視座8,善悪者「気づけばいつも優しいあなたがいた」

講座が沢山あって、何をしようとしているのか全くわからない。
これ、行く人いるの?

なんて、聞えてきそうな講座群を見れば、初見の人はそれだけで去って行く。

 

講座群は、ただ20〜50時間もかかるセッションやカウンセリングを5時間で解決する為の手法で、さまざまなシーンに応じて心の整理整頓を促す為に分類化した手法だったりする。

5時間といっても、14種類の性格別に分類しているし、1種類受けたらはい、それで全部完了ってほど、心って単純じゃないから、行けば行くほど面白い発見と知性が宿るので、参加者は大体はリピーターの古参が多い。

受ければ納得、安すぎる。

ってのが常識になっているところではある。
個人セッションで内密に……っていう気持ちがある人でも、講座で教えてもらえば「そうだったのか!」と合点がいったりする。自身を苦しめているのは、やっぱり自分って気づいてしまうのはあるけど、人のせいにしなくても済むことが出来るのは幸いだったりする。

 

「善悪者講座」
という視座8の領域にある心について、いうと馴染み深い視座だったりする。
物事の判断は、大体は「良い」「悪い」で判別している。

カウンセラーなど心を扱う人でさえ、「良い、悪いはないよ」といいながら、その良い悪いさえ、何かを基準に判別している自身に気づかないことも多く、その基準の違いを明確に解説仕切ることが出来ない人が多い。

「考えすぎですよ」
などといアドバイスですら、「考えすぎ」を悪く扱わなければ、そんなアドバイスは生まれない。

「こう考えてみたらどうでしょうか?」
などというアドバイスの方が、幾分マシのようにも思える。
しかし、この比較さえ、前者を悪く扱わなければ、後者を良く扱うことなど出来ないものがある。

良し悪しは存在しない。と口で言うのは簡単だが、それを当事者に具体的かつ、構造的になぜ、良し悪しがなくなるのか、理論立てて納得合点が行くところまで解説してくれる人でなければ、「良い悪いはない」なんていう抽象的概念を迂闊に口にしない方がいい。

 

その抽象的で小難しい解釈を、短絡的に人から聴いた話を、わかってもいない段階で人に話し出してしまう人が、善悪者の悪い方の傾向だ。

なんせ、この善悪者は否定して、正しいことを伝えようとする癖がある。

つい、我が子などには正しさを教えようと、否定を与えまくって、正解を教え込もうとする。
我が子は、そんな親を善、自身を悪と覚え込むなんてことになる。

その結果、子供が成長して社会出ると、自分の親より出来の悪い大人を見ることになる。年上なのに、先輩のに、「そんなことも出来ない」なんてものを目撃する。

こうなると、善悪者の視座は、自身が善、相手が悪と識別してしまい、猛攻撃をし出したりして人間関係のトラブルとなる。

仕事における離職率の問題は、人間関係だと言われている。

その改善を図るいい機会になるのが、この善悪者講座だったりする。
優しい人でいたいのに、優しい振る舞いが出来ない。
優しい人が好かれるなんて、周知の事実にも関わらず、そのモテモテな性格に変えようと改めない人がいる。

口癖に、「いつもそう」「何度言ったら」「そんなんで」「気にしてないよ」「(気持ちが)こもってない」「細かいこと言わないで」「知らないわよ」「最後まで言わせないで」「逃げないでよ」「わかってよ」「悪かったわね」「訳わかんない」「別れたわ」など、心の中で思う人などにも対象となる講座である。

どれもこれも、「人のせい」であり、相手が悪人で自身が善人である前提で脳内が自己完結していることを示している。

そして、気まずい人は、これらを読んでも「責められている」「怒られている」「怖い」「嫌い」と感じたり、考えるところがあるので、その方々はチャンス到来、福の神が訪れたと、一斉にお祓いしてもらうくらいにその邪気を取り除いてもらうといい。神社で「ご利益、ご利益♪」と歓喜している人は、どのようにしたら、こうした邪気が正当に祓えるかは、講座を受けてみれば実に理論的に教わることが出来る。

 

体を祓い浄めるなら、入水するなど、風呂は入れ的なことを物理現象で行うのと同じく、精神である心を祓い浄めるなら、然るべき講座を聴くなどして学習して、知識を補い、知性として使える知恵の力に変えていくことを実践出来るように出来れば、祓い浄められて二度と相手を悪く言うような心にならないように出来るというものである。

 

ついつい、自分に甘くしてしまうのが人の常であったりする。
それも個人の自由と世の中は優しい。

その優しさにかまけてしまうと、つい締まりの無い心を宿したりしてしまう。
表面上、いくら丁寧に取り繕っても、心の中は見せられるようなものではなかったりする。
だから、他人から幸せそうに見える。
善悪者は、人の目がとても大事だ。みんなの目を気にして生きている。人の目は恐ろしい。
気づけばいつの間にか孤立させられていたりする。
自身がいつ、悪者扱いされるかわかったものではない。
みんな表向きには、優しいけど、その実態はわからない。
わからないから、怖い。怖くなると近寄れなくなる。
学校や会社にいきなり行けなくなったりもする。
精神的に病んでしまうこともしばしば。
気づけば、うつ病と診断されてしまうことだってある。

それが善悪者の視座の心だ。

 

行き着く先は、「見栄えだけ整える」に終始するようになる。
その結果、何も感じないようになってしまう弊害には気づかなくなってしまうのだが、この「感じない」とは、見てくれと、中身の差異の識別が出来ないことを指す。

いわゆる雰囲気のことね。
雰囲気を正しく識別出来なくなっている人がいる。
「素晴らしいものを見て、悪いと感じる」
「素晴らしくないものを見て、良いと感じる」
そんなことがあったりする。

その識別が値段で区別されるものだけど、「これで、この値段?」と「これが、この値段?」などと、どんな雰囲気で感じ取るかはお任せするが、お金のブロックがある人なども、往々にして解釈が歪んでいたりして、頑張っても結果に繋がらないなんてのも、ここが原因かも知れない。

お金に関しては、多岐に渡るから、一概には言えない。

 

 

来てみて欲しい。

わかり合える場所がここにある。

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