優しい人がほしい

わがままと、我がままと、我が儘があると最近講座で話すようになった。

敢えて、平仮名と漢字交じりと漢字とで3つに分類したが、このニュアンスの違いを文字で感じ取るなんて果たして出来るだろうか?

 

行間とか、間とか、雰囲気という文字の中に含まれているイメージのことを指す。

その為、どんな言葉でも雰囲気が違うと、認識がまるで代わり、これを使い分けられる心に育っていないと、ミスコミュニケーションに至りやすい。

ミスコミュニケーションというが、実はそれはミスコミュニケーションではなく、コミュニケーションを成立させていく過程の一ページにしか過ぎない。

「あ、これでは伝わらないんだな」

とわかれば、言い方、やり方、在り方を変えて、あの手この手で伝え方を改めようと試みるのだ。

それを途中で断念した状態を、ミスコミュニケーションと指しているに過ぎない。

 

なんて、捉えた方が良くない?

言葉のニュアンスはもちろんだけれど、「価値感を変えて行く方が幸せ」と捉えている人と、「価値感を変えない方が幸せ」と捉えている人とでは、コミュニケーションは成立しない。

だから、他人と関わる時は「価値感を変えない」方がいい。

 

つまり、自分の考えなど述べないに越したことはないってなる。

「どうしたらいい?」

と聴かれても、「よく、わからない」「ごめん、役に立てない」と力不足を見せている方がいい。

わかっていたとしてもだ!!

もちろん、それで冷たい人と感じられる時もある。

それ以上に、何かを押しつけて、それで仲良くなり、その後嫌われるよりも、適度な距離を保って仲良く出来ている方がいいというのがある。

中々難しいとは思うけどね。

親しくなりたいからね。

 

共感して行くと仲良くなり、結果、便利に使われてしまうようになっていく。

善意が、都合良く扱われるようになり、疲弊して、関係がダメになっていくのがオチなんだ。

適度な距離が取れない人、取ろうとしない人、踏み込ませてはならない一線というものは保ち続けておいた方がいい。

 

これには、裏がある。

 

問題は、ある方が関係が長続き易くなり、解決しないで共通の目的に進んでいる最中が楽しいのだ。
それを共有している時が幸せを感じられるのだ。達成感ではなく、共有感なんだ。

だから、問題解決などしてはならない。

許し合うなんて、もっての外だというのは、ここだけの秘密である。

イライラしたとしても、そこから気を逸らす技術を身につけ、好物を与え、問題があったけど、まるでなかったかのように振る舞うことで機嫌を直してもらい、共通の目的は何だったか思い出してもらって、そっちに向かうことで幸せを確かめ合うことが大事なんだ。

 

いいかい?

この世のサイクルは、「騙し」が基本だ。

いかに、本質から気を逸らし、循環的消費環境を作り出し続けられるか? それが重要で、問題は多い方が、様々なサービスや経済活動が盛んになるって裏技がある。

だから、ブロック解除とか、真実を知るとか、真理に触れるなんてことなど関わってはダメなんだ。

そんなクズな事を真剣に取り組んでいる輩たちとは、相手にしてはならないってことを暗黙の了解で宣伝しているのだ。

 

「挫けない」「負けない」「間違ったことは許さない」「忘れよう」

 

なんて言葉たちでね。

これも、イントネーションというか、雰囲気、ニュアンスを感じ取らないと「え?」と思うことになる。

これを善い言葉として認識するか、悪い言葉として認識するか、どちらとも捉えられるとか、幾パターンにも解釈出来るよとか、認識の幅がどれだけ多様に持ち合わせているかで、その人の知性や理性が伺える。

 

一つのものを幾通りも見ることが出来る人の心は豊かだろう。

一つのものを一つの見方しか見られない人の心は貧しかろう。

 

言葉が軽薄になっている時代である。

意味も訳も知らずに使っている人も多い。

辞書の解釈も、結構偏ったものしか載せていない。

 

つまり、訳もわからないまま会話しているのが、世の中だよ。

 

あなたのコミュニケーションは、うまく気を逸らして都合の悪い部分には触れさせないように、コントロールしながら会話できているかい?

それとも、がっちがちにぶつかり合いながら、それでもその交わりが優しさで愛で、確かなことだと実感しながら生を謳歌して会話しているかい?

幸せは人それぞれだ。

うん、よく聴く台詞だね。

問題解決しないコミュニケーション術をうまく身につけられると、幸せになれるだろうね。

わたしはこれが、全く出来ない不幸者ですわ。残念ながら、脱落者であり、落伍者ですよ。

ホントにもう、真っ当に生きられていないのをヒシヒシと感じておるわけです。

 

それでも、なんとかやれている。

みんなに支えられてやっている。

こんな無骨なコミュニケーションしか取れない人でもなんとかここまで生きてこられている。

世の中には通用しないかもしれないけど、あなたとなら通用するかもしれない、コミュニケーション術がここにある。

 

一度尋ねてみてね。

面白いだろうから。

 

やってみて、見てみて、会話してから答えを出す人と、ブログで判断出来てしまう人は、どちら側の人なのか想像してみてね。

 

 

わかり合いたくない人たちと、わかり合おうとするからストレスになっていたオチ。

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