが、その矛先は母や祖母たちに向かう。「なんで、妹ばかり可愛がるの!」なんて気持ちを母や祖母たちに向けるのだ。それぞれ、母には不遇の思いを抱かせるように関わり、母方の祖母には始末がつけられないような粗相をしでかすようにさせ、父方の祖母には関わりたくなくなるような抹殺的な扱いを関係者全員に味合わせるなどするんだ。

もっとも、これが姉一人とは限らない。父方の祖母も既にそういう愛を失った思いがあると、母に8抹殺者、姉に6始末者、妹に4不遇者という地位を与えるなんてことも起きる。妹が生まれる前なら、母方の祖母が4不遇者だったりするが、生まれたことでお役御免となって矛先が変わる。妹は4不遇の扱い、母も4不遇の扱いで仲良くなるが、それが気に入らないのは姉と父方の祖母だったりするから、余計に腹が立つなどが起きてきたりする。

そんなこんなで、様々な相念がまき散らされていく。

大体は、「愛してくれない」「構ってくれない」「見てくれない」「嬉しくない」「楽しくない」「関わりたくない」「冷たい」「いなくなりたい」「居なくなって欲しい」などという思いが、空間を埋めていく。

すると、アスペルが誰かって問題だが、この場合妹としよう。妹は姉が大好きだったとする。それが最愛の人となるので、この姉に対して猛烈な嫌がらせをするように無意識になってしまうのだ。

つまり、妹から「お姉ちゃん大好き」と同時に父方の祖母が与えた「4不遇者」という扱いの思いを全部ぶつけてくるとなる。もちろん断罪者として3つの要素を姉は妹に直接ぶつけるが、「大好きオーラ」で全部跳ね返してくるから断罪されるのはいつも姉の方になったりもするからこれまた面白くない。そして、空間に漂う想念が妹を襲うので、妹自身は母から愛されている一方で、様々な思いに自分の心を見失うくらい何もわからなくなる。その矛先が無意識に姉に向かうので、姉もこれまたたまったものじゃないとやり返してくる。仲の悪い姉妹がいるとしたら、もしかしたらそんな愛の奪い合いをしていることも十分に考えられると言うことだ。

 

2.の事例は、仮に母親が身を挺して次男を出産したとして、それがきっかけで治らない病気にかかったとしよう。それを知らされた兄と姉の心が分離すると言うもである。理性を働かせれば、弟を恨むのは筋でも何でもないが、人の心はそんな簡単ではない。二人の兄姉が、「兄弟、姉妹が沢山欲しい」という願いを聞き入れる為に、母親が三人目を望み、三人目が生まれたが、母が病気になっていいとは言っていないが後の祭りである。自分たちが願ったばかりに母親は病にかかるのであるが、そんな事実は受け入れられる訳がないから誰かを責めることで安定しようとする。その矛先が、望んだけど望んでない事態を招いた、弟を恨むしかなくなるというものだ(ただし無意識下ね)。

瀕死者は、兄と姉で、兄は妹(姉)に2冷遇者を与え、父親に6苦痛者を与え、母に7非常者を与えた。姉は、弟の同学年の者に2冷遇者を与え、父親に苦痛者を与え、母に7非常者を与えた。よって、弟は家族から孤立することとなる。そして末っ子の弟は可愛がられたりするものだから、兄と姉はむしろ自分たちの方が瀕死扱い受ける始末となる。それぞれが誰も喜べない状態になっているのだが、想い想いで非難し合っているみたいなもの。

アスペは弟だとすると、瀕死者がまき散らす想念のクズは「要らないのに」「居なくなればいいのに」「うるさいのに」「気持ち悪いのに」「不愉快なのに」「悪い子なのに」「落ち着かない子なのに」「面倒くさいのに」「言うこと聴かないのに」といたった思いが空間を埋めていく。

これに弟は染まるのだ。そして悪循環が起きる。

兄や姉の心の分離感で生み出された悪想念で、弟はより悪化することしかしなくなるのだ。

そして、兄や姉がこれまた大好きだとするから、自分で放った者を自身で受け取ることとなり、兄や姉はより気味悪くなって弟を毛嫌いするようになる。そして弟は誰からも愛されていない感覚に陥っていく。

 

3.の状況はよくあるもので、隠し事、言えないことをした瞬間に分離していきます。公に出来ないことなどを指します。または公にされても、それを認めない心のことを言います。これは誰の心にもあるくらいポピュラーな分離感です。

無視者があなただとしましょう。父親を4仮面者として与え、母親を6欺瞞者として与えます。知らない人たちを8訓告者として与えます。そして何を言われようがされようが、無視するのがあなたです。

けれども、無視していながらでも、仮面の父から、欺瞞の母から言われる事は、耳うるさいことだし、味方とは到底思えないような口調や表現を使われる為、子供心としては疲弊します。そして追い打ちをかけるかのように、知らない人たちを事例に出されて比較され、貶(おとし)められていくのです。

「悪い人みたいになるよ」

「良い人になれないよ」

「笑われる人ではいけないよ」

と、否定感を植え付けられていき、何も考えられないように仕向けられます。これに抗うことは出来ません。よって、「悪い人になり」「良い人にならず」「笑われる人になる」のです。否定感では育たないのです。だから、世の中は肯定的な表現を推奨するし、否定しないように関わることの大切さを示しているのです。

しかし、一度傷ついた心の治し方は、一向に広まらないのですね。

何を言っても「責められているようにしか聞こえない」人にとっては、その言葉に自由自在に反発する思いのままに従わせていいとは教えてはもらえないからです。

8訓告者が立ちはだかり、否定感によって教育を受けるが故に、否定的な価値感に染まり上がっていく訳です。無視者である自身は、無視し続けます。父の4仮面者としての「信用される人になりなさい」という言葉を無視し「信用されない人になる」し、母の6欺瞞者としての「褒められる人になりなさい」との教えを無視し、「褒められない人になる」し、知らない人たちの8訓告者からの「本心に従いなさい」という無言のメッセージに対して無視し、「本心を裏切り続ける」ことをしでかしてしまうのです。「あれは、見習ってはならない」と無視させられてしまうわけです。

見ている者たちが自身の姿だと自覚出来るかどうかが鍵ですが、この世の中の解釈としては、そんなものはないので答えに気づくことは出来ないのです。ですから、私の提唱するアスペルガー症候群の解釈は一般化することはないです。自分で自分の中に撃ち込まれた弾丸を、自力で麻酔も為しに取り除くことなど出来ないという例えなら、その難しさ、困難さがイメージ出来れば良いです。

理論を展開しても、それを実践出来る精神性を養えなければ絵に描いた餅と変わりないものです。難し過ぎると言われる由縁です。知りたかったことを解明して、表に出しても結局はわからないのです。ならば、要らないでいいというのが、世の中の解釈だったということです。つまり、まさみちは理解も実践も出来ないことを、わかってもらおうと、無駄など力を必死に重ねていたということです。

これも、私が無視者に囚われて、「そうならないように」と言われ続けたが故に、「そうなってしまった」と、最悪な姿になってしまっていたオチがつくわけです。

これらみんな私のことを書いていたという話しです。

無視者から生還する為に、「助かりたかった」「助けられて良かった」と認めることでした。「みんなの力を借ります」「みんなに助けてもらいます」ということで、自分の力の限界を知り、打ちひしがれ、立ち上がれなくなった愚かな私に、みんな優しく手を忍べてくれていたことに気づいたら良かったのです。「いい人たちしかいませんでした」「いい人に変わったから、助けてくれるようになりました」と、自分の心が昔とは違い、改まったことを自分で認めてあげたら良かったのです。

こうすることで、見捨てられていた自分の心と、それに伴う不満感で空間が埋め尽くされていた想念に縛られ、正常な価値感、解釈が持てなくなっていたアスペルガー症候群の反応から逃れることが出来るのです。

以上です。

ひとまず、彼氏彼女の事情関係は一区切りします。

 

とまぁ、またも難しい解釈がツラツラと並べられて、読めねーよ。ってなことを書き連ねて起きました。

みんな、本当のことを知りたいと願いながら、本当のことを書かれると読めなくなることは理解出来ないのです。私も自分の気づきの全てをブログに書き上げているわけではないため、要約して書き出しているようなことを示してしまうから、読めなくなるのです。気づきの過程を全て表わしているのなら、おそらくは読めるでしょうが、そんな読み物など読みたくないものです。書いていないことが多すぎる訳です。特にエゴエゴで、批判しまくり、弾劾しまくりの心の内訳とか見せていかないと、本来は理解していけないものなのです。

けれども、そういったものは好まれない。
みんな、ポジティブなものに惹かれるし、より良いものに惹かれる。
よって、ネガティブみたいなポジティブなものは、寄りつけないのですね。

特に文字情報で、「莫迦じゃない?」と「馬鹿じゃない?」という言葉の違いを「バカじゃない?」と書いたとき、どちらの莫迦か馬鹿かを感じ分ける心をどうやって体感するかが鍵になるわけですけど、そんなニュアンスや行間の雰囲気など、明確に感じ分けることが出来る人がどれだけいるか? ってことがポイントとなってしまうのです。

まさみち自身の学びが一段落したのを報告しておきます。
また、面白いことはじめるので、楽しみにしとってください。

 

 

人と人との間に心がある。

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。