11歳、1月、その日私はいなくなった

今日は休み。
「休めるものなら休んでみろ」という言葉に従ってみようと思って、能動的な活動をやや控えてみる。
午前中はほぼ何もせずに過ごした。
うん、休みらしい感じだ。
多分、きっとそうだと思う。
休み方を人に伝えつつも、少々休むと活力が戻るので、何かしたくなってしまうのが良くないのだと思うが、まぁ、性分なのかな? とかも思う。
それと、そうしたいからしていたい気持ちに従うとこんな風になるというのだろうか。

 

昨日に引き続き、幼き頃の自分の凍てついた心に触れていこうとしてみている。

漫画や映画のように、一つ大きな心の穴が埋まって「良かったね」で終わらないのが人生だし、人の心の悩みの多さとも言える。ブログでは幾度となく、安堵と解放とを紹介し続けているから「またか」というものしかない。それでも、積み重ねてきただけのことはあり、胸の支えの外し方はお手のものとなった。

問題としているのは、自分の姿は見えにくいということだ。

先日タイプ別講座なんてものを開いた。

心を5つのパターンに当てはめて、使い方、関係性でコミュニケーションが成立したり、不成立になるなど教えるものだ。これの評判が良くて楽しかった。人に受け入れてもらえる姿を見えるようになったのは、喜ばしいことだ。小学生時分の私に見せてやりたいほどだ。

 

 

私はよく、問題と書く。

これをタイプ別で表現するなら、

タイプ4が独白すると、タイプ4→タイプ4に向けて問いかけている表現となる。

この状態だと、悩むばかりで解決に至らない。

タイプ4の上位は、タイプ2なので、タイプ2タイプ4に対して「問題」という言葉を使い直すと「問いかけ」に変わる。「どうしてそれを問題として捉えているのか教えてくれないか?」とタイプ2は、タイプ4に話しかけると、タイプ4は出来ない状態から、出来る状態に切り換えてもらえるので話せるようになる。

これによって、問題点を掘り下げる道筋がはじまる。

一方、「課題」なんて言葉もある。「問題」として捉えず、「課題」なんて捉え方をすると、解決へ取り組む姿勢っぽく見える言葉になる。これはタイプ1の言葉だ。タイプ1の独白だと「課題だな」と自分で次に進むべく方向性は見つかるものの、解決の糸口が全く摑めないものとなる。だからタイプ1タイプ1「課題」と使ったところで、解けやしない。

課題を抱えているタイプ1の上位は、タイプ3となるので、タイプ3タイプ1「課題」という言葉を使い直すと「わからないことは何?」と変わる。「どうしてそれを課題として位置づけ、それに固執したまま動けなくなっているのか、状況を整理して説明してくれないかな?」と、見落としているものはないか、並べてみる作業を促す事が出来る。こうすると、タイプ1は「やり方」を得られるので、課題に取り組むことが出来るように変れる。

 

他に、「問題」「課題」と言った言葉で、躓いたまま足踏み状態に陥る言葉は「悪い」というものだ。よく、「それ悪いことでしょ?」「悪いことはしてはダメなのよ」と、「悪い」という言葉を使うだけで、思考は停止し、感じ方や、視点の置き換えや、共感力や共有力などを育もうとはしなくなる、魔の温床的なものだ。

これを使うのはタイプ5だ。タイプ5が独白すると「悪い」と言って、自己完結して会話や、思考を断ち切る。
これに悩まされている人も多い。タイプ5の上位はタイプ1だ。タイプ1タイプ5「悪い」という言葉を使い直すと「本当に言いたい肉体から湧き上がる思いの丈を言葉にするとどんな風に感じになりそう?」というものになる。すると、「悪い悪い」と言い続けていたタイプ5は、視点を置き換えて「待てよ、本当に言いたいことはなにかな?」「どうしたいんだろう?」と自分の心の底にわだかまっている思いの淵に触れようとすることが出来る。

 

こうすることで、タイプ4タイプ1タイプ5問題課題悪い事正していける道がはじまる。

 

じゃあ、残るタイプ2タイプ3はどうしたらいいの?

ってのが気になるところである。

こうした、構造を知ることでしか問いかけられない問題が隠れている事に気づけないから、構造解説をするのだ。構造化させると心の盲点が浮かび上がる。「問題」「課題」くらいしか悩みの種は浮かびにくい。よしんば「悪い」も悩みの種と出来ると、それでストップする。
それを動かしていくのが、この構造化の良いところだ。挙げられなかった残る2つのタイプを探ろうとすることが出来る。そして見つけられるのだ。

タイプ2タイプ3が抱える悩みを言葉にしたものがないとなると、問いかけそのものにならないのだ。悩みとして現象化させられないため、それらは個性とか性格とか扱われて、「どうすることもできないもの」として捨て去られて、見向きもされなくなる。もしくは、「そういうもの」と執着させたままの性格として、対処療法でどうにかするしかないと諦めの算段で指導していくこととなる。そんな目に遭わされた子らは、何を思って生きなければならなくなるだろうかね?

 

タイプ2の独白は「こうとしか考えられないから」になる。
つまり、問題課題悪い事として決して議論の場に持ち出さない姿勢なので、取り付く島を与えないという重大な欠陥があることに、タイプ2は気づきたくないのだ。だから頑なに人に相談することを嫌うし、人からなにか言われることも嫌がる。そして目の前に起きる現象を「否定」とか「嫌」とか「違う」とか言い続ければ、避け続けられると信じ込んでいるのだ。否定しているのに、それに従わない奴らが悪いという理論で染まり上がっているので、基本会話にならない。平行線でしかない。よって、立場や環境など証拠を元に善悪の判断が下され、力なき者が泣くことになるのだ。そして、虐げられたとしても、自分が被害者の立場を訴え続ける事が正義だとしているので、「こうとしか考えられないから」と言い張る人は、自滅の道だろうが、何だろうがひたすら曲げずに走り続ける生き方をしてしまうのだ。

 

そんなタイプ2の上位に立つのがタイプ5だ。タイプ5は「悪い」ということを「良い」に置き換えられた体験者でしか、タイプ2への説得力を持ち合わせる力はない。中途半端に解釈している人たちが、タイプ2に話しかけようとすると、大体はタイプ1タイプ2「こうすればいいよ」という言葉は届かないし、タイプ4タイプ2「こう真似たら出来るよ」という言葉も虚しく機能しないんだ。タイプ3タイプ2は、「意味ないよ」と一笑に伏すけど、やっぱりタイプ2の心は動かせない。「悪い」ことを「良い」こととして捉え直す力があるものだけがタイプ5に変れるので、未成熟の段階ではタイプ2に届ける言葉がないんだ。だから多くの人が悩むことになる。

上位であるタイプ5タイプ2に使い直すと、「何も言わない」になる。つまり、タイプ2の「こうとしか考えられない」という頑な姿勢の全てを受容している姿となる。タイプ2の問題や課題や悪いことを見ても、一切心が乱れない状態のことを指す。わだかまりの欠片もないことだ。それが条件である。それが出来ると、タイプ2の方からタイプ5に「聴きたいことがあるんだけど」と相談を持ちかけられる現象が起きてくる。その時にしかタイプ2は価値感を変える気持ちが湧かない為、認識を改めることは出来ないのだ。その問いかけにタイプ5が丁寧に教えてあげられると、タイプ2は「色んな考え方があるんだね」と、その一点のみ固執した考えを手放し、広い価値感を受け入れ、自身の心を自由にしてあげる事が出来るというカラクリがある。だから、「悟れ」なんて言われるのだ。人に何かを伝えたいのであるならね。

 

タイプ3の独白は「良いことをしよう」だ。
この一見、ツッコミどころがない完成された独白に対して、問題課題悪い事やそうとしか考えられない事を疑う心が湧き上がらないと、タイプ3の隠された悩みなど解き明かすことは出来やしない。

タイプ1「課題」
タイプ2「こうとしか考えられない」
タイプ3「良いことをしよう」
タイプ4「問題」
タイプ5「悪い」

これら、どれも同じ越えなければならない人生の壁を言い表しているものだとして認識して欲しい。
よって、タイプ3の「良いことをしよう」も実は「課題を起し続けて解決の道筋を創ろう」「こうとしか考えられないことを押しつけていこう」「問題を突きつけて、解答を導きだそう」「悪いことを正していこう」という敵対行為宣言とも取れるものだと感じられると、「良いことをしよう」「価値感の押しつけ」でもあると感じられると、問題点や課題点を探しても見つけ出せない難しさがタイプ3の中に隠れていることがわかるだろうか?

タイプ3の上位はタイプ4だ。「良いことをしよう」タイプ4タイプ3に使い直すと「訳を聞かせてくれないか?」という笑えない人たちに対して、明確な詳細のついた解説を聞かせてやりたいから、教えて欲しいという姿勢で伺うことにある。

タイプ3「独裁的支配は辞めさせなければならない」
タイプ4「訳を聞かせてくれないか? 聖者や善良な人や人の痛みがわかる人の独裁でもいけないことなのかい?」
タイプ2「どうして独裁的支配はダメなのだろうか? 民主主義でも悪政なら変わらぬことではないか?」
タイプ5「支配は支え配ると書く。愛を支えに、愛を配るのが支配という意味だと解釈しているのだが、あなたの支配は、悪の支配にしか聞こえない。あなたの心が悪に染まり上がっているから、悪にしか周りを見ることが出来ないほど、曇りきった目になって光を失ってはいないだろうか? 自分の目が光を本当に捉える事が出来るなら、悪い人などいないことに気づける筈だよ。人のせいにしてはならないと教わらなかったかい?」
タイプ1「人は痛みを知らなければ、他人を思いやる気持ちも育むことは出来ないだろう? しかし、痛みを持つ者は、その痛みに固執して被害者だと愛の心を捨て去り、恐れの亡者となって痛みで苦しむ人と同じ気持ちになっていることも忘れて、加害者と被害者とを交合に繰り返し責め合っているだけなんだよ。独裁とは、自分の人生は自分で裁決できるにも関わらず、独りでいることをやめ、他人の未熟な教えに従うことで我を見失い、悪いことをしたら、責めていい罰していいという理屈で敵を作り出し、許しを忘れ、愛を退けて生きるしかないことが見えないのだよ。だから、「良いことをしよう」と言い張る者に、届ける法の言葉はないのだ。それが法がない時代の到来が今の時代のことを言うのだよ」

といったように、タイプ別を正しく並べることが出来れば、タイプ3善意の悪意を悔い改めさせることが出来るのだ。

これがタイプ別性格講座の成功事例の模範解答だと捉えてくれたらいい。
それぞれのタイプで問題や課題や悪いことを解決しておくことは必須条件でもある。その上、「これだけは絶対間違いない」という固執出来てしまう程の良法であっても、別の視点や、それがもたらす欠点を見ることが出来るようになれば、法というものに従う限り、悪はなくならないということにも気づいていけるというものだ。

 

こうして、自問自答が自分に対してタイプ4タイプ4に対して「問題だぁ、問題だぁ」と頭抱えても問題解決に至らないように、別のタイプからの問いかけがないと、心のわだかまりは解消されていくことはないんだ。

 

話しを元に戻し、私はよく「問題」と書く。
タイプ4で、出来ないことから出来ることに変えたい万能タイプが問題を引き起こしているようだから、そこに問題を突きつけて、それでいいの? としていることで解答を導き出そうとしている。

だから、私の心にも問題を抱えていて、あの頃に問いかけて行くことで、11歳の正月に起きた「何か」を探って行くとする。

 

タイプ2「その時、楽しかったの?」
タイプ4「楽しくない。もう嫌だと感じた」
タイプ5「タイプ2が「もう嫌だ」という情報を手に入れたので、どうしてそんな事になったのだと思う?」
タイプ4「わがままを見せたから」
タイプ2「わがままは、許しで、我がままは、裁きで、我が儘は、悪事だと学んだよね。許しの心を責められたと思ったみたいだけど、父は本当に裁きや悪事として、あなたの態度を戒めたと思う?」
タイプ4「思わない。父は許してくれていた」
タイプ2「何があったか聴かせてくれない?」
タイプ4「人を悪く言うものではない、と諭された。それで悪く言う私は悪い人だと思い込んで悪く言った人のようにはならないと決めた」
タイプ2「誰を悪く言ったの?」
タイプ4「クラスの友だちたち」
タイプ2「どんな子たちなの?」
タイプ4「もしもが無いように注意してくれる子、悪いことにならないように色々教えてくれる子、悪いことをする子(なんの制限もない子)、褒めてくれる子、逃げ出さない子、全てを受け入れてくれる子、側にいてくれる子、苦しみを共有してくれる子、苦しくないように労ってくれる子、苦しいの? って聴いてくれる子、良いことをし続けてくれる子、望みを聴いてくれる子、知らないことを教えてくれる子、嫌わない子、保護してくれる子、誤解しない子、わかるまでわかろうとしてくれる子、利を与えてくれる子、呼んでくれる子、ほんわかさせてくれる子、見てくれる子、わからないとは言わず、何か提案してくれる子、訳を話してくれる子、問題ないとしてくれる子、わがままでいさせてくれる子、呼んでもいないのに来てくれる子、笑っている子、笑わせてくれる子、笑い続けてくれる子、訳もないのに側にいてくれる子、訳を聞かなくても話してくれる子、忘れないでいてくれる子、訳を聞いてくれる子、訳があると聴かずにいてくれる子、離別しないでいてくれる子、利益を与えてくれる子、私でいいよと言ってくれる子、割り切らない子、わかり合える子、忘れることを許してくれる子、悪い人と思わないでいてくれる子、患っていることを患っていないと見直してくれる子、忘れていたことを思い出させてくれる子、忘れてくれない子、悪いことじゃないとわかってくれる子、煩わしくないと言い張る子、わかるわかるとわかってなくてもわかったと言い続けてくれる子、煩わしく扱われた子を煩わしくないと扱ってくれる子、わだかまりの全てを無くそうとしてくれる子、我がままに忘れて我が儘に追いやり、わがままになったら戻って来ていいよと許してくれていた子、私がわたしだとわかる子たちを別れたいって言ったの」
タイプ5「今はどんな気持ち?」
タイプ4「みんな受け入れてくれていたってわかるよ。あの頃へ帰ってやり直したい」
タイプ3「やり直そう。今からさぁ。これが良くないってわかったのだから、改めていこう。みんなの元に還ろう」
タイプ1「みんなの苦しみを受け入れて、どうすることも出来なくなっていたんだね。吐き出そうにも吐き出す事も許されないと勘違いして、自分の心を閉ざしてしまったんだね。もう、みんなの苦しみの全てを吐出せたよ。受け入れ許し、助ける為の知恵がここにある。本当のことって自分の目では見えないって事だったんだ。探しても見つからないもの。探し続けていないと見つからないもの。探さないと見つかるもの。探さなくなっても見つけられなくなるもの。本当に難解な人生の壁をよく乗り越えてきたね。神が与えた試練を乗り越えたね。さぁ、友だちに会いに行こう」
タイプ4「うん」
全てのタイプ「わたしは、悪い子から良い子になり、みんなの友だちになれました」

 

こんな具合に、タイプ別の自問自答をすれば、道は拓かれるのだけど、この領域のやりとりは、様々な知識や課題をクリアし続けたから出来るのであって、そうでないと出来ないものだから、雰囲気だけ感じてくれたらいいなぁって思います。

幼きあの頃に塞ぎ込んだ自分を、また一つ解放することが出来た。

見返せば見返すほど、こんなものを否定していたのかと、自分でも驚きと共に納得である。

昨日まで9歳で停滞していた心が戻り、今、11歳が解放され、17歳まで置き去りの心を育むことが出来た。

17歳、23歳、28歳、33歳、40歳、41歳、45歳と現在進行形で傷ついている心が生み出されているようだから、それも手放せるように見ていこう。

 

いつの頃から笑われることが嫌だと感じるようになったのが思い出せない。

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