みんな輝いていた

つまらないことばかりが頭の中を過ぎる。
授業にも身が入らない。
先生の言葉に耳を傾けても、何もわからない。
聴いているのか? 聴こうとしていないのか?

 

月日が過ぎて、会社勤めの毎日でも同じことだ。
接客していても、どこか気持ちがここにない。
面白くない。
飛ぶように過ぎ去る毎日を、ルーチン化してこなしていく。
同じサイクルをいかに効率よく回すかが、密かな楽しみだ。
食事は安く済ませ、趣味に時間とお金を注ぎ、仕事はそこそここなせばそれでいい。

転職の煩わしさを考えると、このままでいいと思う。
新しいところを望んだところで、現状に満足いかないような精神で、次に進んだところで同じように行き詰まるだけだ。自分の程度は知れている。私は凡庸だ。凡庸以下かも知れない。
給料が物語っている。
平均賃金を満たしているとも思えない。
低所得層だ。
つまらない。

何かしようと思ったところで、自分の中に何も無い以上、「何かをしたい」という気持ちに邁進したところで、燃料切れとなって挫折するのは目に見えていた。情熱も輝くばかりの瞳も持ち合わせていない。
斜に構えたくもないが、実力は実力だ。
卑下しているのではない。事実を述べているに過ぎない。
こんな私に降って転がってくるような幸運なんてものはない。
あると思う方が、精神異常者だ。

当たりもしないが、買わなければ当たらない宝くじを買っては、期待を裏切る幸運をたまに望んでみる。
一万円当たったところで、総投資額と比較するなら、惨敗中というのが確かめられる。
ああいうものは、仕掛ける胴元しか儲からない仕組みになっている。
こちらの消費者ではダメだ。そんなものはただ浪費させられて搾り取られていくだけだ。
だからといって、向こう側に回る道筋も見えない。

夢はあったような気もする。

それを趣味から仕事に転じるには、あまりにも自分の中にある「気持ち」というものが、希薄であることが手に取るようにわかって、萎える。

「なりたい」とは言えても「やっているよ」とは言えない。

つまんない大人になったものだと、自分を笑っては、節約できている日々の暮らしに満足という嘘をついている。

やる気はあるのか? 多分ない。
壁を飛び越えて、未知の世界に進む気持ちなんて見つからない。あるなら、教えて欲しいものだ。
現状に嘆いたところで、誰も助けてはくれない。

自分で変えるしかないとは言うが、どこをどういじれば変わるのか、検討もつかない。

考えている。

たくさん考えているさ。

嫌なことが起きないように、工夫して、改善して、やり方変えて、コツコツと身の丈に合った生き方というものを見つけて歩いている。

歌の歌詞に慰められ、励まされ、生きる指標として進み、「次」に向けて鋭気を養う。

巨大な消費経済の枠組みに従い、あちらでイベントがあれば駆けよって笑い合い、あちらで集会があれば行って議論して楽しむ。閉塞された循環の中でぐるぐると回るのが人生だと諦めていた。

これが人生だよ。

 

あの人たちとは出来が違う。
資質が違う。
平等とは言うかも知れないが、解釈や考え方の根本的な何かが違うに違いない。
偉人たちの言うことはわかる。
その通りだとも思う。

「心が変われば態度が変わる 態度が変われば行動が変わる 行動が変われば習慣が変わる 習慣が変われば人格が変わる 人格が変われば運命が変わる 運命が変われば人生が変わる」

野村監督の言葉で、私の好きな言葉の一つだ。

しかし、肝心の「心の変え方」がわからない。

人生を変えるには、運命を変えるしかない。
運命を変えるには人格というものを変えて行かなければならない。
人格を変えてしまうには、習慣を変えていく必要がある。
習慣を変えるには行動がこれまでとは別のものになる必要がある。
行動を想定外のものにして行くには、態度が見違えなければならない。
態度が見違えるには、心の在り方そのものが変質していなければならない。

うんざりだ。

名言などは、いくらでもあるし、その通りだとも思う。
引用され、使い回され、「この様に」と標識のようにあちこちに立てられている。標語として目に飛び込んで来るものは、わかっているけど、出来ない言葉群だ。うっとうしいと思わずにはいられない。
これで、人生が変わるなら、当に多くの人が人生が変わったとしてなければならず、人生が変わる者が続出したなら、世界が変容してなければならない。

世界はとても平和とは思えない姿のままだ。
こんな標語などあっても、人生の導きには役に立たない。

それでもつい、しがみついてしまうものだ。
人生を変えたい。

幾つもの名言集をまぶたに浮かべ、来る日も来る日も、人生をより良きものへと変えて行こうとするが、変わらぬ日々となる。

映画を見れば、偏屈の教授が、想定外の出来事から孤独に陥り、気づきを経て、穏やかな生活と、当たり前の毎日を取り戻すものが眼に入る。こんな風になれたら。あんな風に変れたら。そんなことを思い浮かべては、日常に埋もれていく。見ようとしている現実は映画とは違う。まぶたに焼き付いたあの光景は、現実として見ることはない。いつもスクリーン越しだ。物語の中にしか、私の望むような幸せはない。

でも、これが現実だ。
ちっぽけな私ごときが、自分の人生を変えられると思う方がおこがましい。
こんな考え、価値感を変えようと努力してきたが、何も変わらない。
うまく行かない。
心を改めようとし続けてきたが、どうにも出来ないでいる。

「自分への投資を!」と、呼びかけられれば、そうだ、自己投資が不十分だと観察結果から導き出して、投資するが、浪費と変わらぬ結果に終わる。呼びかけた側がいつも儲かる仕組みでしかない。いつものお決まりのパターンだ。儲け話を呼びかける側しか儲からない。それを見ても、自分に出来る気がしない。もっと健全なものはないのだろうか? とさえ感じる。

裏側を見せられても、気持ちは動かない。
呼びかけている人と同じ心境には至らない。

「心を変えれば、態度が変わる」

態度を変えても、心は変わらない。
この鍵が見つからないのだ。

誰か、私の心を変えてくれ。

 

まぶたに焼き付いた、あの映画のような幸せを私にも感じられるようにして欲しい。

いつも願っている。

ずっと望んでいる。

心から欲している夢のような、当たり前の笑い合う幸せがいい。

冗談を言い合い、莫迦(ばか)し合い、楽しい事しか思いつかず、みんなイキイキしている。
あれが欲しいんだ。あんな中に飛び込んで行きたい。

 

もう、疲れた。

それでも人生は終焉が来るまで生き続けなければならない。

もう一歩、もっと先へ。動かぬ足のまま、気持ちだけ先へ先へと進んでいく。

気づけば、いつもの風景が目に留まる。

まぶたを閉じてしまいたい。

もう何も見たくない。

 

夢を現実に変える力が欲しい。

ずっと探している。

まだ見つからない。

 

きっと無いんだろうと思うが、諦められないのは何故だろう?

 

人生という旅路の果てに辿り着くのは、彼岸なのかな。

死後の世界にしか、私が安らげる世界はないのか?

この世が天国だとも言う人がいる、死後を求めてしまう考えは同意できないでいる。
あの人のように笑いたい。
あんな人のように振る舞いたい。

態度の変え方がわからない。

 

一度死んで見て、それで生きてみるかな。
心を大事にするのではなく、心を捨て去り、死人のように何も望まず、抗わず、戒めず、何をされても笑っているような人でいよう。

つまんない生き方に変えてみよう。

くだらない姿をさらしてみよう。

精気なんていらない。

喜びなど欲しくもない。

やるだけやり尽くして、辿り着いた一つの選択。

 

きっと、誰も賛同しないだろう。

嫌われるだろう。笑った姿を見せてくれることもないだろう。

灰色どころか、暗黒の世界が待ち受けているに違いない。

 

 

 

未だに、空が青い。

みんな笑い転げている。

光り輝いて充ち満ちている。

何が起きているかがわからない。

 

 

人生は変わったのかな?

 

 

許しの中で生きている。

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