ドーシャ(ヴァータ、ピッタ、カパ)

ヨーガを学んでいた時に出会った、アーユルヴェーダとかあれこれある中で、ドーシャという座について触れた。

これが、実に「虚モード=ヴァータ」「許しモード=ピッタ」「闇モード=カパ」と合わさることがわかり、ああ、そうなのかと合点いくと共に、現在伝えられているヴァータ体質とか、ピッタ系とか、カパなどにおける様々な気質、性質、体質的な解釈に、???となることがわかり、これまた解説する難解さを目の当たりにしていたりする。

 

トリドーシャなる、三つのドーシャが均等にバランス良く取られているのが良い状態らしく、私がカウンセリングで誘導している先が、ここだってことがわかるようにはなった。

全てを俯瞰して捉えて、そのバランスの偏りを調えること。

しかし、世に知られているドーシャや、その中にあるヴァータ、ピッタ、カパの解説が私の感性と知性が頷かない。人に伝えるにはこうしなければならないのだろうが、何か大元とは違った解釈で伝達されている気がする。

そんなこと言ったところで、伝達されて広まった解釈を、独自理論を披露したところで、それを聴いて同じことが出来なければ意味はない。

どこの誰が、叡智から降ろした情報だと識別し、自身や周りに広めた人も、降ろしたら同じ解釈で符合するなんてことが出来れば、広く受け入れられるが、みんな聴いた話を元に教えの根拠として解釈を練り上げていくものだったりする。

 

そう、誰だって、研究者が発表した理論に基づいて、それを展開、発展させて工夫を懲らしてより良いものにしていくものだ。全員が研究者そのものになるものでもない。

独自研究していたら、ヨーガに同じことが書いてあるとか、仏教の中に同じ解釈があるとか、キリスト教の中に同じ発想が含まれていたなどというオチをつけられただけで、習熟すれば身につけられるものを、自分独自の感性で降ろして閃きと共に教えられるようになったというだけである。

 

簡単に学ぼうと思えば学べるものを、自然と一体化して、自然の中から見いだしたという手間暇かかる面倒なことをやり遂げたみたいなものだ。本当にご苦労なことで、と自身に思う。

それでも、自身で身につけられるのは、開祖と同じ視点でいられるメリットはある。

 

アーユルヴェーダ基本理念
ドーシャとは3つの生命エネルギーです。アーユルヴェーダの理論の中では、万物は五大元素に置き換えられますが、ドーシャはその五大元素の組み合わせでできています。体の特徴、感情から、様々なものを3つのドーシャに対応させられます。ドーシャは「不純なもの」「増えやすいもの」とも訳されます。アーユルヴェーダではこの3つのドーシャのバランスで今自分がどんな傾向が強いかを把握し、健康を取り戻していきます。これをトリドーシャ(3つのドーシャ)理論とも言います。ここではドーシャの基本的な性質をお伝えしていきます。

以上が、転載したもの。

私が解説するとなると、まずこの万物という言葉に対して五大元素に置き換えられるという文章に対して「?」が湧く。

万物は、「梵(一般に愛と表現されるものでよい)」と「梵(愛)でないもの」の2つからなり、「真(理)」「素(粒子)」「環(フラクタル)」の3つで見合い、「空と海(空)」「人と十(風)」「子と虚(水)」「好と悪(火)」「笑と生(地)」を五大元素と扱う。更に「1.呼と吸(頭)」「2.息と意味(胸)」「3.気と間(腹)」「4.高と幅(背)」「5.広と狭(目)」「6.全と人(姿)」「7.こことそこ(心)」の7つの象徴があり、統括して離れることのない根源的なものとする「1.私」「2.今」「3.四(あらゆるものは相対である」「4.我(嘘によってのみもたらされる現実がある)」「5.木(形でないものから、形を作り出し映し出すものとなるもの)」「6.九(組み合わせで成り立つもの)」「7.三(みんなでありわたしである)」「8.二(あなたでありわたしである)」「9.一(あなたの中に全てがある)」によって置き換えられる。と、解説し直してしまいたくなる。更に、漢字の意味など解説することも多分出来るが、やっていたらキリが無いから書きはしない。

よって、ドーシャは様々なものを3つに分類することで、わかりやすくこの万物を見立てた仮のもので、それで全てを表わすようなものではない。目安みたいなものなので、それに固執するような解釈を持たせてしまうと、柔軟性を失い、教えを見て、人を見ない現象にならぬように努めておく必要がある。

ドーシャは「ヴァータ、風」「ピッタ、火」「カパ、水」と表現されるが、これら万物全てを簡略化する為に三分割したもので在るため、五元素だけを取り出して解説するようなものではない。

ドーシャは、「誤解を生み、育み合うもの」「重なり合いながら、生まれ変わる全て」「見つめ合う中から、見えなくなっているものを見つけていくもの」と訳すことが出来る。わかりやすく簡略化して説明するなら「不快感の中から答えを探していくもの」「不純な気持ちをより分けて正していくもの」「同じ性質が集まり易いもので、改めにくくなるもの」として解説し直すことも出来る。

つまり、ドーシャというのは、
「理想の為なら、嘘でも平気でつけるようになり、相手を喜ばせることに徹する心を育てよ」=「ヴァータ、風」
「現実を見る為なら、例えこの身を焦がすこととなったとしても、事実を直視させて価値感を改めさせ、共に笑い合える共感の気持ちを育てよ」=「ピッタ、火」
「夢がなければ、何も現実に働きかける思いの源など湧き上がらないから、自身の中に眠る小さな希望の光を具現化する為に、言葉にして人に伝えられるようにし、人からその夢を応援されるような素晴らしき美しい心の持ち主として自身で自身を育てよ」=「カパ、水」

というような要約をつけるのが、簡素化した説明文となる。

この3つのドーシャをバランスよく調えたトリドーシャを目指すが良い。
なんていうのがアーユルヴェーダの基本的な教えの筈である。

 

過去世で私が説いたもん。www

 

とまぁ、どうしても私としては、過去世で説いた様々な教えが、ちょっと偏った形で継承されているから、それを今世で正せたらいいなぁって思っていたりする。

ヨーガもそうだけど、五行もさ、色んな意味含んで残してあるけど、それが引き出せる人が少なすぎて困る。
まぁ、何となくで継承された知識で充分効力も発揮しているからそれでいいんだろうけどね。
実際、ヨーガも五行も専門家からしたら、私の降ろしてくる叡智は、その時でなければ引っ張り出さないし、留めようともしないからね。あの時と、今でも解釈は変わるなんてのもあるから。

その当時の心理的背景で残した言葉と、現代の心理的背景で表わす言葉は違うからね。

 

そんなことをふと思ったの。
「虚モード=ヴァータ」「許しモード=ピッタ」「闇モード=カパ」と見たとき、ああ、なるほど合点が行くわ〜。って過去世で残した自分の教えと再会した感じだったから、シェアしてみた。

 

まさみちって変態さんで、奇人さんだから、真っ当に扱わないでね。
ツッコミあるなら、出来れば当人を目の前にしてぶっ込んでくれると嬉しい。

 

思いが世界を支えている。

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。