心がけひとつで人に優しく出来る-親和者-精神者-

敦賀にて講座がある「親和者」と「精神者」だ。年内の活動で講座類は一時凍結となりそうな予感。
年明け後の活動が全く読めない、予定の立てようがない状態にある。

 

視座別講座の一つひとつの視座に名前をつけているのがこの講座群だったりして、その視座にまつわる傾向と対策といったものを学び取って、より柔軟な心に変えていこうって狙いがある。
毎度、講座の内容がグレードアップしていく為、後に受ける方がお得感満載なのだが、同じ講座となることがないため、聞き逃すと惜しいことになる講座でもある。

心は様々なことをして、どうにかして社会生活が出来るようにしていこうとしている。
ひとつのものの見方ではわからないなら、自ら分離して、二手に分かれて観察するようにして、客観性を養っている。しかし、一方的な見方に固執してしまって、多観的なモノの見方が出来なくなり、人と衝突するようになってしまうのが心の弱いところでもある。

 

自分が正しい。そう思ったら、相手を否定するようになる。
相容れない価値感の衝突は、どこにでも起きる。
何かを反対して、気づきを与えようとしても無理なことだとは中々気づけない。

「優しさ」って何だろう? ってことになってくる。

 

「みんなの和が大切」と、みんなの中であなたに話す場合と、あなたと二人っきりでここに居ない「みんな」について「みんなの和が大切」と話す場合とでは、心の伝わり方が違ってくることがある。

親和者という視座は、心奥深きところにある優しい眼差しの目である。
親和と名付けられているだけあって、大切な人に大切に関わろうとしている。でも、それがうまく行かない温床にもなる。

問題が発生し、「みんなと歩調を合わせよう」と教えたい。
けど、失礼があってはならないからと、二人きっりになってから個別で教えようとする。
何度教えても、わかったと返事を受けても、乱してくる。

「みんな」がいる時に、みんなに意見を一人ひとりその場で聴いて、みんなの和が乱れていることに対して、みんなから意見を聴くと、知りたかった情報の全てが手に入り、穏やかになることがある。

優しく関わろうとして、「みんな」の居ないところで、「みんな困っている」と、みんなではないあなたから聴かされても、私はわからないという人が居るんだ。

親和者はそんな感じの視座であり、心だと思ったらいい。

この心が傷つき、疲弊し、望む答えが得られないと大きく思い悩むこととなる。
「みんなに優しくしていくことが出来ずに困っている」ことを理解されるより先に、大切なあなたから責められ傷つけられる現実をどう理解し解釈していいかがわからないというのがある。

 

言い直そう。

「みんなの和を乱す」現実がある。直すに直せない。困っている。
大切なあなた(親や先生)から、「どうして?」「何故?」「いけないよ」「みんな痛がっている」と、諭し教えているつもりでも、当人からは、まず否定されている感覚が届いている事実は見えないでいる。
親和しようとしているのに、親和どころか、非難されているように聞えてしまう現実に対して、手立てがないことを示したいのだ。
イケナイ事も、悪いこともわかっていたとしても、ついやってしまったり、止められなかったりすることがある。それが再三重なれば、サポートして補佐する側も苛立ってしまうことさえある。

親和者は、「みんな」という概念が理解出来ないとしたらどうだろう?
そして「私」基準が整わないと、みんなに対しても優しく出来ないとしたらどうだろう?
「みんなが言うことはわかるけど、私にはわからない」という感覚があるなら、この親和者の心が傷ついているかも知れない。講座を通して、見落としていた心の欠片を拾い集めてみないか?

 

 

もう一つ、精神者なんて講座もある。

心において、裏表の話をするなら、外面と内面とかになる。その内側の心に現われ易いのがこの精神者だ。
統合感ではなく、分離感でやたらお目見えする心の片割れである。

「心がけ一つで人に優しくなれる」としたら、この精神者は押さえておかなければならない程重要なキーとなる視座だ。何かとセットとなる視座になる。

「精神者」と「善悪者」
「精神者」と「功労者」
「精神者」と「無空者」
「精神者」と「熟知者」
「精神者」と「発明者」

といった具合に裏表の関係である。
精神者とか善悪者とか、何のことかよくわからない人は、「自分」と「自分」と見てくれたら良い。
裏の顔と表の顔でもいい。本当は「いらない」と思っていても建前上、「どうもありがとう」とにっこり笑って見せるなどの芸当を見せないといけなかったりする。その違いに名前をつけて、精神者とか善悪者とか功労者とか視座によって傾向があるから区別し易くする為に名付けているだけのことである。

 

この精神者はとかく、他の視座の裏側の顔としてやたらいる。
たくさんある。
この精神者から見ていることを客観性とか言うこともある。自分を客観視していると言うときだ。
表の顔として、皆に合わせる善悪者だけど、興味がなくても周りに合わせておかないといけないなって冷静に判断して、作り笑いして過ごすことが出来るのが裏の顔である精神者とか思ってくれるといい。

ただ、この精神者、みんなの中にいる精神者と、私自身の精神者と、精神者の中でも表裏あったりするから厄介だ。自分で自分がわからなくなったり、どっちが本当の自分なのかわからなくなったりするのもこの視座の心だったりする。

そして多くの場合、自分が善悪者だと我が子に精神者として表れたりして投影してしまい、裏の心そのもので衝突してくるという厄介さがある。んで、強ぇぇんだ。精神者!

弱い精神者もあるけどね。
知性の無い精神者は弱い。
知性のある精神者は質が悪い。

 

精神者は哲学的な心だと思ってくれてもよくて、達観したものの見方を好む。

その精神者が分離する場合は、「熟知者」と「気調者」とかになる。
講座では、この部分を統合するような解説になると思う。
哲学的な解釈を拾い集めた結果、価値感が固まってしまって、柔軟性を失ってしまっていることがあり、理解出来るけど納得出来ないというジレンマを引き起こし出したりする。理屈はわかる。知識としてそうだともわかる。でも、気持ちがGOサインを出さない。

妻や旦那の趣味趣向を切り離して受け入れる事は出来るが、一緒にやることとか、賛同して協力体制とかは出来なかったりする。惚れた相手の癖に、境界線作って、溝作って、隔ててなければ認められない窮屈さって何さ? とか思うけどね。

精神者という視座が傷つくと、一番大事な人の側に居ながら、嫌味しか言えない存在にしかなれなかったりする。味方のはずなのに、味方のような関わりではなく、敵みたいな関わりしか出来なくなったりする。哲学的な理屈っぽくアドバイスしてのけるが、気持ちは離れたままだから、届きやしない。

そういうの夫婦とか親子であるでしょ?

理路整然と、言っている方が誰が見ても正しいのに、頑としてパートナーや我が子は受け入れない時って!

そういうのを紐解いて行く講座をする。

 

精神者講座、時間足りない気がする(どの講座でもそんな気はしているけど)。
それでも納めて行きます。

 

11月4日(土)
11:00〜17:00 親和者

11月5日(日)
11:00〜17:00 精神者

 

取り留めもなく書いてみたけれど、こんなので親和者や精神者の講座に来たがる人がいるのか?
なんて疑問もある。

親和者講座は、セッションで受けると10時間(12枠)くらいの内容で13万くらいはするような内容をぎゅぎゅーっと凝縮してお届けできるお得さがあるけど、これは来た人でないと分からないというもどかしさがあるんだよね。

精神者講座は、セッションで受けると18時間(18枠)くらいの内容になるかと。金額換算すると25万くらいしそうな勢いだな。とまぁ、こんな仮説を書いたところで、初見の人は(ドン)引くしかないものだけど、お得感を見せるにはこんな方法しか思いつかない体たらくさ。

何で、講座5時間が10時間や18時間に引き伸ばされるかというと、マンツーマンの方が、人の心は余所を向くからだね。他の人がいる中で、セッション的な講座を聴くと、身が引き締まるような感覚から、聞き入れる姿勢がマンツーマンより優れていたりするところがあるからだ。他者のやり取りを見て学べることもあって、必要になるものが増して効率化が図られると思っていい。講座は講師主体だが、セッションはクライアント主体になってしまうため、クライアントの望んだものしか受け取れないのに対して、講座は講師が望んでいるであろう姿になるまで調えられるメリットがある。セッションは自力になり、講座は他力になるという違いになる。他力本願を信頼しているなら、講座は相当なメリットとなる。メリット尽くしで、安い!!

 

親和者講座
□人の話を聴こうとしても、頭に入って来なくて困ってる。
□家族が敵にしか見えない。
□良くないことしか考えが浮かばなくて、そこから離れられなくなる。

精神者講座
□対立しか出来ない。何とかしたいが、何ともならない。
□放って置いて欲しいのに、放っておいてくれない。独りがいいとしている。だが、仲良く出来る人がいるなら、欲しいと願っている。
□深くわかろうとしない。どうでもいいとしてしまう。けど、軽んじられることを嫌う。人付き合いが極端に下手。性格だと諦めて、何もしなくなっている。

 

チェック項目として、こんな人向け〜とも書けるが、これで困った人が2万もする講座に来るのか?
ってのもある。だからうちは、もっぱらリピーターしか来ない。新しい人がチラホラ来始めているが、中々この金額のハードルを越えることがない。

それだけの魅力とか実感出来ないからだと思う。

会もせずに、実感することも難しいだろうしね。
本当のことを書いて、好感が持てる場合と、本当のことを書いて、引かれる場合がある。

左脳的な、論理性を説いていく話しは、人の不足感や欠乏感、焦燥感に働きかけて、その心配は要りません的な解説による、心の防衛網を無力化するスタンスで解説を試みるのが、最近の流行だ。

コンサルタントにある、相手を丁寧に持てなし、寄り添う形で誘い出していくものだ。
元々が不足感などの欠乏的なものから生み出されているものは、結末として欠乏感に辿り着く為身につかない。
だから、色んなコンサルやカウンセリングや、講座に参加してもしっくり来ない人が多い。

私の場合は、そうした欠乏感に働きかける部分の心が傷ついたままだったりするから、一般的にウケるような誘い文句が書けないでいる。これは何とかしないとね。その無骨さが、わかる人には信頼感として伝わるけど、そうでない見せかけの美しさに惹かれる人は、寄りついてこないし、本質とか本物とかって感覚で捉えるのではなく知性で捉えるものだからね。色々わかるものはわかるけど、相も変わらず文章力が欠ける時点で、新規参加者を集める力はないとも言える。自分が残念すぎるわ。

 

取り敢えず、年内の講座は、結構ポイントとしては高いと思うから、来られたら来て欲しい。
来年は、頼まれても講座はしばらくはしないような気がしている。やれそうならやるかも知れないけどね。
個人セッションはしていくと思う。
色々スタイルが変わると思うので、来年になってみないと何とも言えないかな。

今、熱があるのはアスペルガー症候群とかの、人と人との間に引っかかるものについてだ。
これは、通常の認識や知性ではどうにもならないものだから、非常に有効なものでもある。
それについての専門性と、それらが施術出来る人の育成とかに踏み出せたらいいなとは思うけど、音楽活動がメインだから、その合間となる。

そんな訳で、年内の活動がそれなりに希少性は出ていることは告知しておきます。よろしくお願いします。

 

来ると決めた人だけ来られるところ。

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コメント

  1. なかいみほ より:

    精神者の解説を読んで号泣してしまったのは、自分のことを言われたからか、11/5の精神者の講座で、このどうしようもない自分を助けてもらえるからでしょうか。

    助けて欲しい。
    助けてもらいに行きます。

    コメントへのまさみち先生のアドバイスにまだ着いていけなくて、時間をかけてじっくり内観しようとしていたら、アカン。やってしまいました。

    次女とは、会うと全て忘れてキスできるのに、LINEで話すと、必ず互いに愛を受け取れないと、殴り合うように対立します。
    上手く優しく伝えようとする程、相手を傷つけてしまいます。

    二人共疲れ果ててるのに、変え方がわかりません。
    本当に何を言っても、心を変えても、殴り合うしかできない。
    これ以上傷付けたくないのに、責めあってしまいます。

    これが精神者でしょうか?
    投影のパターンを変えて行きたいです。

    講座、楽しみにしています。

    1. 噺家まさみち より:

      直接会うと、善悪者同士だから、仲良く出来る。
      といっても、親和者の5432という視座が、3578に分離して、「熟知者」「精神者」「気調者」「善悪者」に分かれての、「善悪者」同士だ。
      「熟知者」は末っ子。
      「精神者」は他人。
      「気調者」はあなたの母親。
      「善悪者」は、次女とあなた。
      このように投影される。

      LINEでは、これではなく、親近者が分離した「熟知者」と「精神者」に分離してそれぞれが対立している。
      「熟知者」は、次女。
      「精神者」は、あなた。
      推察通りだ。

      次女が立たされている視座は熟知者だから、よくわかっているで構わない。
      本来は親が担う視座だ。それが娘が担うというのは、単に全てわかっているで構わない。伝わっている。届いている。理解している。
      と扱えばいい。

      自分に現われる精神者としての気持ちは、娘自身の葛藤や悩みであり、それは解決すべきものでは無く、ただ開示されているだけのモノだとして解釈すればいい。
      つまり、LINEで話すときは、あなたが弱音を吐いて、次女がアドバスする体制に切り換えればいい。
      問題は解決しなくていい。
      ひとつのやり取りとして、やってみることだ。

      そんな気持ちでLINEを見返せば、あなたが引いてあげれば、全て丸く収まるものだと気づける筈だ。

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