お噺が読めない まぁ、そんなこともあるさ

くノ一ネタの小説を書いてみた。

痛いことに、目が滑る。活字が飛んで行く症状に見舞われている方がチラホラ。

ぐっと読み込める人は、これは結構楽しめたりするのだが、そうでない人の抵抗振りは半端ない。

物書きとしては、痛恨の極みでしかない。

何故読めないのか? どうして読ませる書き方が出来なかったのか?


 

私の心積もりとして、良いものは良い。良いほど好まれる。
などという痛い錯覚を持ち合わせていたのだ。

清流を好むが、魚は棲めない。なんてこともある。
魚のいない川に魅力はあるようでない。

命を育む川は、適度に穢れがあるものだ。

 

それと同じように、あまりに本質を突くような文章に仕上げてしまうと読みたくなくなってしまうことが起きるらしい。確かに。考えてなかったわ。

自分の愚直な程、生真面目な性格をねじ曲げてみようと思い至った。
何事にも追求に追求を重ねることよりも、遊び心、手心みたいな、お調子付いてからかうくらいが丁度いいとするのだ。なんてことはない、以前の自分に戻ればいい。何も考えず、思いついたまま好き嫌いを存分に発揮し、名古屋近くだから中日ファンとし、広島に住んでいる時はカープ良し! にしておいて、今は奈良だから大仏のような仏顔で生きればよしくらいにして遊べば良かった。

偏っている方が面白い。
つべこべ言っている方が味がある。
人間味というどこかダサく、みっともなく、格好悪いことを隠しながらチラ見させて見栄張って生きて行くのがいいんだよ。

昔は持っていた。
これをわかっていた。
敢えてキャラクター性を持たせて色をつけていた。

いつしか忘れていたなぁ。
こんな自分じゃいけないってところから内観してきたけど、こんな自分でないと行けなかったんだってぐるっと一周してきた感じだ。やっと自分に戻ってこられた感じだよ。
ただ今って気分だ。
そして自分にお帰りなさい。と言いたいね。

自分が自分と出会い、私になりました。


 

なるほどねぇってことで、自分が肩肘張った文章を下ろして書いているのがわかった。
それじゃ、みんなはなんで読めなかったの?

 

何でもない人生として終わらせようとしていた自分を隠し持っていたのを見透かされた気になっていた。
これが人生だ。
人生とはこういうものだ。
取るに足らない私ごときが、何か特別な何かとか、大それた使命とかなんてないない。
そんなものテレビの見過ぎ、物語の影響の受けすぎ、平凡なの。
普通なの。
どこにでもいる、何でもない一人なの。

そんな風に言い聞かせ、説き伏せて、好奇心で持ち上がる気持ちに蓋をしてきた。
出来ないままでいようとしているとは気づかないし、やることはやっている。
夢を追いかけてもいる。
諦めないようにしている。
でも、何か物足りない。
どこか、違う感覚が拭えない。

真っ直ぐ、迷いの無い生き方をしている人を見ると羨ましく思うし、憧れる。
でも、あの人は私と違うから、と距離を創り出して、そもそもの素質や、才能が違うと言い訳して、自分を騙して愚かな自分で居ようとしている自分の姿には気づけなかった。

可哀想でいる自分。

物語なら、ここで主人公が颯爽と現われ、意気地なしの自分の心に息吹きを吹き込み、蘇らせて手を引っ張って、外の世界へと連れ出してくれるはず。

でも、現実にそんなことは起きない。
知っている。
わかっている。
自分から動き出さないと何もはじまらないことくらい。
だから、動き続けている。
やっている。
諦めてない!!

もううんざり!
出口のない人生を歩き続けることに疲れてしまった。
立ち止まってはいけないのも知っているけど、歩けない。
諦めたくないのに、心は最初からビクとも動いていない。
私が自分を見捨てて、自分を置き去りにして先に歩こうとしていたことに気づかなかった。

微動だにしていない自分のところに今、還ってきた。
「一緒に生きたい」
見捨てた自分が、見捨てられた自分へ声をかけることが必要だった。

見捨てられた方の自分は、いつも眩しくて、キラキラしていて、何も考えずに閃きだけで動いて、恐怖をものともせず、むしろ恐怖が強い方ばかり突き進んで周りを困らせまくる厄介者だ。無鉄砲で向こう見ずで、誰の頼りも必要としてないように見えて、寂しがりで、本当はどうしようもないほど臆病なくせに強がりで、諦めているのに、諦めないように立ち上がろうとし続けている。足もないくせに、歩こうとしている莫迦正直な自分がここにいる。

「自分が自分に負ぶっていくよ」

と言えば良かったんだ。足もないくせに、歩けないくせに、自分一人では何も出来ないくせに、希望ばかり言いやがって、閃きだけは凄くて、負けん気しかなくて、力貸してもらえないと何一つ現実化出来ないくせに、人を信頼することだけは人一倍あって、どこまで純粋なのか、ただの馬鹿なのかさえもわからない。お人好しで、人が大好きで、みんなの中にいたくて、面白いことしかしたがらず、苦労ばかりして行こうとする成長したがる厄介者なんだよ。

一人では何も出来もしないくせに、強がるなよ。

だって、あなたが還ってきて一緒に連れて行ってくれると信じていたから。

 

私がここにいた。

自分を置き去りにした自分をここまて信じ込んでいる自分がここにいた。

自分を抱きしめて、私に戻った。

これが私だ。
これこそ私だ。

歩けもしない自分を全部背負って歩きたがるのが私の優しさだ。

私に任せて。

私が閃いた通りに従うから。

私を生きよう。

私でいられるんだ。

 

もう迷わなくていい。
もう探さなくていい。

一番探していた自分を見つけたから大丈夫だよ。
還ってきたんだ。

お帰りなさい。
ただいま。

二つの笑顔が一つになったよ。
私の笑顔が広がり、みんなの笑顔になって還ってきたよ。

ありがとう。
愛してます。


 

 

あかん、これ泣くわ。
書きながら泣いてしもうた。

 

これを読み上げてからなら、昨日のお噺は、すんなり読めるのでは無いかと思うがどうかな?

いやー、いい話書いたわ。

昨日よりもこっちをシェアしたらええかも。

どうか、自分を見失っている人へ。

届きますように。

 

許された中で夢を見ていた。今、夢が終わり、喜びの現実がはじまりだした。

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コメント

  1. 昨日のお噺も凄く面白かったけど、今日のは泣けました。

    自分に会う度、嬉しくなります。
    自分に会う度、優しくなれます。
    自分に会う度、笑いだします。
    自分に会う度、笑いながら優しく嬉し涙が止まりません。
    手を引かれておぶられて笑い合いながら何度もわたしが。帰ってくるのを待ってくれていました。

    1. 噺家まさみち より:

      自分に還れた喜びは一塩だよね。

  2. Saori Ichihara より:

    >取るに足らない私ごときが、何か特別な何かとか、大それた使命とかなんてないない。
    そんなものテレビの見過ぎ、物語の影響の受けすぎ、平凡なの。
    普通なの。
    どこにでもいる、何でもない一人なの。

    そんな風に言い聞かせ、説き伏せて、好奇心で持ち上がる気持ちに蓋をしてきた。

    そんな事を信じ、好奇心に踊らされて真っ逆さまに墜落した私は愚かなのでしょうか。

    1. 噺家まさみち より:

      真っ逆さまに墜落したら、それで終わりなのかしら?
      特別な力があるから、そんな過酷な状況からでも立ち直れる力を示す時では?
      愚かしさと賢さが対になっているとしたら?
      賢い人は自分のことを「愚か者です」と言うでしょうね。
      愚かな人は自分のことを「賢い者と呼ばせたがる」でしょうね。
      賢い人は他人から「賢いですね」と言われても、喜んだりしませんよね。それは普通で特別でも何でもない当たり前のことだから、嬉しがる必然性を持ち合わせていないので、「ありがとうございます」と、褒めてくれる人に対して心動かすことなく対応します。嘲るつもりで「賢いですね」と罵られたら、「滅相もございません。私ごときがあなたさまの足下にも及びません」と嘲返さなければ失礼にあたるものです。
      愚かな人はその逆をするものです。

      愚かさを否定しないことです。
      愚かさを知っている者ほど賢い人になるものです。
      間違えることを愚かと言うかどうかは自分の心の定義次第です。
      愚かさを履き違えないことです。

      認識の未熟さ、浅はかさを呪わないことです。
      見下されることを素直にその通りと思える心を養うことです。出来ている人から出来ていない人を見る時は対等ではなく、上から見るものです。

      1. Saori Ichihara より:

        墜落してもなお、まだ納得できない事があって、ここへ勉強しにきています。
        愚かさを否定したくて賢さで自分を守ろうとしてきました。
        もっとしなやかに色々なことを受け止められるようになっていきたいです。

      2. Saori Ichihara より:

        真っ逆さまに落ちてもなお、まだ諦めていないからこちらで学んでいるのだと思います。
        愚かさを恐れて賢くならなければと意固地になっています。愚かさの受け止め方を変えてしなやかに受け止められるようになりたいと思います。

  3. 平井 揚子 より:

    声に出して読んだら、泣いてしまいました。
    質問です。
    >だって、あなたが還ってきて一緒に連れていってくれると信じていたから
    とありますが
    どうして「見捨てられた自分」は「見捨てた自分」が戻ってくると信じられたのでしょうか?
    またどうして信じ続けられたのでしょうか?
    ※うまく投稿できなくて何回か同じ投稿をしたので、もしかぶってたら削除お願いします

    1. 噺家まさみち より:

      ほら,こうして現実化したじゃない?
      こうなることを信じていたから、こうなったんだよ。
      それ以上の説得はいらないのでは?

      あとは、必ずそうなる仕組みの中で生きているからだと言うしかないですかね。

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