目も当てられない

見ていられない。見たくない。

人は、恥ずかしい姿や、失敗した姿を見ると目を背ける傾向がある。

その行為を認めないということだ。

 

直視しないことが配慮していることになっている。

子供心に取って、視線を逸らされるのは「関心がない」「いらない」「やめろ」「理解出来ない」「終わりだ」といった解釈が雰囲気として届いてしまうとするなら、どうだろうか?

「よく見なさい」

とは、よく聴くが、「失敗を見てはなりません」とは習わずとも、目を逸らすのはどうしてだろう?

目を逸らされた側としては、恥ずかしい姿は「見られたくない」となるが、本当にそう思っているのだろうか?

話しているときに、目を逸らされる不愉快さと同じことではないか?

人は、身勝手な解釈で生きている。その解釈をどう捉えているかより、どれだけ傍目から見て、問題行動を起していないかが大事になる。みんな嫌なものはこぞって目をつぶる。

ぶつかるときとかね。目をつぶる方が余程怖いと知っていても、危ないときほど目をつぶるのだから不思議な現象とも言える。それだけ自分の失敗さえ、自分で目撃したくないのだろう。それで改善する道筋など出来るとは思えないのだが、怖いものは怖いし、嫌なものは嫌だから、目をつぶりたいからつぶる、逸らしたいから逸らすって理論で済ませられてしまう。

 

もし、そんな目を逸らす行為が、失敗を繰り返す事を辞めさせない方へと協力していると気づかせる人が居たら、やっぱりそういう人からも目を逸らして、話聴きたくないってなるのだろう。

目を逸らしたくなる失敗は、目を逸らし合っている者同士には、失敗は目撃していないから、失敗したことにならないんだよね。だから平気で目をつぶることが出来る。うん、良く出来ている心だわ。

それに何の意味があるのか?
とか、まともな考えを持っている人は疑問に思えるが、世の中不合理なことは幾らでもある。

伝わっているのに、「言い方が悪い」と言い直させてみたり、「上から目線」否定している時点で、自分の方が上手に回って見下していることさえも気づかない馬鹿な姿は、直視してもいいらしい。これこそ、目を背けて差し上げてあげた方が世の中の為だと思うが、あまり賛同得られそうにない。

みんな、誰だって「言い方が気に入らない」ってことは幾らでもあるし、「上からモノを言われると、自動的に見下された感に触れて偉いさんでも、尊敬出来る人でもカチンとこさせたあなたが悪いと人のせいにしたがるのは、誰もがやっていることだと言い訳したい」から、仕方がないからだ。

 

人はとかく、何かしら嫌な思いに至るようなことは避けなければならないって教育されている。
だから失敗はつきもの、と教わっても、失敗を見ることを教えようとはしない。凝視するようには指導してこない。だから、失敗に免疫がない。失敗した姿は見せたくないし、見せほしくもないから、誰も失敗した経緯を解説も出来ないし、説明して治させる事も出来ない。

特に人がイライラしているのを、スッと元に戻させる方法や、「寂しい」とか「怖い」とつぶやく子供に、明確な安心を与えて、気にしなくて済むように出来る大人はどれだけいるのやら?

これら、失敗を見なくなった為に、失敗が放置され、恥ずかしい真似が隠され続け、情けない姿が時より現われては、笑い者にされては消えていく現象になっているのだろう。

みんな馬鹿にされたくないと言いながら、人を馬鹿にすることには余念がない。

叩かれ、さらし者にされ、吊し上げられる方がヘマをやらかしたのだと笑うのだ。

 

 

テレビを見ればそういう構造になっているのがよくわかる。
上手くいっている時はいいが、ヘマをやらかしたら、吊し上げで叩けるだけ叩く、視聴率が取れ、関心が薄れるまで続ける。そんないじめ的な行為も、商売でしかない。関心があるからだ。観客がいて、それをこぞって求める人が居るから「いじめ」はなくなることはない。テレビはいじめではないのかも知れない。何せ過失があるからね。この過失に従い、バッシング出来る権利を有しているのだから反論されるいわれはない。擁護ではなく、過失した側の責任追及の嵐だ。他人の生き方をあれこれ批評しているのは暇つぶし以外の何ものでもないが、それを仕事だとして評論している人や、テレビという電波を使って放送しなければならないほど重大な内容なのだろう。望む人が居るからそうなんだとも思う。

 

そうしたテレビから届けられる番組さえも、見たくないとつけなければ、目を逸らしたことになるのだろうか?

何にせよ、見る、見ないは生まれる。

見ていなければ、改善は見つけられないだろうし、見ていると、恥ずかしい思いにさらされてしまう。

どちらとも欠点がある。

どこまで行っても、逃れられないのかも知れない。

 

見せられない姿ってなんだろう?
失敗は幼きほどあるし、知らずに間違えることもある。大人のうっかりは案外許され、子供のうっかりは許されそうにないのも気になるところだ。子供に寛大? いやいや、子供に対する方が甚大な矯正力で縛り上げているのは、誰だって体感している。つまり、大人の方が制御が効かないから、規制が緩いのだ。

小学校より、中学校、中学校より、高校の方が規制は少ない。

規律だ何だと小うるさいところもあるとは思うが、緩くなっていくのはみんな同じ思いだっただろう。
分別がつくという年齢という認証を得ると、晴れて規制のない自由の身となれる。法律などの最低限の枠組みで許され、会社などは伸び伸び出来る環境が整えられている。

「大人だから良いの」

分別がつくからとか、判断出来るからというが、では何故、犯罪者が後を絶たないのか明確な説明を聞かせて貰いたいものだが、大人になったって分別がつけられない人だっている。考えてみれば、多数派に属することが存亡する第一条件のようにも思える。みんながやっていることを真似しようというのが、生き残る上でとても大切なものとなる。

その一方で、個性的に生きるなんて真似をしようものなら、袋叩きに遭う。
あくまで合う人を前提にしている。合わない人は対象外だ。
間違いが少ないよう、人との関わりは気を遣えるようにしておかなければ、嫌われてしまう。

見られる事で、人は立ち振る舞いを整えていく。
見ていないところでミスは許されても、見ているところでのミスは許されない。
見ていないところでの行為が見つからなければ許され、見ているところへ露呈したら許されなくなる。

表裏なく行きなさいと言われても、表裏があるのことは教えない。

前も後もあるのに、前だけ向きなさいと教わる。

上も下もあるのに、上だけ向いて行きなさいと励まされる。

表舞台には、裏方がある。

人生の表舞台と、裏方はどこで区切られているのだろう?

誰と関わる時は、表で、どんな時に裏に回っているのだろうか?

男女間では、どこが表で、どれが裏か見分けがつくのだろうか?

 

下手に出なさいと育てば、一生うだつの上がらない、優しい子になるが、目立つこともなければ、何か特別なことが出来るわけでもない。それでいて、憧れや夢が大きく高くあり、信頼も厚いが勇気だけがない。消費、浪費することだけは許されているので、存分になけなしの金をつぎ込んでくれる労働者でいてくれるありがたい存在だ。

自分を信じなさいと育てられると、世の中とは相容れられなくなる。険しい子になるが、協調性も乏しく、平凡なことはとことん苦手となり、みんなのさげすみや嘲笑の的となる。夢など見ず現実的で、地に足をつけたものの捉え方をしており、堅実な価値感で自身を支えて行く。好きなことに没頭して、嫌われるに任せていたら、周りが認めてくれるようになって、いつしか人に尊敬されるように変わる。人間不信だから、褒められても受け取らず、ただ黙々と好きなことしているが、友だちはいない。

 

両極端の話しをしてみたが、このどちらもみんな入り乱れて持っている。

人から見られて、まともかどうか。

自分が自分を見て、まともかどうか。

つい、そんな見られる事ばかりを気にして、見て行くこと、見ていないことには気づかなかったりする。

 

案外、みんな目をつぶって、見ないでいてくれたりする。
なんせ、自分の失敗は見たくないからね。だから人の失敗にも寛大なんだよ。

それでも、YouTubeの失敗特集なんて動画は凄い再生回数だから、赤の他人の失敗は好きなようだ。ガン見している。そしてみんなにシェアしたがっている。そしてとても喜ばれている。人を幸せにしてあげているってことになる。

 

失敗から目を逸らすと、不幸になるのかもね。

失敗をガン見すると、幸せになるのかもね。

 

人の失敗を笑うなと、真面目になると、怒りが湧いてくるよね。

人の失敗を笑うと、みんな笑って爆笑の渦だよね。失敗した本人もみんなを笑わせられたと幸せになるよね。みんな喜んでいるよね。

 

目を閉じないといけないのって、どんな時になるんだろう?

自分の失敗を振り返るときは、目を閉じてそうだ。

他の情報を遮断してさ。

何で間違ったのか、改めて考え直していけばいい。そしたら考え方を変えられる。

変えられないのに、うまく行く訳がない。

ルールに従わずに、答えを出せるなんて馬鹿げた発想だ。

この世界は法則で成り立っている。

その法則に従った上で、自由に考えたらいい。

法則を無視することをするから、怒りや不満や悲しみが襲ってくるだけだ。

さぁ、目を開いて、何を見落としているのか見て行けば良い。全部わかるようになったらいいね。

 

見たいもの、見たくないもの、見えないもの、全部見ようよ。

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