視座講座02.「不快感は悪いものに決まっている」無料公開中

心は幾つもの顔を見せる。
あっちの人の前でこう言い、こっちの人の前でこう言う。

あそこでは、物怖じせずに言えたことが、こっちでは、ビクついて何も言えなくなる。

 

同じ人、同じ環境で育っていくと、変化の無さに我がもの顔でいられる。

幼稚園デビュー、小学校入学、中学、高校、大学や社会人など、環境が変わることで、意識も変わる。

成長に伴い、性格が変わっていったというが、それって視座が動いただけじゃないの?
なんてのも言える。

心の中に幾つもの「心の目」があるなんて知りもしない。
別に心の目という必要も無い。ただ、「こんな色の心」でもいいし、「こんな性格の心」でもいい。

視座なんて概念を持ち込むのだから、既存にあるもので定義され、説明されているならそれを使えばいいが、どうもそういうものがまだ見当たらない。あれば、適応していく。

そんな視座がエヴァンゲリオンのアニメ(まんが)に使われる使徒の顔の七つの目とかが、そうしたものだよって解説は出来るが、自分の心の中に、あんな目があったら気持ち悪い。あれは具象化して解説する為にこんな感じと仮置きしてあるものだ。

 

どの目で見るかで、見え方、心の働き方が変わるから意識的に動かそうとすれば、実は結構出来たりする。

今会社で勤めている人は、「みんなと同じように」とか「やるべき事をやるのみ」とか「与えられた職務を真っ当して早う帰って自分のことしたい」とか「より良くしてやりたい」とかあると思う。これら括弧書きで解説した表現が、どれも違う視座だってことだ。

特別何か、難しいことを話しているものではない。

これが、不愉快な感じや、不快感、嫌悪感などの感覚が湧くようなことが起きると、「何様のつもり?」とか「出来もしない奴が偉そうなことを言うな」とか「遊んでないで仕事したら?」とか「仕事やめたら?」とか思いついたりするのね。これ、視座が裏返ったの。

表の顔と、裏の顔。

要は、人のせいにしているだけだって気づかない顔ね。
仕事してない、遊んでいる、出来ていないなど色々あると思う。物理的にそういう証拠が挙がるから絶対的に指摘している方が正しい。なんせ給料貰って仕事しているのだからね。

気に入らないなら、「はい、やめます」でいい。
気に入っているなら、文句じゃなくて、責めるのでもなくて、自分の心を改めて人の関わりを正していけばいい。まぁ、文句も責めも必要な時はあるけどね。ただ、ここでは自分の心が裏返って、醜い姿をその人を通してでしか表に出てこないから、「不快な思いにさせるなよ」と人のせいにして、不快な心を放置しっぱなしの自分を棚上げして、人を責め立てて喜んでいるような状態だと気づいて欲しいって話だ。

 

表の顔も、裏の顔も、どちらも素晴らしければ、仕事をさぼるとか、苛立ちを覚えるような現象に出くわすことなどないってことに気づいて欲しいってものだ。誰とでも仲良く出来、仕事が出来るように導く人もいれば、腐らせ困らせ痛めつけて辞めさせていく人だって居る。

視座を学ぶなら、自分の不快さが相手に起因するものではなく、自分の心の醜さを放置しているものだと気づけると、不快なものへの解釈が変わるかな? ってことだよ。

 

心の裏側は美しいですか?


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コメント

  1. ○○を手放して!
    なんて聞くことがあります。そうか!手放せばいいんだ!と、手放そうとしても、「つもり」になって隠しただけだったりしていました。
    今回講座を2つ受けてみて、「視座を変える」ことが、「手放す」ことなんだ。と思いました。
    手放して消えていくのではなくて、見かたを変えて固執した意識を柔軟にすることなんだと。そしたら、手放せなかった自分を嫌うことなく「見かたの(傾向の)一つ」だったと許せるのだと思いました。

    1. 噺家まさみち より:

      その通りですね。
      見え方、捉え方の違いによって、勘違いが生じているものですから、その逆を辿ることが出来れば謎は紐解くことが出来るものです。
      反対側の視座に立つことが出来れば、敵対していないことがわかり、不安が安心に変わります。
      掴んでいるから、手放してと言われるものだけれど、手放し方は教えてくれないというジレンマが、教える側にないのが問題点とは気づけないのも問題としてあったりします。
      「手放して」で手放せない人へ、手放し方を教えられる力がないことに気づけるようになると、ものの見方の次元が上がる筈なんですけどねぇ。

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